第3話 昔は可愛かった

 朝、起きると机の上の手紙がなくなっていた。

(あら? どこへいったのかしら)

 引き出しを開けてみたり、机の下をのぞいたりしてみたが、どこにもない。

(窓の外にいっちゃったかしら……まぁ、仕方ないわ)

 若干肩を落として、ルミナは身支度をして階下へと降りた。

(読み返しても、落ち込むだけだし。なくなって、ちょうどいいかもしれない……)

 『家族に反対された』『申し訳ない』それらの言葉は、厳しいものではなかったが、かえってルミナはしょげてしまった。

(わざわざ反対されたことを、私に伝えてくれなくてもよかったのに)

 うすうす感じてはいたことだが、手紙で言葉にされてしまえば、いっそう浮き彫りになってしまうではないか。

(私が――普通の家庭には受け入れられない娘だ、ってことが……)

 はぁぁとため息をつきたくなるのをこらえて、ルミナは朝食を済ませ、礼服に着替え、教会にいく準備を行った。日曜は、教会で礼拝がある日である。

(――ミシェルはいないわね。どこか出かけたのかしら)

 彼の予定を、ルミナが知るはずもない。成長してから、彼はひどくルミナによそよそしくなってしまったのだ。

 冷遇されているわけではないし、最低限の礼は尽くしてくれる。が、前のような笑顔やおしゃべりをしてくれなくなった。

(きっとそんなものよね、男の子って。でも昔は、かわいかったのになぁ)

 つい、母親のような気持ちでそんなことを思い出してしまう。

 ルミナがウインター家にやってきたのは10才のときだった。その時ミシェルは、まだ7歳。一人っ子で、忙しい父のもと、使用人に囲まれて育っている彼は、7歳という年齢以上に幼く、たどたどしく見えた。

(礼儀作法もしっかりしていて、お勉強も私よりもできて、賢い子だったけれど……)

 他に友達もいないせいか、子供同士のコミュニケーションがどうもぎこちなく、最初はずっと、少し離れたところからルミナをにらむばかりだった。

(最初はどうしてにらんでるのか、不思議だったけど……)

 ちょっとずつ話しかけたり、一緒に過ごしたりするうちに、彼はだんだんルミナになつくようになった。大人の前ではきちんとしていて、チェスの勝負を挑んできたりもする彼だったが、ルミナと二人きりになると、とことん甘えん坊になった。

 ルミナの膝に乗って本を読みながら、彼はよくルミナを見上げて聞いてきた。

『ルミナ姉さま、ずっとうちにいる? 出ていったりしない?』

 ええ、行かないわ。と答えると、ミシェルは安心して、嬉しそうにうなずいた。

 なんでそんなことを聞くのか不思議に思っていたが、ある日使用人のうわさ話を聞いて、ルミナは腑に落ちたのだった。

 ――ミシェルの母は、多忙すぎる夫、ヴィクターと別れて、今は他の貴族男性と結婚して、新しい子供がいるのだそうだ。

(だから、こんなに私に、聞いてくるのね。お母さんのように出て行かないか、って……)

 母を亡くして、もう会えないのと、母が出て行って、別の子のお母さんになっているの、どっちがつらいだろう。ルミナはふと自分の状況と重ね合わせて、思ったのだった。

(そりゃあ、生きているほうがいい、とは思うけど……きっとどちらも辛いのは、変わらないわ……)

 子供ながらにそう思ったルミナは、ミシェルをうんと甘やかしたのであった。

 抱っこをせがまれたら、いくらでも膝にのせてあげた。怖い時は添い寝して、子守歌を歌ってやった。

 不思議と、そうして彼に寄り添って、頼られていると、ルミナの寂しさもいくらか和らぐのだった。

(お父様もお母様もいなくなってしまったけど――今の私には、この子がいる、から)

 膝に、お腹に、彼の温かい重みを感じながら、穏やかな気持ちで、ルミナはミシェルを抱きしめていたのだった。 

 ――そんな風に子供時代は過ぎて、そしてあの事故が起こったのだった。

(あの時からよね、ミシェルがよそよそしくなり始めたのは)

 口のきけないルミナが疎ましくなったのか。それとも、思春期を迎えて、単にもうルミナが必要ではなくなったのか。

 ミシェルはもう前のようにキスもハグも、手をつなぐことさえなくなったし、笑顔も見せなくなってしまった。

(学校に行ってからは、ますます接する時間も減ったし……)

 しかし、これでいいのだ。彼は『姉離れ』し、順調に大人への階段を昇って行っているということだろう。

 教会へ向かう石畳みを歩きながら、ルミナはわずかに微笑んだ。

(だから私も、『弟離れ』と『自立』をしたいのだけど……)

 気を取り直して、どうにか手立てを探さなくては。ルミナはそう思いながら、礼拝席の後ろに腰掛け、いつものように、牧師様のありがたいお言葉を聞くために、耳を澄ませた。


 ◆


「ですから、今後一切、姉への紹介はしないでください、どうかお願いします」

 ビシッと頭を下げてバートン夫人に頼み込むと、夫人は不思議な顔をしながらもしぶしぶうなずいた。

「まぁ、それがお父様――ヴィクター様のご方針ならば、口出しはしませんけども」

「ええ、父もそう言っておりますので」

 嘘八百だったが、ミシェルは笑顔を浮かべて言った。まぁ、と夫人はミシェルの笑顔にほだされてにこっとした。

 ――この顔が役に立つ場面があるのならば、いくらでも使ってやる。ミシェルはそんな気持ちでいた。

 しかし夫人は手ごわかった。世間話の続きのようにつぶやく。

「でも……それでいいのかしら。ルミナさんももう二十歳を過ぎているでしょう。しゃべれないとはいえ、お綺麗で心映えの良い素敵なお嬢さんなのに――せっかくの婚期を逃しますわよ。ヴィクター様は今後のことどうお考えなのかしら」

 ミシェルはぐっと詰まった。が、つまりを飲み込んで、そつなく対応した。

「さぁ、どうでしょう。父の考えることはわかりませんが――決して姉の将来を考えていないという事ではありません」

「そうなの?」

「ええ。我が家は幸い資産もありますし――姉一人の面倒を見ることくらい、わけないです」

「あら、まぁ、それって結婚させないってこと? 本人は――」

 やや強引に夫人の言葉を遮るように、ミシェルは立ち上がった。

「ご理解下さりありがとうございます。あいにく次の予定がありまして、失礼しますね」

 やれやれ、と内心溜息をつきながら、ミシェルは馬車に乗って、指定していたテーラーへ向かった。

(……まったく、おせっかいなご婦人だ。姉さまに結婚なんて、男なんて、必要ないのに……!)

 歯がゆさと悔しさに、ミシェルは拳をぎゅっと握った。

 昨晩、あの男の手紙を見つけたとき、ミシェルは心臓を落っことしてしまったかのように、ひやっと肝が冷えたのだ。

 ――本当は、いつも怖い。

 ルミナがいつか、自分以外の、大人の男と、恋に落ちるなんてことがあったら。

(お見合いならまだいい。防げる。でも……ね、姉さまが、自分の意思で……い、家を出ていく、なんて言ったら)

 果たして、その時自分に、引き止めるすべはあるんだろうか。

 そう思うと、すーっと手足の先が冷たくなっていく。

(い、いや、ダメだ。そんなことは起こさせない、考えるな、考えるな…!)

 ミシェルは自分に言い聞かせながら、止まった馬車を降りて、適当に指定した街のブティックへと足を踏み入れた。

(……こんなところにくるのは、初めてだな)

 淡いパステルカラーで統一された店内には、男女のカップルや、複数の女性客でにぎわっていた。

「何かお探しですか」

 さっそく女性店員が声をかけてきたので、ミシェルははきはきと伝えた。

「女性用の髪飾りを探しているんですが」

「ご希望のお色などはありますか?」

「……」

 黙して、ミシェルは考え込んだ。

 ――姉さまに似合う色は、どんなだろう。

 手触りの良い、ヴェルベットのような艶のある黒髪。白い頬に、神秘的な紫の目。

(やはり紫かな。父様は、菫色や白をよくプレゼントする)

 しかし、それは例の男も、同じ色を贈っていたのだ。

(嫌だ。別の色がいい)

 ルミナに似合い、それでいて、あの品より上等で使いやすいものがいい。

(もう二度と、あれらを身に着けたくなくなるような、ね!)

 そこでミシェルは聞いた。

「……特別なものなので、作りの良いものがいいのですが。既製品でなくても良いから」

 こんな、店頭に並んでいる安物より、ルミナには特別な品がふさわしい。

 すると店員はかしこまって、次々と髪飾りも持ってきたので、ミシェルはじっと眺めて決めた。

(姉さまの、あの黒髪に合うのは――)

 赤もよさそうだ。青もいい。だが、ミシェルの目に、淡く透けた薄紫のリボンが目に入った。

「これは……紫色、ですか?」

「はい。この夏の新作、オーガンジィのリボンになります。角度によって色が変わる、不思議な素材なんですよ」

 半ばすけて、つやつやとオーロラのように光るそのリボンは、ルミナの夜空のような黒髪によく似合う気がした。

「では、髪かざりはこちらを」

「かしこまりました」

 選択した品々を包んでもらいながら、ミシェルは安心と、ほのかに胸が沸き立つ感触を感じていた。

(これで姉さまも、あれらを身に着けないだろうし……)

 渡したら、喜んでくれるだろうか。想像すると、思わず頬が緩む。

 ルミナが喜ぶ、その顔が見たかった。けど。

(受け取ってくれる……かな)

 昨日会ったときも、緊張してひどくそっけない態度をとってしまったのだ。

 結局、まだ話もできていない。

 ルミナは、ミシェルの『提案』を、受け入れてくれるだろうか。

(もし……ぜんぶ断られたりしたら、どうしよう)

 ミシェルは急激に不安になったのだった。

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