第5話 魔王軍の襲撃
数日後の早朝、レトは朝食を食べようといつも通りソーニャの家へ向かう。
中央広場を通りかかったところで、人だかりができているのを見かける。
ここではよく、主婦同士で世間話に花を咲かせていることが多い。その中に見知った猫耳の少女が混ざっていた。
「おはようソーニャ」
「おはようございます師匠。朝ご飯はできているので、帰りましょうか」
「話はもういいのか?」
「ええ、もう大丈夫です」
ソーニャ宅に着くと、いつもの位置に腰かける。
ほどなくして、目の前のテーブルに次々と彩りのある料理が運ばれる。
ご飯を食べながら、ソーニャから井戸端会議での話題を振られる。
「期日にやってくる行商人が、もう三日も来てないみたいなんです」
「色々と足りない物が出てきそうだな」
「ええ……遠方で栽培している果物や香辛料は、家庭料理に不可欠です」
「そうだよな。何事もないといいけど……」
商人は、盗賊や山賊被害が付き物だから、やはり心配してしまう。
そんな会話をしながら朝食を食べていると、二人は小さな異変を感知する。
「ん? なんか遠くで雄叫びというか、野太い声が聞こえない?」
「ですね……農夫たちがふざけあってるんですかね」
そんな杞憂で終わりそうな気配の直後——「ゴンッ!」と、振動を伴う重低音が聞こえた。
一斉に外に出ると、レトたちと同様に、戸惑いの表情を浮かべている村人が何人もいた。
そして再び「ゴンッ!」という、巨人が壁を殴りつけたようなけたたましい音が、北門の方から伝わる。
唐突にカンカンカンと警鐘が鳴り響いた。
「魔物だ! 北から魔物が攻めてきたぞ!」
物見台にいる村の警邏が、大声で知らせる。
村人はパニックに陥り、入り乱れながら一斉に南門を目指して走り出す。
「俺たちも行こう、ソーニャ!」
「はい!」
村人集団の先頭が南門に辿り着く。
そして門を開いた瞬間————待ち伏せていた魔物が次々と村内に侵入してくる。
村人集団は逃れようと来た道を引き返し始めるが、ときはすでに遅かった。
北門はぶち破られて、魔物が一直線にこちらに向かってくる。
二方向からの挟みうちに、村人はその場で硬直してしまう。
「ダメだ、逃げ場がない。どうすれば……」
「——ひとまず家の中に避難しましょう」
レトとソーニャの二人は、集団から離れ、家々が密集する方へと逃れる。
その中の適当な一軒に入り、身をひそめた。
家の外から、悲鳴とともに、断末魔の声とも取れる絶叫が聞こえる。死が間近に差し迫っている。
このままここに長居は避けたい。家屋に火をつけられる可能性も充分に考えられるから、リスクを負ってでも村の外に出るのが得策だ。
「少し外の様子を見てくる」
「はい……師匠お気をつけて」
家のドアをわずかに開いて、隙間から辺りを見渡す。
棍棒や剣を持った魔物が嬉々として駆け回り、村人を嬲り殺す。まさに跳梁跋扈の様相を呈していた。
見知った顔が殺される姿を見て、湧き上がる怒りをどうにか抑える。出ていったとしても、白魔術師に戦う力はない。
魔物の気配が消えたのを見計らって、ソーニャを手招きしてこちらに呼ぶ。
「ここから最短ルートで南門を目指そうと思う。ソーニャは俺のすぐ隣を並走してくれ」
「わかりました」
隠れながらいけるほど、この村に遮蔽物は少ない。そのことは勇者討伐ゲームで身に染みて感じている。また、肩車して敷居から外に出ようにも、ギリギリ手は届かないくらいの高さがある。
南門までの四百メートルを駆け抜ければ、二人は生還できる。
「走る速度が上がる魔術を俺とソーニャにかける。これで一気に走り抜けよう」
「お願いします」
白魔術は傷を治すヒール以外にも、戦闘の役に立つ魔術がいくつかある。
レトは詠唱を紡ぎ始める。
「麒麟の如く駆けよ————アクセラレーション!」
詠唱を繰り返して、二人分のバフをかけ終える。
持続時間は三十秒なので、門の前で術は切れる。だが、効果が切れても走りながら術をかけ直すことが可能だし、バフ魔術の大半は、ヒールの半分の魔力消費量で済むので、連発しやすい。
レトは一度だけ深呼吸をする。
「行くぞ!」
「はい!」
気合いの声を入れて、二人は地獄の待つ外界へと飛び出した。
風を切ってひたすらに疾走する。
両側の景色が一瞬にして後方へと流れていく。
魔術の付加でスタミナの温存もできるので、息が切れる心配はないが、緊張で足がもつれそうになる。
前方に現れた門を視界が捉えた途端、足がずしんと重くなった。バフの効果が切れて失速した証拠だ。
疾走を続けながら、自分自身と隣を走るソーニャに、アクセラレーションをかけ直す。
開かれた門はすぐそこだ。通り抜けられればゴールだ。そんな高揚感がさらに加速させる。
ついに南門まで辿り着いたレトたちだったが————
「なん……だと……?」
「……え?」
二人は急停止させられる。
レトは一縷の希望さえ失ったことを悟った。
眼前には、複数の魔物が立ち塞がっている。門の先が傾斜になっていて、遠くからでは包囲されているのが見えなかったのだ。
「くっ、ここまでか……」
戦争で人間を凌いでいるのだから、退路を塞ぐ基本戦術をしないわけがなかった。
結局のところ、白魔術では誰も救えない。自分さえも救えない。
五年前から矜持なんてものはなかったが、レトは無力さを再確認した。
襲いかかる凶暴な魔物たち。
目の前は白くぼやけ、膝から崩れ落ちる。
誰かが必死に腕を引っ張っている気がする。
輪郭も感覚も薄れ、立っている事実さえ定かではなくなっていく。
意識が遠ざかっていると気づかず、眠るように刈り取られた。
◇◇◇◇
「——————に、さま」
「うん?」
心が洗われるような天使の美声が耳朶に触れた。
「にいさま、起きてください」
「あれ、イヴ? それにここは?」
「まだ寝ぼけてるのです? ここはにいさまの部屋ではないですか」
こちらを見下ろすレトの妹のイヴを取り巻く空間は、談話室にある物とは異なっている。だが見覚えがある。
イヴの言う通り、どうやらここは五年前までレトが過ごしていた実家にある、レト自身の部屋のようだ。
(でも、イヴは五年前に死んでいるはず……。この目で最期を見届けているのだからその事実は揺るがない。ならこの映像は明晰夢か、はたまた死後の世界か)
「イヴごめんな、情けない兄貴で……」
「確かに私を差し置いて、大きいお胸が好きなのはどうかと思いますけど。私にとって、にいさまは優しくて勇敢です」
「本当に勇敢だったら、イヴを救えたはずじゃないか」
「まだ寝ぼけてるんですか? 朝食の準備はもうできてますから、シャキッと起きてくださいね」
イヴはそう言い残し、部屋から去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます