第4話 ソーニャの何気ない日常
ソーニャの朝は早い。
寝床から起き上がり、洗面所で顔を洗う。ピョコピョコと動く両耳が生えた頭の寝癖を整え、尻尾のブラッシングも忘れない。
寝巻着を脱ぐと、紺色のシュミーズが現れる。農家の娘らしく、みずみずしい肉感と健康的な肌を兼ね備えた手足が、すらっと伸びる。ただし胸部にはわずかな押し返しさえない。
その上から白色のカートルと、幾何学の刺繍入り臙脂色のエプロンを重ね着して、腰ベルトで束ねた。
朝靄が立ち込めた畦道を、農具を抱えて進む。墓地に立ち寄って、両親の名が刻まれた墓碑に挨拶するのも忘れない。
一通りの農作業を終えて戻ってくると、朝食の支度に取りかかる。
レトを起こしにいくこともしょっちゅうだが、今日は呼びにいく前にソーニャの家にやって来る。
「おはようございます師匠。今日はいつもより早いですね」
「いや〜、昨日は夜更けまで魔術の知識を仕入れていたせいで、睡眠サイクルが狂っていてな」
「勤勉なのはいいですが、からだを壊さないように気をつけて下さいね」
「そうするよソーニャ」
「ちなみにどんな魔術の勉強を?」
「女性の胸を豊満にする魔術さ」
ソーニャは指をポキポキ鳴らし、さあどういたぶろうかと考えたが、理性がたんまをかける。
貧乳であるソーニャは口には出さないが、巨乳の女性に憧れを持っている。
関心があることを悟られないように、続きを促す。
「どうして男性である師匠が、その魔術に取り組んでいるのですか?」
「豊胸に成功したら、メンテナンスと称して、たわわに実った果実を揉ませてくれそうだし」
「なるほど〜、確かにそれは役得ですね〜」
「ソーニャ⁉︎ な、なんだい、その満面の笑顔は⁉︎ じょ冗談に決まってるって。単なる妄想話だって」
「問答無用——!」
「ぐぎぃいやあああああああああああああああああああああああああああああああ」
キレのある制裁も、ソーニャの何気ない日常を彩っていた。
ソーニャはその後、レトによる白魔術の講義を受けたり、実践練習を行ったりで午前を終える。
日によっては子供たちとともに、一般的な授業に参加することもある。
普段はおっぱいのことしか考えていないレトも、講義中は真面目に向き合ってくれる。
正午を回ると、昼食を取ってから子供たちとの遊びに興じる。
夕方になって子供たちとお別れしたあと、家にレトを招いて夕食を作る。
夜は密かに自主練習に取り組む。
ソーニャをそうまでして白魔術師へと駆り立てているのは、母の死因が大きい。
◇◇◇◇
五年前——当時十一歳だったソーニャは、母と野山で山菜取りをしていた。
高所は危険だからそばを離れないようにと、母から忠告を受けていた。にもかかわらず、沢山収穫して母を喜ばせようと意気込んだソーニャは、慣れた仕草でどんどん先に進む。
そろそろ切り上げ帰ろうとした矢先、ずるりと足を滑らす。
落下する寸前で、ソーニャは木の枝を掴んだ。
ぶら下がった状態で顔を下に向けると、急勾配の崖が遥か下界に続いていた。
ソーニャの呼ぶ声に母が駆けつけると、脆い枝にしがみ付くソーニャを見つける。
必死に手を伸ばして助けてくれようとするが、指先同士が触れ合うだけ。
もう少しで掴めるというところで、木の枝が折れてしまう。
母は咄嗟に飛び込み、彼女を抱えながら崖下に転落する。
ソーニャは無傷だったが、母親の方は地面に打ちつけた衝撃による内臓の損傷が激しく、大人を呼んで村まで搬送している道中で息を引き取る。
この日ほど、自分の無力さを痛感したことはない。
この事故の一年後、レトはこのヴェルデ村にやってくる。消極的なレトに弟子入りを懇願し、いまに至る。
◇◇◇◇
そもそも白魔術師になる方法は限られる。
パナケイア神殿にて一定のカリキュラムと試験をこなし神官となるか、神官以上からの指導を経て伝導してもらうかの二択しかない。
神官の教本を盗み見て独学で習得しようとしても、必ず刻印の段階で行き詰まる。 特殊なマジックアイテム——
かくいうソーニャの背中にも、レトが彫った魔法陣のような刻印がある。
この世界にはもう一つ、黒魔術というものも存在する。
白魔術との違いは、独学でも習得可能なことと、杖の携帯が必須であること。
二つの魔術はどちらかしか覚えることができない。
魔術は体内に宿る魔力を消費することで発動できる。
白魔術の基本であるヒールを使う分の魔力残量を、ソーニャはまだ蓄えられておらず、その修行が主である。
その修行内容は、瞑想して精神世界とリンクすること。
具体的には無心になって、現実世界から意識を切り離し、サルワート教の聖典に書かれた場面の数々を想像し、頭の中で構築すること。その創造した世界に身を置き、ときには思弁的に思索する。
魔力の消費量が魔力残量を少しでも超えたら、代償を強制される。その代償とは、身体の自由か五感を失うこと。
なにが代償になるかは完全ランダムとなるが、超えた量に見合ったものだと言われている。つまり、超えた量が多ければ多いほど、重要な役割を司っている部分が失われる。そればかりか、複数が代償として指定されることもある。
身体の自由や五感のどれが奪われるにせよ、死ぬまで治ることは絶対にない。
やはりソーニャとしては、師匠に褒めてもらいたいという欲求が、心の奥底にはあった。
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