15.炎上

 巨艦〈紅海神クリムゾン・ラーン〉のブリッジでは、仮面の参謀姉妹がバンシャザムの特殊降下部隊に出撃命令を下していた。


「ナバータ将軍。ゲート離脱後、直ちにドロップシップ発進。ブラック・バードの着陸ポイントを確保してください」

 通信オペレーターが報告した。

「参謀殿、ユーナス艦隊から抗議の通信が入っております。本艦が作戦遂行の障害になっていると……」

 双子の妹、ヌカカ=キ・ラが手を振りながら応えた。

「あー、無視して無視して。それとドロップシップの進路を塞ぐなと言っといて」

 姉のクナナ=キ・ラはブリッジ中央の貴賓席に座したこの艦の主に声をかけた。

「姉様、私たちもそろそろブラック・バードへ……」

 クナナは、従姉妹があらぬ方を向いたまま静止しているのに気づいた。

 艦の左舷。そちらに開いた展望窓の外をじっと見つめている。だがそこには星も船もない、漆黒の宇宙空間が広がっているだけ。

「姉様?」

 レディ・ユリイラは静かに誰にともなく囁いた。

「少し……間に合わなかったようですね」


 一方のスター・サブでも、空里が巨艦を映すビュースクリーンを凍りついたように見つめたまま呟いていた。

「あのひとがいる……」

「陛下、スター・サブの探知遮蔽クローキングは完全に機能しています。可視光透過システムも動作しているので、向こうからはこちらを見ることもできません」

 ミマツーは、空里の呟きが〈紅海神クリムゾン・ラーン〉の威容による不安から出たものだと考え、彼女を安心させようと声をかけた。

 だが、空里ははっきりとレディ・ユリイラの存在を感じていた。

 赤い艦体の上部にせり出している、収納可能な可動式ブリッジ。そこに開いている展望窓。その奥でこちらを向いている仮面の貴婦人──。

 空里の意識には、その姿が視覚を超えたイメージとして像を結んでいた。

 なぜ、こんなにもはっきり彼女を感じるのか?

 それだけでなく、不思議なのはユリイラの方も見えないはずの自分の存在を察知しているのがわかることだった。

「……私を見ている」


 その時、ビュースクリーン上を横切る巨艦〈紅海神クリムゾン・ラーン〉の陰から、白く輝く何かが現れた。

 星百合スターリリィ──

 惑星〈天翔樹アマギ〉が擁する星百合スターリリィはそれほどの大きさではなかったが、静かにその衛星軌道を漂いながら星々に続く道を守り続けているようだった。

 私と……レディ・ユリイラと……星百合スターリリィ……

 空里がその重なり合う三者の間に何かを感じかけた時──

「リリィ・ドライブ始動。スター・ゲート進入開始!」

 力強いネープの声が、彼女を物思いの沼から救い出すかのように響いた。


 スター・サブは星百合スターリリィの門をくぐり、超空間へと消えていった。


「対面側スター・ゲートに突入反応。何者かがゲートを通過しましたが、船影確認できません」

 センサー要員の報告にレディ・ユリイラはゆっくりと正面を向くと、涼やかな声で言った。

「作戦中止。〈鏡夢カガム〉に引き上げます」

 ブリッジの全員が静かな驚きに包まれながらその命令を実行に移す中、標的の逃走を悟った双子の姉妹はすぐにオプションを起案していた。

 クナナが言った。

「姉様、スター・サブの捕捉は困難ですが、追い抜くことは可能です。〈無天函ファルカン〉へ先回りすることもできますが?」

 双子の敬愛する従姉妹は、いつもの冷たさに深い虚無感の混じった声で応えた。

「私たちは、もっと先でことを構えなければなりません。恐らく、行き着くところまで行くことになるでしょう」

 そこで間をおき、レディ・ユリイラは謎めいた言葉を囁いた。

 

「今度も……」


 * * *


 〈天翔樹アマギ〉宙域からの短い超空間航行を終えたスター・サブは、〈迷標岩マズルグ〉星系の外縁部に到着した。


 惑星〈無天函ファルカン〉への道のりは、ついにあとスター・ゲート一つの通過を残すのみとなった。〈無天函ファルカン〉宙域に続く超空間路リリィウエイに入るには、唯一このゲートを通過するしかない。

 だが、この星系の出発側ゲートは到着側と遠く離れており、亜光速による約三日の行程を経なければならなかった。すでに審判の期限までギリギリのタイミングだ。


「とはいえ、ここまで来ればもう勝ったも同然だろう」

 スター・サブの食堂で皿をつつきながらミ=クニ・クアンタは空里に語りかけた。

「そうならいいんですけど。肝心の審判にちゃんと合格できなきゃ意味ないですよね」

 空里は応えながらスプーンを口に運ぶ。ミマツーが作ってくれた地球風キムチチャーハンは、地球からデリバったと言ってもおかしくないほど馴染みのある味で美味しかった。

「心配いらんよ。原典管理師クォートス審判は虚偽や隠蔽を一切許さない厳しいもんだ。だからこそ、こちらの勝ちは揺るがんだろう。何しろ、本当のことを答えればいいだけなのだから、な」

 少々大げさなほど自信満々の態度を示すクアンタに、空里は自分への励ましを感じた。

「じゃあ、問題はその後ですね。〈天翔樹アマギ〉でいろんな人に会って、銀河皇帝の仕事について考えてたんです。この先、銀河帝国をどうやっていい国にしていけばいいのかなって」

 クアンタはスプーンを持つ手を止め、空里に真摯な眼差しを向けた。

「どんな人々と出会ったんだね?」


 空里は惑星〈天翔樹アマギ〉での経験を語り出した。

 到着早々に陥った危機に、ルパ・リュリとの出会い。宿屋の手伝いに、土地問題の仲裁。ジャナクの〈試し〉に、彼女とチニチナの駆け落ち……

 特にキリク兄妹の面倒を見るルパ・リュリへの尊敬の念は、強くクアンタに訴えた。

 

ルパ・リュリあの人や、あの人と同じような志を持った人たちを、なんとか支えてあげられないかなって思うんです。それができれば、チニチナや力のない人たちの自由にもつながるかもって。漠然としてるけど、全部ひと繋がりの問題のような気がして……」

 じっと話を聞いていたクアンタがおもむろに禿げ上がった頭をかくのを見て、空里はちょっと恥じらんだ。

「……これってやっぱり、青臭い理想論ですか、ね?」

「いや、そうは言わん。国を統べる者が理想を掲げるのは当然だ。むしろ帝国の形をより成熟したものにするためには重要な課題だと思うよ。だが、いかな銀河皇帝とはいえ、その理想を一人で実現することはできん。そのためには、多くの協力者が必要だ」

「協力者、ですか」

「生々しい言い方をすると、バックだな。アサトに政治的な支援をしてくれる政府や組織。機関。団体。そういった力を持った人間の集まりだ」

「なるほど……」

 クアンタは椅子の背当てにもたれかかり、腕を組んだ。

「難しいのは、そういった人々はなかなか理想だけでは動かないということだ。皇帝として、彼らにどういううまみベネフィットを与えられるか。そこが問題だ」

 今度は空里が腕組みをして天井を見上げた。

「見当もつきません……」

 先は長そうだ。

 今、自分の味方はこの艦に乗っている人たち。そして大勢のネープたちとゴンドロウワ軍団だけ。でも、そこをスタートにしてなんとかやっていかねばならない。


 食堂の入り口が開き、その希少な味方のうちの同じ顔をした二人が現れた。

「あ、ミマツー。チャーハン、めっちゃおいしかった! ごちそうさま!」

 いつもならドヤ顔で謝意を述べるミマツーは、無言のまま一礼した。隣に立ったネープともども、恐ろしく深刻な顔をしている。

 普段、迷いなど全くない完全人間たちが、なぜか話をどう切り出したらいいか迷っているように見える。

 思わず空里の方から声をかけた。

「……どうしたの?」

 ついにネープが空里の方へ近づき、口を開いた。

 

「〈天翔樹アマギ〉が……燃えています」

「……えっ?」


 はじめ、空里はその光景を「きれい」だと思ってしまった。

 ブリッジ中央の空中に浮かんだ映像は、夜闇の中で燃え上がる炎と、舞い飛ぶ無数のオレンジ色をした光に彩られていた。

「一時間ほど前のオロディア市の映像です。帝国の緊急情報と共に高次空間波ハイパーウェーブネットに流れてきました」

 ネープはそう言って言葉を切った。

 映像に目を凝らすと、空里には次第に見えているものが恐ろしい光景であることがわかり始めた。

 燃えているのは、オロディア市の街並み。

 その地上や空中をたくさんの人や乗り物、動物たちが逃げ惑っている。

 そして、おびただしい量のオレンジ色の光が、それら動くものたちに接触し──

 ──あっという間に炎に包んでいるのだ。

「パイロバグです」

 ネープが説明を続けた。

「ユーナシアンが造った生物兵器で、人間や乗り物など動くものを感知して取り付くと、プラズマ状の熱線を放って何でも焼き尽くします。小さくどこにでも潜り込めるので、地下などの拠点攻略に使われます」

「拠点攻略……って、町中を焼き尽くしてるじゃない! 逃げてる人たちも軍隊じゃないでしょ!」

 空里の声は戦慄に震え出していた。

「侵攻軍がザニ・ガンの秘密基地に対してパイロバグを大量に投入したのですが……ザニ・ガン軍の反攻で生物兵器ユニットの司令船が破壊され、完全に制御を失ったそうです。ユーナス軍もなすすべがなくなり、撤退を開始しています」

 映像が上空を映したものに切り替わり、浮上するユーナス軍の揚陸戦闘艇を捉えた。だが、それも無数のパイロバグに取り付かれ、船体のあちこちを焼き破られてバランスを失い、遂には沈むように墜落していった。

 地上に激突した揚陸戦闘艇は大爆発を起こし、火災がさらに大きくなっていく。

 宇宙船ですら逃げられない!

 再び映し出された街の情景は地獄絵図だった。

 ユーナシアンらしい女性が、あっという間に炎に包まれる。あれはルパ・リュリ? 倒れた子供たちにパイロバグが群がる。あれはキリク? サリナ?

 いや、いや、いや、そんなはずはない。

 そんなことがあっていいはずがない。

 これ以上見ていられない、と空里が思った時、画面が切り替わり帝国の情報図形インフォシェイプ画面に切り替わった。

 その説明によると、映像はここで終わり。実況していたドロメックも全て焼き尽くされたからだった。

 侵攻開始から〈天翔樹アマギ〉の大気圏を離脱した船は、ユーナス軍の揚陸戦闘艇八隻のみ。そのうちの何隻かは行方不明。

 地上での生存者は皆無と思われる──。

 

「何ということだ……」

 クアンタのうめきで我にかえった空里はネープに向き直った。

「すぐに引き返して! みんなを助けなきゃ!」

 ネープはこれまでにないほど強く空里の瞳を見返しながら言った。

「今から引き返してもできることはありません。我々だけでなく、何者にもできません。パイロバグが十二時間の寿命を終えて機能を停止するまで、近づくものは全て焼き尽くされます」

「じゃあ、その後で……」

 涙を流す空里の二の腕を、完全人間の少年は強く握って引き寄せながら言った。

「アサト! しっかりしてください! それでは審判に間に合わない。やるべきことの順番を忘れてはいけません。それがあなたの務めです。あなたは銀河皇帝なのです!」

 空里は追い詰められた小動物のように、わななきながら懇願した。

「じゃあ……じゃあ、〈青砂〉からネープたちを派遣して。あれが止まったら救助を……」

 夫の声には地底ちぞこから響くような重さがあった。

「ネープの務めは、あなたとあなたのそばにいる者、そして〈法典ガラクオド〉を護ることです。それ以上のことは、できません。例えあなたの望みであっても……」

 空里はうつむきながらネープの腕を解き、よろよろと通信席に歩み寄ると一つのスイッチをバンと強く叩いた。

「ジューベー!」

 間髪を置かず、人造人間ゴンドロウワ軍団のリーダーが立体映像として現れた。

「ジューベーであります」

 恐らく、この空里とのホットラインにすぐさま応答できるよう、常時通信システムの前で待機していたのだろう。だが、今の空里にその忠義を労うゆとりはなかった。

「ゴンドロウワ艦隊、全艦出撃! 目的地は惑星〈天翔樹アマギ〉。安全を確保の上、直ちに生存者を捜索。一人残らず救出して。邪魔する者は……!」

 空里の悲嘆は、いつの間にか怒りに転化していた。

 自分は何に怒っている? 邪魔する者などいるのだろうか? そうではない。こんな事態を引き起こした全てに怒りを覚えているのだ。

 そして何より、銀河皇帝という立場にありながら何もできない自分の無力さが悔しくてたまらないのだ。

 自分でも思わぬ言葉に、少しだけ冷静さを取り戻す。

「……邪魔する者がいたら、銀河皇帝の名前を出して退がらせなさい」

 あまりに大雑把な命令だったが、ジューベーはしっかりと復唱した。

「了解であります。ゴンドロウワ艦隊は惑星〈天翔樹アマギ〉へ出撃。生存者の救出を実行します」


 ジューベーの姿が消えると、ブリッジは長く重い沈黙に包まれた。

 やがてネープが妻に歩み寄り、さっきとは全く違う優しさでその肩に手をかけた。

 空里の喉から堰を切ったように泣き声が溢れ出し、滂沱の涙と共にネープの胸を濡らす。


 空里の慟哭は二十分続いた。

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