第14話 姉のプライド
(おかしいわ……ミシェルがかえってこない)
もうとうに、いつもの時刻を過ぎている。ルミナは玄関から外に出た。
(特に遅くなるとは言ってなかったのに)
心配になりながらも通りを見渡していたその時、ふと身体が軽くなった。
「え……なに?」
驚いたルミナは、そこでさらにびっくりした。
「えっ……私、声……」
自分の口から、声が出ていたのだ。
「嘘……なんで」
久しぶりに聞く自分の声は、ひどくよそよそしく、まるで自分の声ではないみたいだった。けど。
「しゃべれるようになった? 今、私……足も、軽い」
軽くステップを踏んでみる。嘘みたいに軽やかだった。
「なんで……何で、いきなり?」
嬉しいと思うよりも、ルミナはまず不安になった。
虫の知らせというのか――胸騒ぎがする。
(だって……古代の悪魔の力は強力で、簡単に解ける呪いではない、って叔父様もミシェルも言っていたわ)
そんな簡単に、効力が弱まるはずがない。ということは。
(呪いが解けるような――何かがあった?)
ルミナはとりあえず家に戻って、ミシェルの部屋のドアを開けてみた。何か手がかりがあるかと思ったが――
しかし、そこは主が不在の、いつもの部屋だった。
しかしざっと見て、ルミナは何か違和感を感じた。
(待って……ミシェルの部屋はいつも片付いてはいたけれど……)
今日はいっそう、片付いている。机にはものひとつないし、ベッドの布もはがされていた。
(ごめんなさい、開けるわね)
嫌な予感がして、ルミナはクローゼットを開けてみた。すると。
「ない……服が1枚も!」
ルミナはつぎつぎに机の引き出しを開け、棚をのぞいたが、ミシェルの持ちものは何一つ残っていなかった。
「どういうことなの……!?」
混乱するルミナの頭に、昨日ミシェルが言った言葉がよみがえってきた。
『姉さまは、とっても素敵なひとだから、きっと、これから幸せになると思うんだ』
『――なかなか会えなくなってもさ、僕のこと、たまには思い出してほしいんだ』
まるで2度と会えないような、あの言葉は、もしかして。
(わからない……わからないわ。ただの思い違いかもしれない。でも……)
――ミシェルはもしかして、自分の身を危険にさらして、ルミナの呪いを解こうとしたのではないか。
いったんそう思うと、いてもたってもいられなかった。ルミナは外套も羽織らずに、そのまま外へと飛び出した。
(私の間違いならそれでいい……! ミシェルが無事でいるか、ちゃんと確かめないと!)
走って走って、ルミナは学園に向かった。事情を説明すると、職員の女性が一緒に彼を探してくれると申し出てくれた。
ルミナは彼女について、暗い夜の地下室前へと移動した。
「ん……? なんでしょう、これは」
扉の前に立った職員は不審な顔をした。
「瘴気を感じる……まさか。下がってください」
彼女はルミナにそう言うと、魔法陣を発動させながら扉を開けた。
「……あれは!」
暗い部屋の中で、紫の魔法陣が光っていた。そこからは黒い煙が立ち込めている。
――一目みて、不吉な煙だとわかる代物だった。
ルミナの脳裏に、あの時悪魔が現れたときの光景がフラッシュバックした。
(紫の光に……黒い影みたいな煙!)
あの時と同じ色彩だ。それだけは覚えていたルミナは、無我夢中で飛び出して魔法陣へ向かっていた。
「ま、待ちなさい! 危険です! 教授を呼んできますから……!!」
職員の静止を振り切って、ルミナは魔法陣の中に入っていた。
「ミシェル!! 聞こえる⁉」
するとどこからか、声が聞こえてきた。
「姉さま……?」
頼りない声だった。ごうごうと吹く風に吹き飛ばされて消えてしまいそうな、遠くから聞こえてくる声だった。
――どうしてかわからないが、ここでミシェルを見失ったら、もう二度と会えない気がした。
なおりたての声で、ルミナは必死に叫んだ。
「どこにいるの! 私も行くから――!」
魔術の何もしらないルミナは、夢中で魔法陣を探るように床に手をついた。するとぐぐっ、と体が反転する感覚がルミナを襲い――
「あ、あれ⁉」
さきほどの地下教室ではなく、ルミナは灰色の荒野に手をついていた。
「ここは……」
見上げると、遠くに2つの影が見えた。
一つは黒い山羊めいた影。そしてももう一つは――
「ミシェル!」
いた。あそこだ。ルミナは立ち上がって、つんのめりそうになりながらも無我夢中で走った。
「姉さま!?」
ミシェルが振り向いた。すると山羊の悪魔も、ルミナを振り向いた。
「おや? おやおや? 今夜はいい日だ。次々と獲物が舞い込んでくる」
にやつつく悪魔は、鎖を握りしめていた。その鎖は、ミシェルの首へとつながっていた。
ミシェルは信じられない顔でルミナを見た。
「姉さま? 本当に、姉さま? どうしてここへ?」
「どうしてって……かえってこなくて心配だから学校まで走ったのよ。ミシェル、もしかして……」
悪魔はかかと笑った。
「そう、その通り。お姉さん。彼はあなたの呪いを解くために、自分の魂を私に売ったのですよ」
がん、と頭をなぐられたような衝撃に、ルミナはよろけそうになった。
「そ、んな……」
「嘘じゃありません。あなたの足が軽くて、声が出るようになっているのがその証拠」
「ミシェル、どうして、そんなこと。私は――」
こんなことになるのなら、呪いなんて解かなくてもよかった。
しかし、ミシェルは答えず、つらそうにうつむいた。
「おやおやご存じないのですか? 美しいお姉さま」
「や、やめろ! 姉さまには何も言うな!」
ミシェルの言葉を無視して、悪魔は嬉々として言った。
「あなたの声が出ないことも、体が不自由なことも、すべて彼が望んだことなのですよ……!」
「え……」
一瞬、何を言われているのかわからなかったが、ルミナの頭の中にトマスの言葉がよみがえった。
『――症状が重くなる時はいつも、弟のミシェルさんがそばにいるときではありませんでしたか』
この呪いは、ミシェルが束縛を感じたときに発動するのではないか。トマスは暗にそう言っていた。
「私は9年前、彼の欲望をかなえる形で契約をしたのです。彼はとにかく、あなたにずっと、ずっと、永遠にそばにいてほしいと望んでいた。だから、他の者と関われないように口をきけず、彼が嫉妬を感じると、勝手に出歩けないように、足に力が入らなくなったのですよ」
悪魔のその説明に、ルミナは目を見開いた。
「ですがまぁ、彼の名誉のために言っておきますと――彼はあなた様がそうなるとは知らずに、私と契約したのです。くくく。自分の暗い願いを私によって暴かれて、かなったにもかかわらず――この男は9年間、ずっと苦しんでいましたからねぇ」
くくくく、と悪魔は非常に楽しそうに笑った。
「ああ、自分の作りだした欲望のせいで、苦しむ人間を眺めるのはやはり格別に楽しかったですよぉ。私との契約で、呪いの内容を誰にも打ちあけることもできず、ずっと一人で無駄な研究に励んでいたのも、面白かったですねぇ。全部全部無意味なのに!
なんと愚かでかわいい生き物なのでしょう、人間というものは」
ルミナは横で悔し気にうつむくミシェルを見た。
するとミシェルはルミナを見て、ぎゅっと目を閉じて、地面に膝をついた。
「ごめん……姉さま、ごめんなさい。姉さまがこの9年間呪いにかかっていたのは、僕のせいなんだ。言えなくて……でも、ずっとなんとかしたくて。それでっ……」
悪魔は蹄でミシェルを小突いて黙らせた。
「こざかしく策を弄して私を倒そうとしましたが、敵うはずもなく、万策尽きて私に魂を売ったわけです。ふっふっふ。もうお前は私のものですよ」
ルミナはただ、驚いて立ちすくんでいた。
「ほら、美しいお姉さま。何か彼にかける言葉はないのですか? 今生の――いえ、永遠の別れですよ。優しい言葉をかけてやりますか? それとも、自業自得だとののしりますか?なにしろ9年間ひどい目にあわされたのですから、そのくらい言ったって差支えないと思いますよ。さあさあぜひぜひ、その口から彼に対するお気持ちをお聞かせください」
鎖でつながれたミシェルに、得意げな悪魔。まるで悪夢のようなその光景を見て、ルミナは――。
(そっか……やっぱり、そうだったんだ)
……悪魔の話を聞いて、ルミナは得心がいった気持ちだった。
甘えん坊だった、10才の時のミシェル。ずっと不安と寂しさを抱えていて、母親代わりにルミナを求めていた。その気持ちに、悪魔がつけこんだのだ。悪魔からすれば、子供の彼を手玉にとるのは、わけないことだったろう。
(悪魔に騙されるみたいな形で……私に呪いがふりかかって、ミシェルは。)
距離を取られてから、ルミナはずっと、ミシェルに冷たくされていると思い込んでいた。 けど、それは違ったのだ。
(ミシェルは私を呪いで苦しめないために、私から離れてくれたんだ。そのうえで、ずっと呪いを解こうと、一人で頑張ってくれてた。それで、それで……)
それで今、ルミナのために、悪魔に連れ去られようとしている。
(――だめ! ミシェルをこのまま、あきらめるわけにはいかないわ!)
ルミナの、たった一人の弟だ。彼の幸せを、成功を、ルミナはずっと願ってきたのだ。
(私を守って、地獄へ行くなんてダメ……! ミシェルを助けないと……!)
弟の一大事になにもできないなんて、姉の名折れだ。
どうなったっていい。ルミナはその覚悟で、悪魔に向かって一歩足を踏み出した。
「止まりなさい。私の弟を返してもらうわ」
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