第11話 初めての安息
都市内に足を踏み入れた一行は、異様なほど閑静な街路を歩いていた。
倒壊している建物が随所にあって、家具が表まで転がり、散乱していた。魔物による襲撃の痕跡で間違いないだろう。
とりあえずどこかに身をひそめようと、レトたちは宿屋を探すことにした。
すれ違う人影は一切ない。魔物が闊歩していないのは好都合だ。
寂れた街並みが続く。
「不自然なくらい誰もいないですね……師匠」
「想像はしたくないが、ヴェルデ村の一件を考えると、住民は殺されたか売られたかで、もういないのかもな」
「とても辛いことです……」
一行が広場に差しかかると、さらに荒れ果てた光景が目に飛び込んだ。
外周に設えた飲食店のカフェテラスは、どこも椅子やテーブルが散らかってたり、粉々に砕けていたりしている。
中央には露天があった形跡だけが残っており、腐った果物や割れた陶器でぐちゃぐちゃになっている。
何より、地面などに付着した血痕が、当時の悲惨な情景を——血生臭い虐殺を——想像させた。
死体が回収されていたのが救いだ。子供たちには精神的ショックをもう与えたくない。
広場を抜けて大通りに入った。カーディグラス城との位置関係からして、南側だろう。
ここの通りは比較的被害が軽そうだ。
少し進んだところに、ベッドが意匠された看板が見えてきた。ドアに『クリーゼ』と書かれている。
「おそらくここが宿屋だろう。さっそく入ってみよう」
「そうですね」
目の前に立つ建物に被害は見当たらず、外観の状態がとてもよかった。
宿屋内に入ると、正面に受付があった。その奥に布による衝立があって、中の様子が見えないようになっている。
受付の横には、一本の長い廊下と、上の階へと繋がる階段が見える。
ドアを開閉して間を置かず、カウンター奥から足音が近づいてきた——
「ソーニャ、子供たちと外に避難して」
「——はい」
宿屋内に一人だけ取り残されたレトは、迫り来る何者かを待ち構える。
懐からナイフを取り出し、正面に構えた直後、衝立をくぐるように姿を現した。
「おや、神官様ですか。珍しいですね」
「…………へ?」
眼前には、紛うことなき人間がいた。髭を蓄えていて愛想が良く、優しそうな雰囲気だ。
てっきり魔物かと危惧していたので、拍子抜けしてしまう。
「神官様がそんな物騒なものを突きつけるなんて、感心しませんね」
「すみません、いますぐ仕舞います」
そう指摘されたレトは懐にナイフを戻した。
「でもまあ、こんなご時世ですし、用心深くなるのは仕方ないですかね。何はともあれ、ようこそ宿屋『クリーゼ』へ。泊まるのはお一人でよろしいですか?」
「あ、いえ、連れがまだ外にいるんで、呼んできます……」
どうやら本当に宿屋の関係者らしい。
レトは安全と踏んで、ソーニャたちを呼び入れた。
「ここの店主をしているブライアンです」
「あ、ヴェルデ村出身のレトです」
「こんな荒廃した都市に子供の集団なんて——何か事情がありそうですね」
「はい……実は……」
魔物によって故郷の村を壊滅させられたことをブライアンに話した。
「——それで、カーディグラス城の地下牢に閉じ込められていて、ついさっき逃げ出してきたんです」
「災難でしたね。そんな身の上話を聞かされたらお金なんてもらえません。タダで寝床を使ってください」
「ありがとうございます!」
全員で感謝の言葉を述べた。
二階には女性組、一階には男性組という部屋割りに取り決めた。
一階の廊下を進んだ先には、ドアが合計五つあった。宿泊用の寝室が二部屋、残りはトイレ、お風呂、裏口である。裏口の先はそのまま通りに繋がっており、通りの先には馬車が停まっていた。
寝室には一部屋ごとに三つずつベッドが設置されている。
話し合いの結果、レトとセオで一部屋、テッドとエドとデレクがもう一部屋の割り当てになった。
レトは寝室のベッドに横になりながら、都市を出てからの行き先を考える。
優先するべきは、自分たちの安全圏への避難だろう。この大陸で最も安全な場所はコルキオン王国なので、まずはそこに向かうことを目標に定めた。
ふと、ヴェルデ村の惨事が脳裏を掠める。
燃焼しないように蓋をしているだけで、復讐の炎はグツグツ煮え滾ってはいる。だが、一介の白魔術師には何もできない。
そんな芽生え出した負の感情に飲み込まれる寸前、コンコンという音でふと我に帰った。
「私、シェリルだけど……中に入っていいかしら?」
「おお、もちろんどうぞ」
どうやら気絶から目覚めたらしい。
部屋に入ってきたシェリルの服装は、血染めの私服から、農夫が着るような素朴な格好に変わっていた。おそらくブライアンに言って、貸してもらったのだろう。
窓際にあるベッドにシェリルを座らせ、対面するように一つ手前のベッドにレトが腰かけた。
窓から吹く微風が、彼女の白い長耳を揺らす。
「デレクくんにはもう言ったのだけれど、レトくんにもお礼を言いにきたの。さっきは危ないところを救ってくれてありがとう」
「友人がピンチなら助けるのは当然だろ?」
「それもそうね。でも感謝の気持ちを伝えるのも当然じゃない?」
「確かにそうだな」
二人とも思わず微笑みがこぼれた。
「背中を斬られたとき、高温に熱せられた棒で叩かれた感覚だったの」
「うわ〜そんな感じなのかよ。大丈夫か?
「うん平気。ただ、背中に傷跡が残ってないか心配かも。レトくん、よければ見てくれない?」
「え、ああ……いいけど」
シェリルはベッドの逆サイドに移動して、背中をこちらに向ける。そして、着ている服の裾をたくし上げた。
生唾を飲みながらチラッとセオのいる方に視線を移す。セオはベッドに横になって眠っていた。
視線を戻して、じっくり目に焼き付けるように、露出した背中を観察する。
曲線を描いたうなじから、肩甲骨を通り、落ち着いたトーンのブロンド髪が腰まで伸びる。シミ一つない健康的な肌が、窓からの日差しで艶々と映える。ツルッとした窪みの脇を辿っていけば、正面には結構な膨らみのある胸があるのだろう。
(いかんいかん、六歳も年下の相手に何考えてるんだ。邪な気を起こさないようにしなければ)
冷静さを保ちながら、外傷の診断を始める。
「患部であっただろう場所は、白魔術の高速治癒によって完全に塞がってる。安心してくれ」
「そっか、よかったあ」
シェリルはたくし上げた裾をもとに戻し、ベッドから立ち上がった。ドアの方へ向かい、こちらを振り返る。
「いろいろとありがとうレトくん。迷惑かけっぱなしだし、これからも足を引っ張ってしまうと思うけど、絶対に最後まで諦めない——頑張って生きるから!」
そう言って満面の笑顔を見せた。
シェリルは廊下に出ると、隙間から手を振りながらドアを閉めた。
(可愛かったな〜)
レトはシェリルの魅力的な部分に、今更ながら気づかされた。
さっきのやりとりを思い出して浸っていると、仰向けのレトの肩を誰かが叩いた。
「お、セオ起きたのか。どうした?」
「ぉ——、——」
「え〜っと……」
セオが精神的ショックで言葉が話せなくなったことは、地下牢に閉じ込められていたときに、予めソーニャから聞いていた。
耳をそばだてるも、ソーニャのようには上手く聞き取れない。
諦めてソーニャを呼びに行こうとしたとき、グゥ〜〜という可愛らしい音色がセオのお腹から鳴った。
「はは、お腹が空いているのか?」
その質問に、恥ずかしそうに頷いた。
レトは部屋の時計を見る。ちょうど正午を回ろうとしていた。
ヴェルデ村を出て以来、まともな食事をしていないことを思い出した。
「そういえば俺もお腹ペコペコだったの忘れてたわ。食べ物がないか、ブライアンさんに聞いてみるよ」
レトは寝室から出て、廊下を直進する。
受付のあるエントランスに差しかかると、誰かの話し声が聞こえた。受付との距離が縮むごとに、その声量は大きくなる。
受付の前まで来ても、ブライアンの姿は見当たらない。
この宿屋に来たときにはあった衝立の布が取り払われ、中の構造が明らかとなっている。一本の通路が真っ直ぐ続いていた。
通路の脇には本棚がいくつかあった。哲学系の名著、商人としての心得、奴隷の変遷など多種に渡る。
その中でも、サルワート教の関連本が多くを占めていた。敬虔な信者なのかもしれない。
通路の最奥には、どこかの部屋に繋がっていそうな唯一のドアがある。
そこから二人で会話する声が漏れていた。声質からして、一人はブライアンのようだ。
この都市には、ブライアンの他にも生存者がいるのかもしれない。だとすれば、ヴェルデ村の襲撃の際も、上手く逃げ延びている人がいてもおかしくない。希望は捨てないようにしようと、レトは思った。
「すみませーん、ブライアンさんいますかー?」
「あ……少しお待ちいただけますか」
レトが声をかけると、奥のドアからブライアンさんの応答が聞こえた。
ドアが開いて、受付まで歩いてくる。
「どうしましたか、神官様?」
「実は数日前から俺たち、まともな食事をしていなくて」
「気が利かなくてすみません」
「いえ、とんでもないです」
「食材の備蓄はあるのですが、いかんせんここは宿屋でして。調理場としての設備が充分ではないんです。『クリーゼ』のある通りを真っ直ぐ進んだところに軽食屋があるので、そこがおすすめです。そこなら調理場の設備が整っています」
「わかりました」
「欲しい食材があれば訊ねてください。それと、料理が作れないのでしたら、簡単なものでよければ私も作れますよ」
「何から何までお気遣い痛み入ります。料理は作れる仲間がいるので、なんとかなりそうです」
レトは受付をあとにすると、一階と二階の各寝室を訪ねて昼飯に誘った。
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