初恋
第6話
あの日。
綾音にレズビアンであると告白されて、私の家から去っていたあの日。
私は何も考えられなかった。ただ彼女が帰った事実を受け入れられなくて、気づけば毛布にくるまって眠っていた。
私が綾音に対して酷い事をしてしまったのだと気がついたのは、その翌日だった。
眠った事で、思考がクリアになったんだろう。
私が取った行動が、どれだけ酷いものだったのかを思い出して、全身が震えた。
罪悪感で人はここまで震えを覚えるのだと、その時に初めて知った。
ガタガタと歯がなり、鳥肌が立ち、血の巡りが悪くなるのが分かった。
私は、綾音に何をした?
レズビアンだと告白した綾音から逃げるように距離を取り、ただ震えて彼女に怯えた。あの時はただひたすらに自分が可愛かった。
あの時の私を見て、綾音はどう思ったんだろう。性的趣向を告白するのには相当の勇気が必要だったはずだ。彼女の気持ちを考えるだけでも私の胸が張り裂けそうになる。
それなのに、綾音は綾音だった。
あの状況で、笑える人がどこにいる。私の心配をしてくれる人がどこにいる。最低な私を罵倒しない人がどこにいる。
綾音だ。あの人だ。橘綾音だ。
急いで私はスマホを手に取り、時間も確認せずに彼女に電話をかける。
とにかく謝りたかった。話がしたかった。声が聞きたかった。
無常にも、繋がる事はなかった。
何度も何度もかけた。繋がらない。
何度も何度も画面をタップして、その度に私の目からは大量の涙が溢れ出てくる。止まらなかった。
メッセージだって何十通、何百通と送った。
何一つ既読にならない。
何度も何度も、指の先の感覚がなくっても、私は画面を押し続ける。
それでも結局私の全ては綾音に届く事はなかった。
お泊まり会の翌日であるその日は土曜日だった。つまりは次の日の日曜日も大学は休みだ。
綾音に謝罪もできない。罪悪感を抱えて過ごす二日間は余りにも長すぎた。
土曜日は、綾音に必死になって連絡を取っていたから、まだなんとかなった。
日曜日は、ダメだった。
昨日から既読にならないメッセージ。画面は私の言葉である事を示す緑色で埋め尽くされていた。
その現実に、私の心は叩き潰されていた。
永遠に感じる時間を、布団にくるまってただただ耐えた。
長い、永い。早く、速く。
綾音、綾音、綾音、あやね、あやね…
私は、ただ綾音に会える月曜を待った。
そして耐え切って迎えた月曜日、私は更に絶望する事になる。
◆
お昼休みを告げるチャイムと共に、私は急いでいつものベンチに向かった。
本当に、私の頭はイカれていたんだと思う。
だって、普通に考えたら綾音がその場所に来るはずなかった。
背もたれのないベンチは不便で、木陰で日の光がろくに届かないそこは真っ暗だった。
なんで、どうして。そんなの決まってる。
私のせいだ。私が酷い事をしたせいだ。
ただベンチに座って来るはずのない綾音を待って、もうそろそろお昼休憩が終わる。
1秒過ぎるたび、綾音が来ない現実をひしひしと感じて、私の目からはまた涙が溢れる。動悸が止まらない。
そしてチャイムが鳴ってもいよいよ綾音は現れなくて、私はフラフラと立ち上がってその場を後にする。
…もう少し、綾音を待てばよかった。
私は後悔してばかりだ。
律儀にチャイムなんかに従わず、もう少しその場にとどまっていれば。
…その光景を見る事はなかったのに。
フラフラと、足元もおぼつかないまま歩いて。
ふと、見上げた視線の先。
この広いキャンパス内で、私の目は大好きな女の子を見つけた。見つけてしまった。
橘綾音。
彼女は、背もたれがあって日当たりのいい場所に設置されたベンチで昼食を取っていた。
…私の知らない女の子と。
私の中にドロっとした黒い何かが溢れた気がした。
そして、怖くなった。
視線の先で、タイミング悪く、笑顔の綾音に女の子が抱きついたんだ。
その瞬間、私は綾音がいる場所とは逆方向に走り出していた。
そして気づいたらまた自宅で1人毛布に包まっていた。
◆
受け入れたくなかった。
だって、あの場所は私の場所だ。綾音の隣は、私の場所だ。
そして綾音が居るべき場所は、私の隣だ。
背もたれがない、陽の光もない、そんなベンチが綾音が居るべき場所だ。私と共にある場所だ。
なのに、誰だあいつは。
なんで私の所にいるの。そこは私の場所よ。返して。
…違う。私が自分で手放したんだ。
本当にそう?綾音がレズビアンなのがいけないんじゃないの?
そうよ。綾音がレズビアンじゃなければ、私達はずっと一緒にいられたんだ。
綾音が悪いじゃない。ねぇ、綾音。謝ってよ。
お願い。謝って。…謝りに来て。声を聴かせて。顔を見せて。抱きしめて。
ごめんなさい。違うの。綾音は悪くない…全部私が悪い。
綾音、謝るから帰ってきて。
綾音を返して。なんでもするから。
綾音、綾音…
責任転嫁しては、自責の念に囚われる。
もう、ずっとその繰り返しだ。
睡眠と栄養不足。明らかに私は壊れ始めていた。
もう学校に行く気力もなく、木曜日までの講義を全てサボった。
もし学校に行って、またあの光景を見てしまったら…私はきっとどうにかなってしまう。
それでも、金曜日だけは何があっても学校に行くつもりだった。
金曜最後の一コマ。東雲ゼミ。
私と、綾音の聖域。
嫌でも顔を合わせる。顔を合わせられる。
もうなんでもいいから、綾音を側で感じたかった。
弱った身体を抱きしめて欲しかった。
◆
1分。3分。5分。10分。そして20分。
「よっすー」
いつも通り、その声が聞こえた瞬間。
「ぁ…ぁぁ…ぁぁぁぁぁあああ!」
私の心は完全に砕け散った。
「お、おいっ!?なんだよ!?いきなりどうしたんだよ!?おい!?高峯!?」
あの咲先生が、血相を変えて駆け寄って来る。
もう私には、どうすればいいのか分からなかった。
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