第15話 巨大竜巻

 平野の街道沿いを進む馬車は、支路に差しかかった。

 轡に繋がる手綱を右側に引っ張って、方向転換を促す。

 レトの指示が伝わったのか、無事に街道から別ルートへの進路変更に成功した。

 

 木々の生い茂った隘路を、荷台を牽引する二頭の馬が、北方面にゆっくりと進んでいく。

 操縦をするレトの後ろ——荷台内部では、投擲によってピンチを救ったレトとデレクに対し、仲間たちが感謝の言葉を口にしていた。


「奴隷として売られるなんて脅されたときはどうなることかと思たけど、助けに戻ってきてくれて、レトにはほんまに感謝や」

「そうね。でもレトくんには重荷を背負わせてしまってるわ……」

「何かでお返しできたらええねんけど」

「レトくんがどうすれば喜んでくれるか、ソーニャ知ってる?」


 デイジーとシェリルの二人が、ソーニャに顔を向けた。

 師弟関係のソーニャ自身、レトの趣味や傾向は把握している。しかしそれを二人に教えるのは非常にまずい。

 なぜなら、この死を脅かすような出来事の連続で薄れがちだが、官能本や裸婦画が好みの変態だからだ。

 どう言い繕うか頭を悩ませていると、デレクが話に割って入ってきた。


「おれ知ってるぜ、にいちゃんはエッ——イデデデデデ」

「——そ、そういえばデレクは今日、咄嗟の機転がピンチを救いましたね」

 

 ソーニャはすぐ隣にいるデレクの脇腹を摘み上げて、どうにか話題を逸らす。


「マリル、ちゃんとお礼言ったら?」

「あ、ありがとね……デレク……」


 シェリルに促されたマリルはお礼を述べたあと、白い長耳をペタンと折り曲げ、顔を赤らめながら俯いた。

 普段から高飛車な言動が目立つ彼女からは考えられないしおらしさだった。


「おうよ! マリルは将来美人さんになるだろうなあ。旦那が羨ましいぜ」

「——ぁぅ」


 高鳴る鼓動を自覚したマリルの心臓は、さらに早鐘を打つ。それはまさに、恋情による影響であった。

 もともと慕っていたが、今回の一件で格段にその度合いが上がった。


「それにしても上手くぶつけましたね。何か練習でもしてたんですか?」

「おれは常日頃から、手先だけは鍛えているんだ」

「どうしてですか?」

「だって初夜を迎えるとき、相手を気持ちよくさせてあげられないだろう?」

 

 その返答を聞いたソーニャは、こめかみに青筋を立てて、右拳を握り締めた。


「——ソーニャ、やっちゃってええで」

「覚悟はいいですか?」

「ちょ、たんま、その鉄拳はやばいって! 冗談抜きで死——」

「問答無用!」


 目にも止まらぬ速度で、デレクの頭上に、ダイヤよりも硬い拳が振り落とされた。

 その一部始終を見ていたマリルは、すっかり鼓動が収まり、デレクを想う気持ちが若干冷めた。


◇◇◇◇


 隘路を抜けて間道に入ると、荷台から届く賑やかな声とともに、撫でるような優しい風が吹き込んだ。

 斜陽が周囲の緑を赤に染め上げる景色が広がる。

 ブライアンとの修羅場を乗り越え、ようやく緊張感から解放されたレトは、心身ともに安寧を享受していた。

 平穏なひとときに思わず口元を緩ませる。だが、心のどこかでは、長く続かないことを感じ取っていた。

 もしまた危機に瀕してしまったら、全員を守り通せる自信がない。

 平穏が束の間ではなく、王国に着くまで途切れないことを切に願う。


 古代に栄えた都市の伝承では、夕方から夜にかけての薄暗い時間帯を大禍時と言うらしい。モンスターの活動が盛んになる時間に出歩こうとする市民を、警告する意味が込められているらしい。

 ハルモニア大陸では、人間に危害を加える特定野生動物をモンスターと呼んでいるが、実のところ一般的な野生動物との境界は曖昧な部分が多い。

 一方で、魔物とモンスターの違いは比較的シンプルで、知能レベルの優劣と言語能力の有無に依る。


 日が暮れる前に馬車を停めて、夜を越したい。宿屋があればなおのこと好都合だ。

 駐車できるスペースがないか辺りを見渡していると、間道沿いの左側に小規模な建物を発見する。

 距離があって見えないが、貧民宿や施療院の可能性もある。どちらにせよ、今日はここで一晩を明かそうと、その建物に寄ることにした。

 間道から外れて建物の敷地内に入る。

 正面入り口に置かれた立て看板には、『クリーゼ』のときと同様、ベッドが意匠されていた。ドアには『ビアヘロ』という屋号が書かれている。


「ここでよさそうだな」


 レトは入り口脇のスペースに駐車しようと、馬車を動かしたその直後、雷鳴の如き爆発音が轟いた————


「は…………?」


 唖然とする他なかった。

 見上げた建物の後方に、巨大竜巻が天空に向かって生えていたからだ。

 上昇気流に巻き込まれた木造の家屋が、バラバラになって吹き上がっている。

 考えている暇はない。すぐに仲間に知らせるべく、御者台を降りた。

 後方を振り返ると、異常な空気を察して、荷台から地上へ降りている真っ最中だった。


「——みんな、できるだけ遠くに逃げろ!」


 レトはそう叫んだあと、荷台と馬の連結部分を切り離すと、まるで状況を理解してない二頭に鞭を打った。

 嘶いた二頭の馬は、一目散に間道に向かって走り去っていった。

 巨大竜巻は急速に発達して、その規模を拡大している。  

 すでに建物の後ろ半分を崩壊させ、飲み込んでいる。レトが暴風に巻き込まれるのも時間の問題だろう。


「麒麟の如く駆けよ————アクセラレーション!」


 地図だけ持って、からだが引き込まれる感覚に逆らうように走り出した。

 敷地から瞬時に離れ、仲間のいる間道までどうにか逃げ延びた。


「——すまん、遅れた」

「師匠、ご無事で何よりです」


 本来ここで一晩を過ごすはずだった宿が、巨大竜巻によって全壊する様を、仲間とともに呆然と間道から眺める。

 せっかく手に入れた食料等の入った馬車も、粉々になって跡形もない。

 地図は抱えて逃げたので、そこが唯一の救いである。

 そもそも、竜巻の発生源となりそうな分厚い雲はなかった。あの現象は明らかに不自然だ。


(誰かによる魔法でないと説明がつかない……)


 レトは釈然とせず首を捻っていると、ソーニャが声をかけてくる。


「……師匠、これからどうしますか?」

「今から移動するのは危険が伴うし、ここで一晩を過ごすしかないな。夜が更ける前に、竜巻で飛び散った旅の必需品を掻き集めよう」

「わかりました」


 仲間全員が散り散りになって、敷地内をぐるりと探し回る。

 

 視界が真っ暗闇に包まれた頃、宿の前に集合する。

 仲間で囲った円の中央には、衛生的に問題なさそうな食料や、宿屋内に残っていた布団が主な回収物だった。

 飲み水が消滅したのは痛手だが、竜巻が発生した際に所持しながら逃げた仲間の水袋を集めれば、今夜くらいは凌げそうだ。

 なにより幸運だったのは、火打石や火打金など、着火素材の一式が揃った火口箱が回収できたこと。これでモンスターへの牽制と肉類の調理ができる。


「馬の行方もわかりませんし、干し草を薪に使用しましょうか」

「そうだな」


 着火してできた火種を干し草に移し、焚き火が完成した。

 小枝に串刺した焼き肉を食べながら、仲間と談笑して過ごす。

 肉を歯で噛みちぎりながら、レトは明日以降の見通しを巡らし、不安が心を渦巻いていた。

 間道沿いの状況を地図で見ながら吟味すると、近くに寄れそうな村もなく、川沿いはさらに遠い。馬車があること前提で動いていたので、大きな誤算だ。

 今後を懸念し、暗い表情で食事をしていると、ソーニャが声をかけてきた。


「どうしましたか……? 何か心配事でも……?」

「実は、水と食料の目処が立たなくてな……。最寄りの村までは歩いて三日以上かかるし、どうしたものかと」


 その会話を聞いていたデレクが、話に割り込んできた。


「ふっふっふっ、心配には及ばないぜにいちゃん。水不足に関して当てがあるんだ」

「本当か⁉︎」

「ああ。大船に乗ったつもりでいな。明日は日の出くらいに起きて早めにここを発ってもらうけどな」


 レトは半信半疑といった気持ちのまま、その夜の食事は終了した。

 今日は劇的な一日だったということもあり、仲間たちは早々に寝息を立て始める。 レトも眠気に抗えず、すぐに船を漕ぎ始める。

 それぞれ布団に包まったり、身を寄せ合ったりして、寒さを耐え抜きながら夜を越した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る