第7話 カーディグラス城地下牢 1

 格子の外に松明があるせいで、牢屋の中はぼんやりと薄暗い。

 その上、肌寒さを感じ、ソーニャはぶるっとからだを震わせた。

 ソーニャが周りを見渡すと、こっちの牢屋には自分の他にレト、セオ、エド、フェイがいるというのがわかった。

 三方向を岩肌のような壁に囲まれたスペースには、簡易的なトイレと七つの粗末なベッドがある。


「うう、お姉ちゃん……」


 洞窟の中にいるような静けさだったが、隣の牢屋からマリルの嗚咽が壁越しに聞こえてきた。

 徐々に悲しみがこちらにも伝播し、堰を切ったようにエドとフェイが泣き出した。エドは五歳でフェイは四歳だ。無理もない。

 ソーニャはおさげの少女フェイにゆっくり近づくと、腕を広げてそっと優しく包んだ。そしてすぐ隣にいた双子の弟エドの背中をさすってあげる。

 フェイが不安そうな眼差しで問いかける。


「ソーニャおねえちゃん……わたしもう、おうちにかえりたい……パパとママに、はやくあいたい……」

「パパとママも、大好きなフェイが頑張ってるのを、遠くから見守ってますよ」

 

 そう言って、穏やかに微笑みかけた。

 真実を告げるのはいまじゃなくていい。嘘を言ってあとで恨まれても、平穏を取り戻すまでは心の添え木になろう。ソーニャはそう決心した。

 二人が落ち着いたところで、ソーニャはもう一方の二人に視線を移した。

 肩を落として項垂れているのはレトとセオだ。すっかり気力を失って沈んでいるように見える。

 二人の間には距離がある。ソーニャはまずセオの方に近寄った。


「大丈夫ですか? どこか具合が悪かったりしますか?」

「……」

 

 セオは無言で首を振った。

 だがソーニャは、鈍色の長い前髪の奥に零れ落ちるものを見逃さなかった。

 ソーニャはセオの顔を自身の胸に引き寄せ、頭を撫でる。


「ぁ——、——」

「それはよかったです」

「——、——ぅ」

「いえいえ、どういたしまして」

 

 所々が途切れるセオの声を汲み取り、返答する。

 最初は嗚咽によるものだと思っていたが、別の要因があることにソーニャは気がついた。

 強い心的外傷トラウマを受けると、意思に反してその場面が幾度となく脳内で繰り返されたり、わずかな音にも敏感になったりする。そればかりか、声が出せなくなる例もあることを、ソーニャは知っていた。

 セオを不安な気持ちにさせないように、なるべく普段通りに接した。

 その甲斐あってか、しばらくすると寝息を立て始めた。

 ソーニャは自分の上着を一枚脱ぐと、そっとセオの背中にかける。

 その場から立ち上がり、今度はレトの隣に腰を下ろした。


◇◇◇◇

 

 レトの胸中は、村での後悔に関することで渦巻いていた。


(あのとき、諦めなければまだチャンスはあった)

(黒魔術師ならあの包囲も突破できたはず)

(そもそも、どうして白魔術師になったんだっけ?)


 果てしない錯綜が続く中、ふと幼少期を振り返る。 

 

◇◇◇◇

 

 ——レトがまだ十歳だった頃、故郷である港湾都市マルセラにある貴族学校に通っていた。一番下の爵位を持っていた親が当時、背伸びをして入れてくれた。

 クラスでは家が同じ爵位の生徒も多かったので、いじめなどはなかった。

 授業は言語学や歴史学などの一般教養とは別に、魔法学やモンスター学などの特殊教養があった。

 授業の他にも、魔術演習という科目がある。これは必修ではないものの、受ければ内申に大きく加点される。特にコルキオン王国に勤めるつもりなら、参加しない手はない。

 内容としては、黒魔術師と白魔術師の戦闘訓練および育成である。なので参加条件は、どちらかの魔術を使用できる状態になっていること。

 レトも参加するつもりで、黒魔術師になる予定だった。

 杖は親のお下がりがあって、懐事情に優しい。

 何より、神官による一定期間の指導と、背中への刻印が必要な白魔術師と違って、手間が少ない。

 だがそんなレトに転機が訪れる。 

 

 近々、剣技の授業でテストがあるため、高評価をもらおうとクラスの友人を練習に誘った。

 練習場所として選んだのは、マルセラの東門を出てすぐの野原だ。まずは本番の試合を想定して木製の剣でぶつかり合う。

 次に型の披露に向けて真剣を扱った演舞の練習だ。どの武器を使うのかは自由で、レトはダガーナイフを選択した。しかしこの演舞の練習中に、悲劇が起こる。

 友人との距離は間隔を空けていたので、そこは問題なかった。

 レトはキレのある素早い動きを見せて、最後はナイフ投げで締める。

 その一連の流れを通しでやっていると、唐突に足同士を引っかけて、もつれてしまう。その反動に抗えず、そのまま前傾姿勢になり、突っ伏す形で倒れる。

 それで終わればよかったのだが、ナイフは刃の部分が上を向き、お腹に突き刺さってしまう。咄嗟にからだを横にずらして急所は避けたものの、脇腹を抉り取るように肉を削いでしまう。

 友人がすぐに異変に気づいて駆けつけてくれ、レトのことを背負いながら都市を目指す。

 背負われながら、腹の尋常ではない熱さと凄まじい痛みに反して、寒気を催してくる。

 いよいよ死ぬんだとあのときは覚悟して、遺言を友人に伝えてさえいた。

 都市に着いた頃合いで、レトは意識を失い、そこからの記憶がない。

 

 意識を取り戻したのは、教会の談話室にあるベッドだ。

 ゆっくり起き上がり、脇腹に手を触れて確かめる。


「嘘……治ってる……」  

「おお、起きたかボウズ」


 声の方を振り向くと、窓際の椅子に足を組んで座っている人物と目が合う。神官の制服を身に纏い、髭を蓄えた男だ。


「貴方が治して下さったんですよね? ありがとうございます」

「大したことしてねえよ。最後まで足掻いたのはお前自身だ」

「何とお礼をしていいか」

「仕事だし、ちゃんと代金はもらってる。お前のダチにお礼ついでに返しておけよ」

 

 窓から見える外の景色はすっかり夜の帳が下りていた。ずいぶんと長い間、気を失っていたらしい。

 神官はカルロスという名前で、年齢は三十三歳とのこと。肌黒く、制服の上からでもわかるがっしりしたからだ。神官の制服を着ていなければ、海の男と呼んだ方がしっくりくる。

 レトは談話室のドアに向かい、立ち去る前に、頭を下げながらもう一度お礼を言った。


「ありがとうございました」

「ああ、もうここには来ないようにな。白魔術は死人を生き返らせられるほど、万能じゃねえからな」


 このカルロスとの邂逅がきっかけで、レトは白魔術師ひいては神官を志すことになる。

 

 その過程で知ったことだが、回復の大前提として、即死と言われるダメージには効果なし。死の三原則に当てはまっても手遅れ。臓器破裂は修復不可だし、病気や欠損や失明や聾唖や精神病や疲労回復などにも効かない。

 回復の効果範囲は全体に通じ、止血や打撲や骨折の回復が主な効能だ。


 カルロスに弟子入りし、五年はかかる修行をわずか二年という短期間で習得する。

 そしてレトは神官になる試験に合格するため、マルセラから船舶を使って、海を渡った先の孤島にある大都市エペソスに数日間とどまる。

 エペソス内部にあるサルワート教の総本山——パナケイア神殿でのカリキュラムを終えて、神官認定試験もクリアした。

 白杖アンジュワンドを授与され、神官証明の印を右手の甲に刻印される。

 マルセラに帰ってきたあとの学校生活も順風満帆で、卒業次第パナケイア神殿に勤めようと再び島を渡るつもりだった。

 

 ——しかしその一年後に妹を亡くす。

 レトは休学届けを出したあと、茫然自失のまま旅を始め、ヴェルデ村に辿り着いたのだった。


◇◇◇◇ 

 

 今考えると、そんな重大な出来事ではない気がしてくる。

 すっかり厭世的な感情のレトは、膝頭に顔を埋めながらそう結論づけた。

 目を瞑っていると、隣にソーニャが座った。長い付き合いなだけあって、足音を含む気配で彼女だとわかる。


「具合はどうですか?」

「ああ、問題ないよ」


 ソーニャや他のみんなに心配かけまいと、顔を上げて気丈に振る舞う。

 両親が存命なレトや、すでに肉親がいないソーニャは、まだショックが軽い方だろう。

 二人以外の子供たちは、親の死を目の当たりにしたり、亡くなった事実を突きつけられている。

 きっといまも負の感情やストレスに苛まれているはず。


(年長者の俺が落ち込んでいる暇なんてない)


 これまでのことは全て頭の隅に追いやり、気持ちをリセットした。 


「師匠、この地下牢からどうにかして出られませんかね」

「キツそうではあるな」

「そうですか……」


 壁面は見るからに頑丈そうで、ナイフでは掘削できそうにないし、格子の隙間は細身の子供でも通れそうにない。

 物は試しにと二人は立ち上がり、看守の目を盗んだタイミングで格子の隙間にからだを捩じ込ませてみる。


「ダメだ。腕しか入らない」

「私も同じです」


 二人は無理だと分かると、再び硬い地面に腰を下ろした。


「こういうときに黒魔術が使えるといいんだがな。白魔術じゃ気休めくらいにしかならない」

「——そんなことないです。外科手術が必要な大怪我でさえ、一瞬で治すことができるのですよ? 師匠がいてくれて、どれだけ心の拠り所になっているか」

「そうか? でももし束になって襲われたら、仲間を逃がすための時間を稼ぐことすらできないよ?」

「そうなったら私も戦います。傷ついても治せるなら、いくらでも強気に出れますから」

「いや、まあ、魔力が尽きるまではそうだけど……」

 

 レトには絵空事にしか聞こえなかったが、ソーニャは意地を張ってでも意見を曲げたくなさそうだった。

 レトに弟子入りを志願したとき、ソーニャからその動機を聞かせてもらったことがある。


『何もできなかった自分がどうしても許せません。大切な人をもう二度と失いたくないのです』


 きっと、白魔術に懸ける想いが人一倍強いのだろう。

 

 脱出方法は思いつかないので、諦めて二人はそれぞれのベッドで横になることにした。ソーニャに促されたフェイ、エド、セオも倣って、ベッドに向かった。


「ふう〜」


 レトは寝転んだだけで、長い溜め息が自然と出る。

 グッと両腕両脚を伸ばして脱力する。するとからだ中の凝りが一気に解消された気がした。

 こうしてからだを横たえるのも実に三日以上ぶりだ。

 極度の緊張下で麻痺してただけで気づかなかっただけなのか、自分が思っていた以上に疲労の蓄積が顕著みたいだ。

 粗末なベッドは古びて弾力がほとんどないが、そんな些細なことなど関係なしに強烈な睡魔に襲われ、夢の世界へと旅立っていった。

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