第10話 俺は全てを誤った。
「しかも、なんで産む前提……」
ベビー用品専門店ではしゃぐ女子高生は確実にお前だけだ。ジトっとした眼差しを向けると、紫野は目を弓なりにしてお腹に手を当てた。
冗談めいた声音が飛んでくる。
「桜田君ったら! 何をとぼけているんですか? お腹の子は10ヶ月なんですよ!」
「……もう産まれんじゃねえか」
こんなところで騒いでいていいのだろうか。
「ほら見てくださいこのおしゃぶり……可愛いでしょう? 桜田君付けます?」
「どうして俺が付けると思った?」
「赤ちゃんごっこ、楽しそうじゃないですか!」
言って、紫野は自身の巨大な胸をポンと叩いた。これはロクでもないこと考えてやがるな……。
なんて思っていたのだが、案外普通な言動が飛んできた。
「あ、そうです。ここで写真を撮りましょう!」
「……写真、か」
赤ちゃんごっこよりは良いだろう。
「いいぞ」
「ありがとうございますはいパシャ」
「早いわ!」
スマホを取り出した紫野に、流れるような動作で写真を撮られてしまった。
撮った写真を見ているのだろう、紫野はグフフと気味が悪い笑みを浮かべだす。
「私達の間に子供がいる証拠写真、ゲットですね……」
「完全に偽造じゃないか」
「いいんです、この写真を初めて見た人は絶対気づきませんから」
「まぁ、それはそうだけれども……」
「桜田君の妹さんに見せてあげましょう」
「やめてくれい」
アイツ、多分最初はめっちゃ驚く。そして真実を知ったのち、調子乗って両親に見せに行く。
流石の放任主義の父母も、妊娠には動揺するだろうな……。そして家族会議だ。
なんて無意味でくだらない会議なんだろう。学級会の会議レベルに生産性が無い。
ふと、紫野はスマホをおっぱいの谷間間違えた胸元に当てた。大切そうに握りしめている。
「……冗談です。誰にも送りませんし、見せませんよ。今日、桜田君とここへ来れた思い出が手に入って、嬉しいんですよ私」
視線をこちらへ向け、前髪を直しながら照れ臭そうに笑ってみせる紫野。
俺は頭を掻いてから、彼女のスマホを指さした。
「あー、なんだ、その俺にも見せてくれないか? 自分がどんな風に写ってるか見たいというか、さ」
「なるほど、もちろんいいですよ、LINEに送りますね!」
「頼む」
送られてきた画像を見てみる。俺は慌てていて、間抜けな顔をしていた。……正直、こんな写真も悪くはないと思っている自分がいた。
相手は紫野というわけのわからない女だし、背景はアカチャンホ○ポというわけのわからない場所だけれど、俺の青春にも一度くらい、ヘンテコな出来事があってもいい気がした……もうとっくに片手じゃ数えきれないわ。
俺の隣に写るのは弾む笑顔の紫野。目を細め、唇で弧を描いて本当に幸せそうな顔をしてやがる。そして、彼女の右横に小さく見える、店内の入り口には麗奈。
……は?
一度目を擦り、俺は写真に再度目をやった。
そこには確かに一人の女の姿。俺の彼女の――
「あ、通知が」
誰かからLINEの通知。
紫野はちょっとだけ嫌そうに眉根を寄せる。
「デート中、ですよ!」
それはもちろんわかっている。だが、この通知だけはどうしても確認しておきたい。確認しなければならない。
「ああ、ごめんごめん。でもあれ、親からみたいで、急用っぽいんだ。見てもいいか?」
「それなら仕方ないですね……お義父様とお義母様からの連絡ならば」
「……あ、ありがとな」
若干突っ込んで欲しそうに、こちらをチラチラ見上げてきている紫野を横目に、俺は通知をタップした。もちろん両親からではない。
ララだ。
『麗奈、急にいなくなっちゃった! 健康食品見てる時もなーんか様子おかしかったから、マジ気をつけた方が良さげかも〜!』
一体、何が起こっている……?
「紫野、とりあえず一回ここ出た方がいいかもしれん!」
「どうしたんですか? お義父様に一体何が?」
「いやそれはなんというか……」
「あ、桜田君危ない!」
急に俺の背後へ回った紫野。振り向くとそこには……
「麗奈……?」
金髪サイドテールのギャル、姫川麗奈。彼女の瞳には深淵の闇が宿っており、どこを見ているのか全くわからない。ただ明らかに、身体全体からは殺気が溢れ出ている。
その狂気は、あの時の紫野を凌駕していた。
これは……修羅場だ。俺は今、アカチャンホ○ポで修羅場を経験している!
「れ、麗奈……?」
同時に、彼女のスカートのポッケからナイフが取り出された。
……え。
「桜田君、大丈夫です……! 私がいますから!」
紫野は俺の前で両手を広げている。よく見ると身体が震えていた。そこまで俺のことを……少し胸を打たれる。
この状況、全部お前のせいなんだけどね。
「麗奈、ちょっとナイフは危ないって!」
ちょうど店の奥ということもあり、今のところ店員の目には留まっていない。
麗奈がようやく口を開いた。俺の知っている声じゃなかった。
まるで人を呪い殺すような、掠れた低音。
「光哉、随分楽しそうね……」
「いや、これはだな……」
「ううん、……いいの。説明しなくてもぜーんぶわかってるから……」
「どういうことだ」
「今日はそこのクソ女に無理やり連れまわされているんだよね? 知ってるよ。最初からぜーんぶ、ね」
「最初から……まさか!」
麗奈が顔を歪ませた恐怖の笑みを浮かべ、一歩近づいてきた。
「そう、その女とデートが決まったみたいだっかたら、監視のために私もここへ来たんだよ……。友達と遊びに来たわけじゃない」
麗奈の方が
「で、でもなんでデートのこと……!」
食堂で話していた内容を、誰かに聞かれていたのだろうか。
無言でスマホを取りだす麗奈。
端末から、こんな音声が聞こえてきた。
『で、でもなんでデートのこと……!』
完全に俺がさっき言った言葉だ……
「お前、もしかして俺のスマホに何か……」
「そう、光哉の発言、全部こっちに届いてるんだよ……」
「……ちょ、桜田君、この女ヤバイですよ!」
「お前が言うな!」
……ああ、そうか。全て理解した。なぜ麗奈が紫野の告白を知っていたのか、紫野とLINEしていた直後に家にやってきたのか。
俺の発言や独り言が、全て聞かれていたからだ。
いつの間にスマホに細工されたのだろう。
確かに紫野の言う通り、麗奈は相当ヤバい女なようだ。
――姫川麗奈も、ヤンデレ女子だったんだ。
どうして俺の青春はこうなってしまった……!
いや、麗奈の本質を見抜けなかったのは俺だ、自業自得か。
だ、だとしてもイレギュラーすぎるだろ。
アオハルどころかただのホラーじゃないか。
今しかできない経験をしたい、俺はそう思っていたし、今も思っている。
なら、この経験も……ってそんなんで片付けられるか!
いつか遠い未来、もっと大人になった俺は、こんなダークマターみたいな青春を、笑顔で振り返ることができるだろうか。
無理だ。
きっと引き攣った笑みで青春を語るに違いない。
だから頼む。お願いだから……
ヤンデレ女子!! 俺の青春を邪魔しないでくれっ!
ヤンデレに目をつけられた陽キャ、あの手この手で青春を邪魔される。 赤木良喜冬 @wd-time
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