第2話 狂い始める俺の青春。

 悪戯? ガチ? どっちもあり得るな……。でも、限りなく悪戯の可能性の方が高いだろう。


 俺が彼女持ちであることを知っている生徒は多いし、嫉妬とか嫌がらせかもしれない。


 しかし、なんだかこのまま無視して帰るのは気が引けた。この手紙がもしもガチだった場合、これから俺が麗奈の家に行っている間も手紙の彼女はずっと、屋上で俺を待っているのだ。


 麗奈がいるから今は付き合えない、それだけは伝えようと思い、大急ぎで屋上へ向かった。遅くなると麗奈に怒られてしまう。

 放課後の喧騒。

 階段は帰宅する生徒達でいっぱいだ。

 間を縫って進み、屋上の入り口へ到着する。


 中原南なかはらみなみ高校は屋上が開放されているため、鍵はかかっていなかった。


「……え」

「あ、来てくれたんですね……」


 ドアを開けた先にいたのは、予想外の人物だった。


 整った容姿に紫がかった黒髪ツインテール、豊満な胸。

 紫野哀葉しのあいはだ。


「えっと……その……」


 紫野は手を後ろで組み、恥ずかしそうに俯いている。

 だが、すぐに勇気を振り絞るように顔を上げた。


「あの……付き合ってください」

「ちょっと待って、紫野さん!」

「……なんですか?」

「もしかして、何かの罰ゲームとか……?」


 そう、考えざるを得なかった。

 

 クラスでは所属しているグループが異なるため、会話などほとんどしたことがない。それこそ、不調だった彼女に寄り添って一緒に遅刻した時くらいだ。


 紫野は悲しげに目を細めた。


「違います。私、本当に桜田君のことが好きでっ」

「えっと、でも俺達今まで特に何も……」

「――何を言ってるんですか!!」


 紫野は眉根を寄せ、突然に声を荒げた。思わず後退りしそうになる、力強い眼差し。


 彼女は俺に一歩近づいて前のめりになると、諭すように、そして何かを懇願する

かのように、言葉を紡ぎ始めた。


「この前、助けてくれたじゃないですか! 私はそれが嬉しくて……あなたのことが好きになったんですよ!」

「そ、そうだったのか……」


 紫野の熱の籠った言葉に、嘘なんて微塵も見受けられない。

 彼女は本気だ。


 本気で俺のことを想っている。


 ……だからこそ、困った。


 紫野を傷つけたくはないが、俺は彼女の想いを拒否しなければならない。俺には麗奈が……あれ? 紫野、同じクラスだし、俺に彼女がいるってことは知ってるはずだよな?


「つまり二股でもいいと……?」


 そう聞いた瞬間、彼女の目から光が消えた。そして桜色の可愛らしい唇が不気味な笑みを象る。


「くくっ、違いますよ……。私が………………寝取ってやるんです……!」

「え、ちょっと紫野……お前今なんて?」


 ブツブツと小声だったため、聞き取れなかった。なんかとんでもないワードが入っていた気がするが、いやいや、気のせいだろう。


 先程よりも大きく、そして堂々と口を開く紫野。



「私が! 姫川さんからあなたを寝取ってやるんですっ!」



 漆黒の瞳が俺を捉える。

 まるでその深淵に引き込まれてしまいそうで、ゾッとしてしまう。


 これが、紫野の本性……? 普段は教室で友人達と仲良さげに過ごしており、特に変わった言動なども耳にしたことがなかったため、「普通の女子生徒」という印象しか抱いていなかった。


 けれど、今の紫野は「普通」じゃない。


 人として大切な何かが、明らかに狂っている。


 彼女はゆっくりと俺に近づいてきた。


「ふふ、いい顔ですね」


 彼女の手は既に俺の腰に伸びていた。慌ててその腕を掴みながら距離を取ろうとするが、どうも上手くいかない。


「あぁ! もう!」


 俺は紫野を突き飛ばした。彼女はそのまま屋上の柵に背中をぶつけ、尻もちをついてしまった。それでもなお、恐ろしい笑みは浮かべ続けている……。


「……っ、桜田君って意外と乱暴なんですね……そんなところも好きですよぉ」

「もうやめてくれ、俺には麗奈がいるんだ!」

「じゃあ、その姫川さんを殺してあげますよ」

「……は?」

「あのですね……」


 紫野は立ち上がったかと思えば、俊敏な足取りで俺の眼前まで迫ってきた。

 突然に目の前に現れた彼女の恐怖に、俺は後退りする。

 一歩、二歩、三歩……そしてあっという間に、反対側の柵へと辿り着いてしまった。

 すると、紫野は俺の右腕の横にドンと片手をついてきた。背後の柵がザッと音を立てる。逆壁ドンだ……。全然身長は足りていないが。

 

 背伸びをし、耳元に顔を近づけてきた紫野が囁く。


「私達二人の愛を邪魔する者に、容赦なんてする気はないですよ」

「お前、一体何を……」

「桜田君はなーんにも気にしなくて良いんですよぉ。気づけば邪魔者は消えてますから。だからずっと私だけを愛してください」


 押し当てられる、紫野の豊満なおっぱい。世間一般的に、性欲は恐怖に打ち勝つと言われている。よって俺も興奮しかけてしまったが、紫野の歪んだ笑みを見てしまった途端、戦慄が勝った。おかしいな……。


 冷静さを取り戻せば、今、自分のやるべきことも思い出す。

 俺はこんな場所でこんなことをしている場合ではないのだ。早く麗奈のところに……!


「もう時間がない! ごめん!」


 俺は彼女の身体を全力で引き剥がし、両足に力を込めて猛ダッシュで走り出した。


 振り返る余裕などない。


 とにかく昇降口まで走った。


 そこでようやく後ろを確認する。幸いにも紫野の姿はなかったので、きっと撒けたのだろう。もしくは彼女に追う気がなかったか。


 それにしても、まさか紫野があんなに狂った奴だったとは……。 彼女の真っ黒な瞳は今も脳裏に焼き付いている。


 思い出すだけで寒気がした。

 

 まぁ今はそんなことよりも麗奈だ。早く行かなきゃ……。


 ***


 翌日の朝、H Rが終わると俺は机の上で非常にぐったりとしていた。


 腕を枕に突っ伏す。鼻を突くニスの匂い、眼前には木目模様。アイツと目を合わせたくない。


 頭上からはいくつもの声が降り注がれている。


 一つは厚井木太陽あついぎたいよう


「おーい、コウヤー、死んだか?」

「いや……」

「どうしたんだよ、いつもみたいな嘘くさい笑顔見せろよ」

「ちょ、太陽それどういう意味? ……光哉、元気出して! 昨日のおうちデートだって楽しかったじゃん!」


 お次は麗奈が肩を揺らしてくる。そうだな……楽しかったな。アイツを忘れるために、お前を感じまくってたからな。


 だが、結果は刹那的に忘れることができただけで、あの恐怖はすぐに蘇ってきた。なんなら帰り道の時点で既に、俺は「紫野……」と呟いていた気がする。紫野……。


 麗奈のギャル仲間である銀髪ショートカット、鏡音かがみねララが参戦してきた。


「そうだよ! ほら、元気出せー!」

「そう言われてもさ……」

「いつもの君らしくないぞ!」

「……別に俺、普段から元気一杯なわけではなくね?」


 三人が声をかけてくれるのはありがたいことなのだが……。


 つい先程のことである。


 俺が紫野と会いたくないなー、なんて思いながら登校して下駄箱を開けると、そこには再び手紙が入っていたのだ。そして中を確認すると――



『放課後、屋上に来てください。伝えたいことがあるんです。待ってます!』



 手紙を持つ手が震えた。


 用紙も、字形も、昨日見たものにそっくりであった。……確実に、紫野のもの。また告白か? いや、そんなわけはない。俺は確かに紫野を振り払ったのだ。彼女の告白は、どう考えても失敗に終わったはず。


 だからこそきっと、「手段を選ばない何か」が待っている。


 紫野は麗奈を殺すと言っていたが、いくらなんでも、それは脅し文句か何かだろう。


 けれど、常人から一歩外れたような手段で、何か仕掛けてくることは間違いない。


 麗奈のことも守らないとな……。

 

 「コウヤー、どうした? 何か嫌なことでもあったか?」

「いや、まぁいろいろね」

「ふーん。そうか。負けんな!」


 太陽が頭をぐりぐりやってきたところで、麗奈が何やら慌てだした。


「っ! ……あ、もうこんな時間! 急がないと遅刻する! 光哉起きて!」

「ん、どうした?」

「次、移動教室だって!」

「そうだったか、じゃあ行くか」


 すっかり忘れていた。完全に紫野のせいだ。


 ……さすがにいつまでも彼女に頭を支配されているわけにはいかない、気持ちを切り替えよう。雑念に左右されるなんて俺じゃない。客観視は絶対的なポリシーだ。


「ごめん、みんな心配かけたっ」


 立ち上がって微苦笑を浮かべて見せると、太陽が俺の肩に手を回してきた。


「そう、その演技めいた仕草こそ、いつものお前だ!」

「そりゃ、どーも……」


 麗奈が太陽を睨んだ理由はもはや説明不要だ。ララは涙袋のラメを輝かせて明るく微笑んでいる。


 よし、みんないつも通りだ。


 ***


「ね、光哉」


 屋上の柵に手をかけながら、麗奈が振り向く。


「本当に昨日の放課後、先生に呼ばれた?」

「あぁ、もちろんだ」


 清々しいまでに嘘をついた。


 当然だよね、言えてたまるかよ。


 まぁでも実際、何かやましいことがあったわけではない。


 紫野の告白はしっかりと断った。


 彼女の爆乳にも一瞬しか興奮していない。


 それならば、先生に呼ばれていたのと変わりはないのではないか。


 うんうん、全然問題ないわと安堵していると、なぜか麗奈はキッと眉根を寄せて俺を睨みつけてきた。


「嘘でしょ、紫野さんと一緒にここにいたの知ってるよ」

「え……」

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