鬱蒼と晴れ

酒麹マシン

贖罪

変な少女に会った。


 闇が渦を巻く森の木々の中にポツリとできた、光のギャップの中で、彼女は艶やかな黒髪を風に靡かせて立っていた。


 シルクのワンピースよりも白く透き通る滑らかな肌質と、静かに流れ大地をひっそりと潤す小川のように澄んだ黒い瞳。

そして肩幅を優に超えた大きな麦わら帽子をかぶって、光の中に溶け込もうとしているようだった。


 彼女は沈黙のまま、誘うような雰囲気を、僕へ向ける視線で醸し出してくる。


 真顔と微笑みの間のような不気味…でも彫刻のような荘厳な美しさを纏う顔色。木々のせせらぎに劣らぬ爽やかさをもったその姿が僕を射止めた。


 彼女を見ると、まるで体の内側から水々しい何かが邪念を削ぐような、洗われるような感覚に包まれる。


こうして僕は、この自然に溶け込んでしまいそうな程に心と体が研ぎ澄まされた。

 

彼女と一瞬、視線が交わった。

  

すると彼女はくるっと森の向こうへ体を向けて歩いて行った。

「着いてきて」というような素振りだろう。


接続の悪い通信のような、辿々しい足取りで彼女を追う。


禍々しいほどに薄暗く、あらゆる生物が蔓延る獣道をやっとの思いで潜っていく。

途惑う俺に対して、彼女の後ろ姿はびくともしないまま、小川の水さながらの足取りで草の匂いがむんむんと薫るカオスな道を歩んでいく。

着いた先は山躑躅の群れの中。

なぜかふかふかとした土が足元に広がった。


「私のお母さん。ここに居たのよ。」

 彼女は歩みを止め、ただ一点、土の表面を見下ろして言った。


なぜそんな行為をしているのか僕には理解ができなかった。


「知ってるんでしょ」

 彼女はまだ見下ろしたまま問いかけてくる。

 

当然、僕は何も知らない。

 

彼女は何事もなかったかのように地面に何かを探し始める。


「お母さん、多分この辺なんだよなぁ」


足元の土をしゃがんでよく見た。俺も追いついて彼女の隣へ座り込む。


目の前にあるのはただの土。彼女はそれを何とも言えない表情で眺める。

彼女の目は淀んでいた。


そして土を一掬い両手で拾い上げると、それを差し出し、こう語りかけてきた。

紛れもなくそれはただの土。焦茶色で、ふかふかの土。


そしてそれをもって、体をのそのそとこちらに向け、俺の目を見て言った。


 「食べて」

 

彼女はそう言って、麦わら帽子から刺す眼差しをこちらに覗かせた。

 

 「ずっと待ってたんでしょ」


……どういうことだ?

 

彼女が僕の額に息を吹きかける。

すると、脳内に矢継ぎ早に映像が流れ込んできた。

 

 知らない場所、知らない人々、朽ちた畑、腐乱した果実、むせかえるほどの酸っぱい匂い。


そして今、目の前にいる少女。


しかし彼女は畑の畝に頭から血を流して倒れていた。


 脳内のステレオ画面に映し出されたそれらの映像は、紛れもない自分自身が見た映像だった。


そうだ、僕は彼女を殺していた。


 持っていた鍬で、咄嗟に彼女の頭部めがけて振り落とした。

生ぬるい体液がびちゃりとツナギに染み込んだのを、身体が覚えている。


僕が走馬灯の中でふらつく。俺はそうして倒れ込みそうになった自分の体を立て直した。

 

「思い出した?」


 彼女は立っていた。

麦わら帽子の影が透け暗くなった顔で先ほどよりも一層声を低くして響かせる。


逃げなきゃ。


いや、逃げたいと思うのはなぜ?


それすらもわからない。


でも、先ほどの走馬灯を見た時、彼女も俺と同じような匂いがしたんだ。


だからこそ、逃げないといけない。


わかってる。

本当は、この罪と向き合わなければいけないことなのだと。

だが、彼女のもっているその土がそうさせないのだ。


僕の心の裏側にいる本能が、叫んでいる。


“彼女に土は触れさせるな”と。


土を救う彼女の手は一向に下がらない。

そこにいて、俺に静かに何かを訴えようとしているようだった。


この世界の、どんなにけたたましいものでも置き換えられないような叫びをはらむ沈黙が、そこには存在していた。



 離れようと思っても足が動かない。

まるで足裏から根が生えたように、動かそうとすると何かが地中から引き摺り下ろそうとしてくる。

逃げようとすると足裏の表面がごっそりと剥がれてしまうような痛みが襲ってくる。



あ、あの時と同じ感覚。




「逃げないでよね、あたしはあんたの事を――」



 俺の意識はそこでプッツリと途切れた。

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鬱蒼と晴れ 酒麹マシン @aiaim25

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