第4話 姉さまの好きな人


「どうしたのですか、姉妹よ。悩んでいるようですね」

 ミサ後も残って祈りをささげていると、ふと横から声をかけられて、ルミナは顔を上げた。

(トマス牧師様……)

 ルミナは立ち上がって、頭を下げてから、メモを取り出した。

『お気にかけてくださってありがとうございます、牧師様』

 まずはお礼。そして、ためらいつつもペンを走らせる。

『実は、今後の身の振り方について、悩んでおりまして』

 おずおずとルミナがそう書くと、トマスはルミナの横に座り、ルミナにも着席するよう促した。

「なんでもお話しなさい、ルミナさん」

 優しい声でそう言われて、ルミナは迷いつつ手を動かした。

『家から……自立したいのです。でも、なかなか手立てがなくて』

「そうなのですか? なぜ?」

 トマスは少し真剣な顔になっていった。

「そうしろと、言われているのですか」

 ルミナは慌てて首を振った。

『ちがうんです。言われてはいません。でも、私がいつまでもいては、迷惑だと思って』

「なぜ、そう思うのですか」

『私はもともと、引き取られた子どもですし、弟も来年成人します。彼が家督を継ぎ、結婚相手を探す段階になったら……』

 少しペンに力が入ったが、ルミナは書ききった。

『きっと私は、ウインター家のお荷物になります』

 誰だって、嫁ぎ先に呪われた義姉がいたら嫌だろう。ルミナはうつむいた。

 トマスはメモを読んで、一拍おいてから聞いた。

「なるほど。家を出たいけど、手立てがない、と」

 ルミナは恥を忍んで、仕事がない事も、お見合いが失敗に終わったことも、簡単に説明した。

「事情はわかりました。いろいろと頑張っていたのですね、ルミナさんは」

 そう言われて、ルミナの鼻の奥が、ふいにツンと痛くなった。

(やだ、私、こんなところで)

 ――けど、きっと心のどこかで、そんな労いの言葉を求めていたのだ。

 ルミナはつんとくるその衝動を必死に抑えながら、メモに書きつけた。

「ありがとうございます トマス牧師様」

 彼は優しく、ルミナの震える手に、手を置いてくれた。

「大丈夫ですよ。きっとあなたの未来は明るいです」

(牧師様……)

 少し迷ったあと、彼は切り出した。

「ルミナさんが本気で家を出たいとお考えなら、私から一つ、できる提案があります」 

 ルミナははじかれた

ように顔を上げた。

「古来より、教会は、様々な事情を持つ方々が身を寄せる場でもありました。夫を亡くした女性や、病気の方なども。つまり――あなたがが望むのなら、修道院に入り、シスターとなることで家を出ることも可能です」

 ルミナは目を見開いた。

(出家――! 考えたこともなかったわ)

 けれどたしかに、それは一つの選択肢だ。それも、実現可能な。

(修道院に入れば、ウインター家に迷惑をかけることなく、家を出ることができるわ)

 納得するルミナに、しかしトマスは続けた。

「ですが、ご存じの通り、シスターとなることは、俗世を捨てることでもあります。神の花嫁となる覚悟がなければ、きっとその生活は辛いものとなるでしょう。なので、他の方法も考えつくしたうえで、選択肢の一つに加えてもらえればと思います」

 真剣に説明してくれるトマスの誠実さに、ルミナはありがたく頭を下げた。

(選択肢のひとつ……)

 それを選ぶかどうかはともかく、あるだけでも、なんだか心が休まったような気がした。

(牧師様に相談して、よかった……)

 しかしその時、バタンと教会のドアが開く音とともに、声が響き渡った。

「姉さま!」

(えっ)

 ルミナとトマスは、扉のほうへと振り向いた。

 そこには、はぁはぁと息を切らせたミシェルが立っていた。

 ミシェルは二人を認めると、ものすごい勢いでこちらまでつかつかと早歩きしてきた。

「姉さま……ここで何を」

 トマスは立ち上がって、彼に軽く礼をした。

「これはミシェルさん、お久しぶりです。学校はいかがですか」

 その穏やかな笑みに答えることなく、ミシェルは彼をにらむ勢いで――挨拶をした。

「ご無沙汰しております。トマス牧師。ミサの時間は終わりましたよね。姉とここで何を?」

「世間話をしていただけですよ。もうちょうど、お帰りになるところでした。ね?」

 そう言ってルミナを見るので、ルミナは慌ててうなずいた。

(世間話――ではなけど、気を使って、隠してくれたのね)

 修道院うんぬんの話をミシェルがどう思うかはわからないが、決定するまではそうそう口外するような事でもないだろう。

 ルミナは感謝をこめて彼に頭を下げると、ミシェルが言った。

「帰りましょう姉さま、馬車を待たせてあります」

 教会の階段を、ミシェルは怒っているかのようにずんずん歩いていった。ルミナは気が重くなった。

(ああ、またミシェルを煩わせてしまったわ)

 慌てて追いかけようとして、ルミナはふらっとよろついた。

(また、足が……)

 足に力が入らない。ルミナはとっさに立ち止まった。

「姉さん?」

 彼が振り返った。ひどく心配そうな、ショックを受けた顔をしていた。

(な、なんでそんな顔を……?)

 ルミナが倒れる事を心配しているのだろうか。申し訳なくなったルミナは、つとめて平気なふりをし、なんとか歩いて階段を降りた。

 彼について馬車に乗る。向かいに座った彼は、ひどくむすっとした、それでいて不安そうな顔をしていた。

 そこでルミナは、彼の座席の横に、見慣れないつつみが置いてあるのに気がついた。

(……? なんだろう、ブティックの箱……?)

 ピンクの箱に、ミントブルーのリボン。箱のふたには、金文字でお店の名前が入っていた。

 詳しくはないが、一目みて、女性ものであろうと察しがつくものだった。

(ミシェル、買い物にいっていたのね。誰かへのプレゼント……?)

 そこでルミナはピンときた。

(あら! つまり……そういうことね⁉)

 ミシェルにも、こういったものを贈る相手ができた、という事だ。

(まぁ、まぁ)

 相手は誰だろう。どこで知り合った女の子だろうか。ルミナの胸は浮きたったが――だが、寂しいのも事実だった。

(とうとう、そんな時がきたのねぇ……)

 ルミナの抱っこをせがんできた小さいミシェルは、完全な過去のものとなった。

(あの子はもう……どこにもいない)

 ルミナだけを頼って、そしてルミナの孤独も埋めてくれたあの子は、もう大人の青年となったのだ。

 寂しい。胸の奥にひゅうと冷たい風がふいたような気持ちになった。が――ルミナはその気持ちを叱咤した。

(何を寂しがっているの。喜ばしいことじゃない。それに……)

 ルミナは目を伏せて、静かに息をついた。

(それなら、私もますます、自立に動き出さないと)

 これから羽ばたいていくミシェルのお荷物になるような事だけは、避けたい。

 ルミナが密かにそう決心していると、向かいに座ったミシェルがんん、と咳払いをしてルミナを見た。

 ルミナははっとして、メモを取り出した。

『ごめんなさいね。わざわざ迎えにきてもらって。でも、いつも歩いて帰っているからいいのよ――』

 書ききる前に、ミシェルはそれをさえぎって聞いた。

「あの牧師と何を話していたんですか。手を握り合ったりして……」

 その言葉は、攻めるように力がこもっていた。

(え、手なんて……)

 握ってたかしら、と考えこんで、ルミナは彼が励ましで手を重ねてくれたことを思い出した。

(握りあってたんじゃなくて、あれはだた……)

 トマス牧師は老若男女誰にでもそうする。ルミナはそう説明しようとしたが、ルミナの沈黙をどうとったのか、ミシェルは絞り出すような声で聞いてきた。

「姉さまは……あ、あの牧師を、どう思っているのですか」

(……?)

 どういう意味か、ルミナはよくわからなかったが、彼はじっとこちらを見つめてくる。

 ので、ちゃんと答える必要があるだろうとペンをとった。

『尊敬しているし、頼りにしていますよ。ここに来たときから、ずっとお世話になって――』

 するとミシェルの肩がぴくっと動いて――彼はうつむいて、唇をかんだ。

「そ、そうなんですか……」

 彼はか細い声で言った。

「姉さまは、彼が……彼みたいな人が……好き、なのですか」

 またしてもよくわからない質問だった。

(教会に通う人で、トマス牧師様を嫌いな人なんていないと思うけれど……)

 まだ若いのに、説法もうまく、慈愛にあふれた彼を、老いも若きも慕っている。とくに老婦人方からは、アイドル扱いされているくらいだ。

 そんな質問を考える前に、ルミナは目の前に座るミシェルが心配になった。

 なんだか顔色が悪いし、とても具合が悪そうだ。

(大丈夫かしら――)

 そういえば、夏場なのに窓を閉め切っていて空気が悪い。ルミナは彼のためにも、と馬車の小窓を開けようと立ち上がった。

 その時、馬車ががたん! と揺れた。

(きゃっ!)

 バランスを崩したルミナは、前へと倒れこんだ。

「姉さん……っ」

 ミシェルはばっと顔を上げて、慌ててルミナの体を抱きとめるように、支えた。

 とっさのことだったので、その腕の力は強かった。ぎゅっと支える腕が――硬くて、力強い。こわばっているくらいに、固まっていた。

(ああ……本当に、大きくなったのね、ミシェル)

 軽々とルミナを受け止められるくらいに。

 そう実感できるくらいに、こうして身体が触れ合うのは久々のことだった。

(最後にだっこしてあげたのっていつかしら。ああーー声を失う前だわ。もうだいぶ昔のことね)

 ルミナはちょっと感慨深く目を閉じて、起き上がろうとした。

 が。

 ルミナの身じろぎを封じるように、ミシェルの腕はきついくらいにルミナの体を抱きしめた。彼の胸の中に、すっぽり収まるような形になる。

 するとルミナの頭を抱えるように、ミシェルは体を丸めて、ルミナの髪に顔をうずめた。

 ――彼の荒い息遣いを、髪を通して感じる。

「ルミナ……姉さま」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る