第6話 暗黒世界の小人たち
————ガツンという衝撃が全身に伝わる。
徐々に小刻みな振動を感知する。
車輪のようなものが路面を引きずり、カッポカッポと馬が地面を踏み鳴らす音が聞こえる。
ゆっくり目を開くと、薄暗い場所に座っていることを自覚した。
生きているという実感がまだなく、生と死の狭間にいるような気分だ。
自分以外の息遣いを感じる。鼻をすする音も混じっている。
目を凝らすと、前方に向かい合うように並んで座る、ぼんやりとした人影が浮かんだ。レトの両脇にも人がいて、密着するほど狭い。
暗闇に目が慣れてくると、表情までくっきりしてきた。ゲームや授業で馴染みある子供たちだとわかった。腕や手で目元を拭うような仕草を、何人かがしている。
ぐるっと見回すと、この空間が矩形になっていることを把握する。
手前側と奥側を見渡せる左端の位置にいる魔物と目が合い、レトはぎょっとした。
そのとき、誰かの手が自身の右肩に乗せられる。
「……気が付かれましたか師匠」
「ソーニャか。いったいここはどこなんだ……?」
ソーニャは右隣にいて、小声が耳元をくすぐる。
「魔物が操る馬車の荷台です」
「そうか……。荷台に乗ってるのはいつもの面子だな」
「はい。デレク、セオ、シェリル、マリル、デイジー、テッド、エド、フェイです」
レトはふと、南門で魔物に襲われてからの記憶がないことに気づいた。
「ここまでの過程を説明してくれないか。どういう経緯でこの馬車の荷台に載せられたのかを」
「わかりました————師匠が気絶して倒れたあと、複数の魔物に囲まれてしまいました。魔物に担がれた師匠と私は、そのまま連行され、馬車の荷台に入れられます」
無様な姿を晒したことを呼び起こし、レトは頭を抱える。あのまま死んだ方がマシだったのではと今更ながら思う。
ソーニャの話によれば、ヴェルデ村は悪夢のような光景が広がっていたとのこと。
家屋や畑は食料だけ奪われ、踏み荒らされる。
村の大人たちは皆殺しにされ、死体があちこちに転がる。
「馬車はこれとは別に三台ありました。そちらには強奪した食料が積み込まれていると思われます」
「なるほどな」
放火されていないことを不思議に感じていたが、食料に燃え移るのを懸念していたのだろう。
馬車は傾斜道に入ったのか、重力によってからだがやや右側に引っ張られる。
「ところで、この馬車はどこに向かっているんだ?」
「わかりません。ですが、かれこれ三時間以上は走っている気がします」
ヴェルデ村は辺境の地にあるだけあって、どこに向かうにも長時間を要する。
だがある程度の推測はつく。
カーディグラス城が、魔王軍の軍事拠点の中で一番の近場だ。奴隷として売り飛ばされるにしても、上の判断を仰ぐだろう。
囚われる前に、どうにかここから脱出したい。
懐に手を入れると、愛用のダガーナイフを発見する。没収されていると腹を括っていたから、運がいい。
背後に手を伸ばして、真後ろの手触りを確かめる。荷台を覆うのは帆布のような丈夫な素材だが、切り込みを入れるのは訳ない。
レトはソーニャの耳元にグッと近づいて——、
「なあソーニャ、俺はいまナイフを持っている」
「え——?」
「布に切り込みを入れてみんなで脱出したい。だからみんなにこの目論見を伝えようと思うんだ」
「それは厳しそうです。あの見張りの魔物は私たち人間の言葉を理解し、話すことができます。両隣にはこっそり耳打ちできたとしても、奥にいる子供たちに口頭で伝えることはできません」
「……マジかよ。クソ、そんな甘くはないか」
ならばいっそのこと、あの見張りを倒してしまうのもありか。レトはそう考えて魔物を観察してみる。
一般にオークと呼ばれる種族だ。牙を生やしたイノシシ顔に、肉付きがよく大きい体躯、手にはメイスを持つ。武器を持つレトが立ち向かったところで、返り討ちに合う光景がありありと浮かんだ。
バフ魔術でパワーを一時的に上げることもできるが、一撃で倒さないと騒ぎを聞きつけた仲間が駆けつけてきてしまう。
そもそも馬車の周囲がどうなっているのかもわからない。外に出られても、すぐ近くを行進していたら意味がない。
「いまのところは様子見しておく」
「それが賢明かもしれません」
◇◇◇◇
それから数時間が経った。
馬車の荷台内部が真っ暗になっていることから、すっかり日が沈んだのだと推測できる。
突然、馬車が動きを止めた。
荷台の口が開いて、外の景色が入り込む。
松明を持った魔物が姿を現し、同乗していたオークが立ち上がる。
松明を持った魔物から布袋を手渡されたオークは、雑に地面へと放り投げた。
「ほらてめえら飯だ。それと便意、尿意がある奴は手上げろ。我慢して漏らしやがったら殴るからな」
レトを含め、全員が手を挙げた。
オークとともに開いた荷台の口から外に出ると、新たに二体の魔物が見張りに加わる。
誘導に従って、ヴェルデ村の捕虜一行は歩を進める。
そんな中、レトの前を歩く双子——丸刈りなのでおそらく兄のテッド——が左足を引きずって歩いていることに気がついた。
周囲には松明が点々としており、種々雑多な魔物が集って飯を食らっている。時折こちらを指さして、下卑た笑い声を浴びせる。
寂れた小屋に辿り着くと、開かれたドアを進み、その中にあるトイレに一人ずつ入る。
自分の番を待つ間、さっきのことを思い出して、レトは後ろからテッドの肩を叩いた。
「左脚を怪我してないか?」
「うん……。村で魔物から逃げ出すとき、転んで膝を痛めちゃって……」
「じっとしてろ、いま治してやるから」
そう言うと、レトはしゃがみ込んでテッドに手を添える。しゃがんだことで、外にいる見張りからはちょうど死角となりそうだ。
レトは小声で詠唱を始める。
「光の主パナケイアよ————」
最後にヒールと唱えると、闇夜を照らす淡い光がテッドの全身を包んだ。左脚付近が強く発光したあと、ほどなくして消えた。
テッドは足踏みを何回かして無事を確認してから、「レトにいありがとう」とお礼を言った。
その後、自分の番が来てトイレに入る。内部は換気用の小窓があるだけで、ほとんど密室だった。そこから抜け出すのは子供でも不可能に近い。
トイレから帰り、荷台に戻ると、配られた食事を取ることにした。
配られたのは、兵糧としてよく活用されているビスケットサイズの乾パンと水だった。
レトは乾パンを口に運んで噛み砕こうとするも、硬すぎて歯が折れそうになったので、水に浸してから食べることにした。
ボリッゴリッという咀嚼音だけが荷台内を支配する。
食べ終わってしばらくすると、再び荷台の口が開いた。
魔物が姿を現し、乗車しているオークと独自の言語で会話をする。
どうやら交代するようで、オークが荷台を下りて、会話相手の魔物が荷台に乗り込んできた。
オークと同じ人型の種族で、オーガと呼ばれる。鬼のような強面、頭には角を二本生やし、筋骨隆々の体躯をしていて、先端にかけて太い棍棒を手に持つ。
オークより嫌悪感は減った代わりに、威圧感が増した。
レトは充分な量を満たせないまま、空腹感が残った。
こんな劣悪な環境でも、不思議と眠気は訪れるようで、ふっと意識が落ちた。
◇◇◇◇
——強い音と揺れで、肩が跳ね上がる。
「う〜ん」
レトの他にも眠りから覚めた子がいるようで、呻き声が漏れていた。
最初に迎えた夜から数えて、実に四回目の夜更けだ。
夕食後の睡眠を妨害された影響か、頭痛がして気分が悪い。
いくら寝ても疲労感が残り続け、からだの節々が痛い。特にお尻は、鈍痛が絶えず蝕み続けている。
レトは肩甲骨を締め、首を後ろに倒し、軽くストレッチをする。
食事を兼ねた休憩は、一日に昼と夜の二回だけ。逆にそれだけで全快する魔物たちのスタミナは計り知れない。
脱出するのは疾うに諦めていた。夜目が利くのか、暗闇でも魔物は常に目を光らせていて隙は皆無だし、眠る時間になったら交代するという万全の体制を敷いている。魔王軍が王国軍に常勝しているのも不本意だが頷ける。
半ば逃避する目的で夢の世界に戻ろうとしたとき、馬車が動きを止めた。いままでも馬車のトラブルや馬の餌やりで止まったことがあったし、今回もそうだろうと高を括っていた。
しかし荷台の口が開いて、魔物が姿を見せる。
「着いたぞ。馬車から降りろ」
レトは子供たちに続いて、馬車から地上に足をつく。
見上げた視線の先には、小高い丘の上に星空を背景とした巨大な建築物——カーディグラス城が聳え立っていた。カーディグラス城とは、城塞都市グロリトンと同じ城壁内部にある。
レトは初めてここを訪れる。
魔物に包囲されながら坂道を上っていき、背丈を優に超えた堅牢そうな門前に辿り着く。
ギギギギと音を立てながらゆっくり奥側に開かれると、エントランスホールが眼前に広がった。
広大な空間に垂れ下がるシャンデリアが印象付けるのは、華やかさではなく物寂しさであった。
レトたち以外の気配はない。
魔物たちの防具が擦れ合う音、チリンチリンという鈴の音が、靴が鳴る音と混ざり合って反響する。
四つ辻の正面奥に目をやると、壁面に沿った柱に取り付けられた燭台が、暗闇の先まで延々と連続していた。
魔物に連れられ四つ辻を右に折れると、長い廊下に繋がっていた。
そのまま進んでいき、途中で再び右に曲がる。
通路を少し歩くと、正面に上下に伸びる螺旋階段が見えてきた。
一列に並んで螺旋階段を下りていく。
一番下までやって来ると、いくつもの格子状の部屋が並ぶ地下空間へと出た。ここがこの城の地下牢のようだ。
地下に来ても息苦しさは感じない。どこかに換気用のシャフトでもあるのだろう。
格子の前に立つと、看守らしきゴブリンが二部屋の錠前をそれぞれ外した。
レトたちは五人五人にグループ分けされる。
「おら、さっさと入れ」
次々と押し込まれていき、五人が格子の内側に入ったことを確認すると、ガチャリと施錠された。
それから看守のゴブリンを除き、魔物たちは踵を返して螺旋階段の方へと立ち去っていった。
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