第2話 虫がついた

きっと、ルミナにとってあまり喜ばしい話ではないにちがいない。

 やるせない気持ちで、ルミナは馬車に乗り込んだ。

 が、うつむきながら家に戻ると――玄関ホールのテーブルの、銀製のトレイの上に、ルミナの目は吸い寄せられた。

(手紙が届いてる……シュナイザー様から? さっきの今、手紙が?)

 ルミナは手紙を取った。するとミシェルが気が付いて振り向いた。

「姉さまに手紙? 誰からですか」

 鋭い目だった。

(ミシェルは……私がシュナイザー様を親交を深めた挙句……お見合いに失敗したことを知ったら、どう思うかしら)

 この姉を厄介払いできないのかと思って、きっと溜息をつくだろう。

 そう思ったルミナは、微笑んで首を振り、手紙を隠すように懐にしまった。 

『たいしたものじゃないわ。お話、あとで聞くのでいいかしら』

 逃げるように自室に引き上げながら、ルミナはふらりとよろけて壁に手をついた。めまいがして、目がかすむので、目を閉じて深呼吸する。

(ああ、また身体が変だわ……)

 呪いを受けてから、ふいにこうして足や手が氷りついたように動かなくなる時がある。

 きっと一種の後遺症なのだろう、とルミナは受け止めていた。

 動きずらい体でようよう自室へと引き上げ、ルミナはドキドキしながら、手紙の封を切った――。

 (あら、まぁ)

 読み終わって、ルミナはなんだかがっくりと肩の力が抜けてしまった。

 階下から夕食の声がかかったが、ルミナはそんな気になれなくて、メイドのアンにたいして首を振った。

『ごめんなさい。体調が優れないから、夕食は遠慮するわ』



「一体姉さまに何があったんだ」

 ひとりぼっちの夕食の席で、ミシェルは食事に手もつけず、メイドを問い詰めていた。

「ですから、ルミナお嬢様は体調がすぐれないと……」

「なぜ? 風邪か? それとも他の原因が?」

「い、いえ、理由はおっしゃっていませんでしたが……」

 しどろもどろに仕事に戻っていったメイドをしり目に、ミシェルはぶつぶつつぶやいた。

「顔色も足取りもいつも通り。風邪の類ではなさそうだった……」

 ミシェルは先ほどの姉の服装をつぶさに思い出して分析した。

 (去年お父様が与えていた菫色のドレスに、レザーの編み上げブーツ、それに僕が知らない、白い髪飾りをしていた)

 髪飾りは白のリボンに薔薇の刺繍が入ったもので、ルミナの黒髪に良く映えていた。

(今まで見たことがない、新しいものだ……僕が学校で研究にかかりきりだったこの数か月の間、新しく姉さまが手に入れたものに違いない)

 ルミナが自分で買ったとは考えにくい。ルミナは自分のものをほとんど欲しがらず、もともと持っていた古いドレスですべて衣類を間に合わせていた。それで去年見かねて、父ヴィクターが彼女にドレスや靴を1ダース買い与えたのだ。

(そんな姉さまが、装飾品を自分で買うわけがない。となると……)

 あの品は、誰かからのプレゼント。

「っ……!」

 歯を食いしばる。握っていたグラスが、力を入れすぎてパリン、と砕けた。

「坊ちゃま、どうされました」

 給仕についていたチャールズがあわてて確認をする。が、ミシェルは上の空だった。

「……チャールズ。今日姉さまがどこに出かけていたか知っているか」

 ガラスを拾い集めながら、チャールズは即刻首を振った。

「い、いえ、存じませんが」

 首を振るのがいささか早すぎる。ミシェルは彼をにらんだ。

「――嘘はよくないぞ。正直に言うんだ」

 するとチャールズは、目をそらしながら言った。

「……本当に知りません。ただ、バートン夫人ご紹介のご友人と会っているとかで……」

「バートン夫人」

 ――近所でも評判の、世話焼きのご婦人だ。あだ名は、『お見合い仲介のプロ』。

 その事態に、ミシェルの血の気が引いた。

(嘘だろう、姉さまが、そんな)

 ミシェルはフォークを置いた。もう、夕食どころではなかった。


 夜半、ミシェルは姉、ルミナの部屋の扉の前にそっと立った。

 2階の奥の、一番日当たりの悪い部屋。この屋敷に来た時、ルミナが自分で選んだ部屋だった。

 ――昔はこのドアを開けて、ルミナはよくミシェルを迎え入れてくれたものだった。

 両親を亡くして辛いだろうに、まとわりつくミシェルを、まるで本当の弟のように笑顔で相手をしてくれた。

 チェスをせがめば何度でも遊んでくれたし、雷が怖い時は抱きしめて歌を歌ってくれた。

 嫌な顔一つしなかった。そう――ミシェルのせいで、声を失ったときも。

 9年前に起こった事故のせいで、ルミナは声を失ってしまった。

 公には魔術アイテムの事故という事になっているが――実はこの呪いは、ミシェルの不始末によるものだった。

 事情があり、そのことをルミナ自身は知らない。けれど、ルミナは誰を恨むこともなく、逆にミシェルや叔父を気遣ってこの9年間を過ごしていた。

(僕のせいで、何も悪くない姉さまが、呪いにかかってしまった――)

 だからもう、自分は二度と、ルミナと深くかかわってはいけない。

 ――それ以来、ミシェルはそう決めて、ルミナと距離を置くことにし、家から遠くの魔術学校に入った。

 だから、この目の前の扉を、それ以来自分からノックしたことはない。

(姉さま……ごめんなさい。姉さまの呪い、必ず解く方法を探すから……)

 わざわざ都の魔術学校に入学したのは、最高峰の設備や教授のそろった環境で、その研究をするためでもあった。

 ミシェルは恋愛にも遊びにも目もくれず、持てる時間のすべてを使って――呪いの解析に時間を費やしていた。

(それまでは……どうか、この家の、僕の『姉さま』でいてください……)

 ミシェルが今回、久しぶりに家に帰ってきたのは、呪いを解く方法に、ようやく目途が立ったからだった。

 ミシェルは、呪いを解くため、姉に『ある提案』をするつもりだった。それで、週末汽車にのって、戻ってきたのだ。

 だが――。

(まさか、僕の知らない間に、姉さまに虫がたかっているなんて……!)

 真面目なルミナが、自分から男性にアプローチをするはずがない。

 きっと優しく口のきけないルミナは、寄ってくる男に対して、断ることもできずに困っているのだ。

 か弱い姉を守るのも、弟である自分の役目だろう。

 ごめんなさい、と心の中で一言断ってから、ミシェルはそっと、ルミナのドアの鍵を魔術で解除して、中へと滑り込んだ。

(……よかった、姉さま、寝ている)

 ルミナは、ベッドの上で横になって眠っていた。ミシェルはしばし横に立って、その寝顔を見つめた。

 窓から差し込む月の光に照らされて、そのミルク色の頬や首筋はまるで、内側から柔らかく光っているかのように見えた。

 まるで真珠貝のよう。けれどきっと触れたら温かく、やわらかいに違いない。まるでルミナの心そのもののように。

 指先で押せば、その分へこんで、やわらかくミシェルを受け入れてくれるのだ。

(姉さま……)

 触れたい。その気持ちに抗いきれなくて、ミシェルは思わず彼女の頬に手を伸ばした。

 自分の形を残したいとは思わない。ただそっと指を添わせて、彼女の体温を感じるだけでいい。

(僕の……僕の姉さま)

 また、抱きしめてほしい。触れ合いたい。昔みたいに。

 ――が、ミシェルは触れる直前で、その手を止めた。

(……ダメだ。姉さまに触れないって、決めたじゃないか。それに、こんなことをしにきたんじゃない)

 ルミナともう関わらないと決めたのは、過去の自分なのだ。

 ぐっとこらえて、ミシェルは部屋を見回した。すると目当てのものは机の上にすぐみつかた。

 机の上に置いてある、開封済みの手紙を、音を立てないように手に取って開く。

(一体……誰からの、どんな手紙だ……)

 思わず眉間にしわを寄せながら、厳しい顔で手紙の内容をチェックする。

(親愛なるルミナ……ルミナ⁉ 姉さまを名前で……ッ、勝手に)

 頭に血が上る。しかしそれに続く内容は、さらにミシェルを激怒させた。

(セントラル公園に、レストラン、ブティック……それに……け、結婚……だと⁉)

 シュナイザーなる男性は、ルミナとの思い出を、未練たらしくつづっていた。そして最後は、君と結婚したかったが、家の反対にあって断念せざるを得なかった、君の気持ちをいたずらにもてあそんでしまったこと、どうか許してほしい――という謝罪でしめくくられていた。

(くそが……ッ)

 読み終わった瞬間、ミシェルは激高し、手紙を魔術で燃やしていた。

(こんな男が僕の姉さまと……結婚の話だなんて! ありえない……ッ!)

 やはり髪飾りは、この男が贈ったものだった。ミシェルはいますぐ家探ししてそれらを消し炭にしたい衝動に駆られた。

(しかも、『家の反対』だと⁉ よくもっ、よくも僕の姉さまを……!)

 許せない。ルミナに近づいたことも許せないし、傷つけた事も許せない。しかしミシェルは深呼吸をし、冷静になろうと努めた。

(落ち着け。怒ってもどうにもならない。もうこの男が二度と姉さんに近づけないように――それに、他の男も絶対に寄ってこないように手を打たないと)

 口がきけないことなど、わずかな瑕疵でしかない。放っておけば、またルミナというかぐわしい花にたくさんの虫が群がってくるに違いない。

(なんて危ないんだ……姉さんは口がきけないんだぞ。もし襲われても、叫べないんだ! そんな令嬢に男を紹介するなんて……バートン夫人もバートン夫人だ。彼女に、紹介は無用と釘を刺さないと。それに明日――ちゃんと姉さまに、話をしないと)

 他の男からの忌々しい贈り物を、ルミナが身に着けていると思うとむかむか気分が悪い。ミシェルは唇をかみながらルミナの部屋を後にした。

(こんど――もっといいものを姉さまに贈ろう)

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