第7話 呪われているのかも

「はっ……!」

 放課後の研究室。ミシェルは魔法陣の広がる机の上で、はっと目を覚ました。

(また魔法陣の深潜りに挑戦して、気を失っていたのか……!)

 ミシェルは忌々しい顔で起き上がり、溜息をついた。

(理論上はいける。けれど、このままでは魔術量があまりにも脆弱だ……)

 ルミナがかかってしまったのは、人間の呪いではなかった。この世の理を超えた、恐ろしい呪いであった。学校に入学して、進級するたびに研究を重ね、ついにはありとあらゆる呪いを解けるようになったミシェルだったが――ルミナにかかった呪いだけは、自力で解くことは不可能だった。

(この9年間の研究で、それはよくわかった。これは、人間に解ける呪いじゃない)

 しかし、だからといって、ルミナにこのまま呪いを負わせるわけにはいかない。

 ルミナの解呪をする――不可能を可能にするその手段を、すでにミシェルは講じていた。だが、まだ完璧ではない。

(手ごたえは感じている。ただ、ここを突破するには、もっと強い何かがいる――)

 思い悩んでいると、同級生ががらっとドアを開けた

「おーい、もうランプおとす時間だぞ」

 彼はそばまでやってきて、ミシェルの手元をのぞき込む。

「はー。精が出るねぇ。まだ解析できないの、それ」

「8割は完成してる、あと2割なんだ」

 複雑な文様の入り組んだ魔法陣を見つめて、同級生はうーんとうなった。

「お前も飽きないよな。入学してきてからずっとそれを研究してるんだから。部活に入らず、遊びにもいかず、こんな小難しい悪魔の魔法陣の解析」

「僕のライフワークだから」

 言葉すくなにいって、ミシェルは彼を見上げた

「ランプは僕が消しておくから、ルカはもう帰るといい」

「そうもいかない。この研究室の責任者は俺なんだから」

 肩をすくめてそう言われて、ミシェルは仕方なしに、羊皮紙を机の奥にしまい込んだ。

「わかった。帰るよ」

「そうそう、もう遅いしな」

 二人が連れだって校門まで向かっていると、そこに人影があった。

「あ、ルカにミシェル。こんな時間まで居残ってたの」

 数少ない女子生徒のリリアンがそこ立っていた。

「リリアンこそ、遅いね」

 ミシェルがそう答えると、リリアンはきさくに答えた。

「部活よ。ミシェルも、どっか部活入ればよかったのに。運動神経あるんだから」

 ルカは肩をすくめた。

「だめだめ。こいつは愛しの呪いに人生ささげてるから」

 冗談めかして言ったつもりのルカだったが、ミシェルは大真面目にうなずいた。

「その通り」

「取りつかれてるねぇ。ミシェルも呪いにかかっちゃってるんじゃない?」

 ミシェルは呪いの研究は隠すことなく行っていたが、それが自分の姉のものであるという事は言っていなかった。――否、言えなかった。

(姉さまの呪いは珍しいものだ。公表して、姉さまが研究対象にされたり、好奇の目にさらされるのは我慢ならない。それに……)

 ――ミシェルもまた、悪魔との契約に縛られていた。 

 だからミシェルはただ、リリアンの言葉に対して、ふふっと微笑んだ。言いえて妙だ。

「そうかもな。僕は呪われてるのかも」

 ルミナへの執着、という点では。

 するとリリアンは、ちょっと目を見開いたあと、なぜか頬を赤くしてそっぽを向いた。

「もー、ミシェルってば変人。変人のくせに……っ」

 するとルカがリリアンを小突いた。

「いーかげんあきらめろって。いくら顔がよくたって、こいつ呪われてんだから」

「なによぅ」

 二人がなにやら夫婦漫才のようなものをしだしたので、ミシェルは校門についたところで二人に手を上げた。

「それじゃあ僕はこっちだから」

「あ、そっか、ミシェル引っ越したんだっけ」

「そう」

「なんでまたこの時期に?」

「……いろいろあってね」

 ルカがにやにやと詰め寄る。

「えー、いいなぁいいなぁ。一人部屋借りるなんて。どこなの? 上がらせてよ~」

「いいや。悪いがそれはできない」

 ミシェルはぴしゃりといった。するとリリアンが見上げてきた。

「……何か事情があるの?」

「まぁ、そんなところだ。けれど悪い事ではない。むしろ良い事だから、心配ご無用だ」

「いい事⁉ もしかしてコレか⁉」

 ルカが小指を立てる。リリアンがはっとした顔になる。

「コレ……とは?」

 意味がわからないミシェルが首をかしげると、ルカが笑った。

「だから、恋人でもできたのか、って事だよ!」

 ミシェルはふっと笑った。

「そういうんじゃないよ。じゃ、また明日」

 ミシェルは彼らと別れて、アパートへ足早に向かった。

 ルミナが、帰りが遅いと心配しているかもしれないから。



「ただいま帰りました」

 ドアが開く音がしたので、ルミナは手を拭いて玄関まで出迎えた。

 ――なんだか、ミシェルは疲れているようだった。

(もしかして、また昼食を抜いたのかしら?)

「遅くなってごめんなさい。心配した?」

 ルミナは笑顔で首を振ったが、ペンをとってきいた。

『疲れてる? ランチは食べた?』

「ああ、そういえば抜いたかも。でも全然平気だよ。姉さんがその……」

 そこまで言って、ミシェルは言葉を切って、ルミナをじっと見た。

 ミシェルは、ここへルミナが来たときに言った。

『僕のサポートを頼みたいって言ったけど……別に、何もしなくていいんだ。ただ家にいてくれれば。掃除も料理も必要ないよ』

 それならば、なんのために自分を呼んだのかといぶかしがるルミナに対して、ミシェルははにかみ、つっかえながら言った。

『ただ、最近疲れることが多いから……その時、家にいて出迎えてほしいんだ。それで……それで』

 聞こえるか聞こえないかの小さい声で、ミシェルは頼んだ。

『馬車でしてくれたようなこと、してほしい』

 馬車? それって、抱きしめて撫でてあげることだろうか。 

 するとミシェルは、真っ赤になりながらうなずいた。

『……うん。姉さまにそうしてもらえれば、疲れもとれるし……安心して、また研究に戻れるから』

 そう言われては仕方がない。第一減るものでもないし、それくらいならいくらでもしてあげる、とルミナはドンと引き受けたのだった。

(思えば、ずっと一人で都会で頑張ってきたのよね。寂しくなったり、疲れたりするのも当然だわ……)

 だからルミナは、玄関に立ちすくむ彼に向かって両手を開いた。が――

「あら?」

 その時、閉じ切らなかったドアの隙間から、二組の目が覗いていることに気が付いた。

「……どうしたの?」

 すっかり抱きしめられる体勢でいたミシェルは、ルミナの動きが止まったことをいぶかしがった。

(後ろ、後ろ)

 ルミナは後ろを指さした。

「え? 後ろ――?」 

 ミシェルが振り向いてドアをあけると、そこには――

「ミシェル……その人は誰?」

「へへっ、ごめん」 

 ミシェルと同じ制服に身を包んだ、男の子と女の子が立っていた。




 ミシェルの緩んだ甘い笑顔が消え、瞬時に平常時の外向きの顔になる。

「ルカ……リリアン、つけてきたのか」

 ――外向きどころか、それは敵に向ける警戒のまなざしであった。

 その目線を受けて、二人がたじたじとなる。

「や、それはその……」

「心配だったの、その、ミシェルがなにか大変なんじゃないかって」

 しどろもどろの二人に、しかしミシェルは畳みかけた。

「心配ご無用とはっきり伝えたと思うんだけれど。僕は――」

 しかし、怒るミシェルをさえぎるように、ルミナが前に出た。

(だめよミシェル、お友達にそんな怒っちゃ)

 きっと、ルミナの呪いや、しゃべれない事を説明するのが億劫だったのだろう。

 だからルミナは、自分で説明することにした。

 エプロンのポケットから、ペンとメモを出す。

『はじめまして、私はミシェルの姉です。わけあって言葉をしゃべれませんが、歓迎いたしますわ』

「姉さん」

 それを見て、ミシェルが咎めるような声を出した。

 ルミナは、ミシェルに向かって微笑んだ。

(いいじゃない。お友達がきてくれるなんて)

 しかし、リリアンはいぶかしげに聞いた。

「ほ、本当にお姉さん、なんですか……? 失礼ながら、あまりその、似ていらっしゃいませんし、オーラがなんだか……」

 ルミナは目を丸くした。

『そんなことがわかるなんて、すごいですね。私とミシェルは――』

 リリアンを称賛し、説明に入ろうとしたルミナを、しかしミシェルはさえぎった。

「姉さん、メモをしまってくれないか」

 その声が、いつもの数倍、硬く冷たいものだったので、ルミナは仕方なしに従った。

「……リリアン、それは僕のプライベートだ。君もルカも、僕の大事な友人だし、信頼してもいるが、なんでも打ち明けるつもりも、その義務もない」

 するとリリアンはぐっと唇をかんだあと、かっと口をひらいた。

「私には関係ない、って……? だから、知りたいと思っちゃ、ダメなの……?」

 その目尻が赤い。ルミナははっと気が付いた。

(こ、このお嬢さんとミシェルって、もしかして…⁉)

 なんらかの、『特別な感情』が二人の間にあるのではないか。そう察したルミナは、目の前の二人の言い合いを見て申し訳なく思った。

(ああ、私の存在が、二人の青春のお邪魔になっちゃってるんじゃないかしら……!)

 ルミナが説明をしようとペンを取り上げたのと、ルカがリリアンを引っ張ったのが同時だった。

「そ、そうだよな、ミシェルの言う通りだよ。嫌がってたのに無理矢理押しかけて悪かった。スマン!」

 そして、リリアンの腕を引く。

「じゃ、俺たち帰るよ。いこう、リリアン」

「そうしてくれると助かる。では、また明日」

 まだ後ろ髪をひかれるような顔をしたリリアンをひっぱって、ルカはずんずん歩いていってしまった。

 バタンとドアを閉じて、ミシェルははぁと溜息をついた。

「まったく……騒がせてすみません、姉さま」

 ルミナは心配で聞いた。

『良かったの? お友達を追い返したりなんかして……』

「良いも何もないですよ。姉さまが心配することないです。さぁ、食事にしましょう。今日も姉さまの食事を楽しみに帰ってきたんです」

 そう、と首をかしげて、ルミナはキッチンへと小走りで向かった。

 その背を追いながら、ミシェルは唇を尖らせた。

「姉さんを、学園の連中に見せたくなかったのに。ハグだって邪魔されるし……」

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