第2話 神官レトとその弟子ソーニャ

 大陸の南方にある辺境の地——ヴェルデ村。

 そこは、人魔戦争とは無縁であるかのように、穏やかな暮らしを営んでいた。

 農業や牧畜業の従事者が住む家屋が村の中心に集まり、北から南へと川が流れる。 周囲には耕作地と放牧地が緩やかに勾配を描き、牧草をたたえた草原が春の風を受けてゆらゆらと波打つ。

 

 その田舎の景観からは異質さを醸す、白亜の建物があった。風雨の影響か、少し燻んでいる箇所が散見されるものの、決して神聖さは失われていない。

 この大陸でもっとも信者の多い宗教——サルワート教の教会だ。

 魔王軍の上陸前までこの大陸を統べていたコルキオン王国も、国教として認めている。敗戦が続く現在、権力は比肩するかそれ以上となる。

 

 荘厳さが際立つ両開きの正面ドアを押し開いた先には、吹き抜けの空間が広がる。 奥には教団のシンボルマークが飾られ、その下に祭壇があるのが見える。そこから身廊を挟むように長椅子が列をなして置かれ、それが手前まで続く。

 

 祭壇より奥に進むと、談話室があった。

 その室内では青年神官のレトが、王国軍所属の黒魔術師であるナトリーゼに、白魔術による手当てを施そうとしていた。

 椅子に座るナトリーゼにそっと手をかざし、詠唱する。


「光の主パナケイアよ。命あふるる其の力をもって、傷には癒しを、憂いには活力を与え、倒れし者を歩ませたまえ————ヒール!」


 唐突にナトリーゼの全身が淡い光に包まれる。そして右脚に光が集中し、泡沫のように消え失せた。


「俺の白魔術で捻った足首も修復しているはずなので、歩いても平気なはずです」

「ありがとうレトちゃん〜」

「お代は、ナトリーゼさんのたわわに実ったおっぱい・・・・を揉ませてくれれば、タダでいいですよ」

「うんわかった〜」

「え、嘘⁉︎ 本当に⁉︎」



「————いいわけないでしょう!」



 レトの背後から何者かが彼の首に腕を回し、そのまま締め上げる。

 その正体は、神官の弟子である十六歳の猫耳族の少女ソーニャ=ビスケーだ。

 翡翠色のセミショートへアに、切れ長で鳶色の瞳、すっと通った鼻梁に、薄く結んだくちびる、まさに美人と呼称するのがふさわしい。何より特徴的なのは、猫のような黒い耳と尻尾で、妖艶さをも印象づける。

 そればかりか、小柄な見た目ということもあって、可愛さのギャップも兼ね備えている。

 もともと彼女は表情の変化に乏しく、冷たい雰囲気を纏わせているのだが、いまはメラメラと燃え上がる怒りの炎が、蔑んだ眼差しから垣間見える。現に、尻尾がピンッと逆立っている。 


「師匠! なに治療に乗じてセクハラしようとしてるんです!」

「うぐぅううううう、ギブぅううううう」


 回された腕を必死にタップすると、急激に力が弱まった。レトは喉元をさすり、呼吸を整える。

 萎れる尻尾とともに、ソーニャは呆れ顔で溜め息をついた。


「というか、ナトリーゼさんもどうして簡単に了承するんですか……」

 

 ナトリーゼは顎に人差し指を当てて、首を捻り、


「だってあたし、どこかに財布を落としちゃったみたいで、お金ないんだよ〜」

「それでも、安易にからだを差し出したらダメです。こういうバカが付け上がりますからね」

「ひどいよソーニャ」 


 ドタバタが落ち着いた頃合いで、三人は椅子に腰かけて向かい合った。

 ソーニャはいつもと変わらない無表情をしている。ということは怒りが鎮まってくれた証拠でもある。

 そして栗色の髪をサイドアップさせた十九歳のナトリーゼは、ニコニコとした笑みを浮かべている。

 レトはそんなナトリーゼに話を振った。 


「魔王軍はこんな辺境の地まで侵攻範囲を広げているんですか?」

「たぶんシェーン街道の東側で、戦いが展開していると思うよ〜」


 シェーン街道とは、王都と城塞都市グロリトンを結ぶ、本来は人の往来が大陸でもっとも多い本道だ。

 カーディグラス城のあるグロリトンは、乗っ取られて此の方、魔王軍の軍事拠点となっている。


「それならナトリーゼさんはどうしてこんなところまで?」

「あたし、すっごい方向音痴なんだよ〜。部隊のみんなとはぐれちゃって〜」

「「あ〜」」


 レトとソーニャの発した言葉が重なった。どこか抜けている彼女にすごく合点がいく話だ。

 今度はソーニャが質問をする。


「もしかして怪我をしていたのも、転んだのが原因だったりしませんか?」

「すご〜い、どうしてわかったのソーニャちゃん!」


 あ〜やっぱり、と二人は心の中で同じ感想を抱いた。

 ナトリーゼはゆっくりとした動作で立ち上がると、王国のシンボルマークが刻印されたグレーのマントを羽織る。


「それじゃああたし、そろそろ行かなくちゃ」

「村の入り口まで送ります」

「私も旅の備えになる物を見繕ってきます」


 どうしてここまで手厚いフォローをしているのか。それは田舎特有の温厚な人柄からくる行動ではなく、単に不安すぎるからだ。


 村の入り口までやってきて、別れを告げたナトリーゼは、こちらに背を向けて歩き出す。

 彼女のカバンには、当面は凌げる食事とお金が入っているが、二人は心配そうな表情のまま手を振り続けた。 


◇◇◇◇ 


 ——神官とは、数多ある教会に勤めるための資格である。

 そして、その神官になるために必要な条件の一つに、白魔術師であることが求められる。

 

◇◇◇◇

 

 十八歳のレト=タナグラは、五年前に妹を亡くしている。

 もともとは宗教の総本山であるパナケイア神殿に勤める夢があったが、そのショックが起因し、行脚という名目で旅に出た。

 目的もなく各地を巡り、流れ着いたのがここヴェルデ村である。そして、なんとなくこの村の教会に住み着いてしまった。妹と雰囲気が似ているソーニャがいたのも、理由の一つかもしれない。

 弟子として迎え入れたのは、無意識に寂しいという想いが、心のどこかにあったのだろう。

 教会にはレトの他にも神官が一人いた。だが彼は、王国軍への志願のため、レトが来て間もなくこの村を発っている。

 

 白魔術を教える代わりに、ソーニャが家事全般を引き受けてくれている。なので、食事はソーニャの家で手作り料理を食べるのが日課である。

 また、寝床は仕事場を兼ねた談話室を使っている。

 ヴェルデ村には、孤児院のような子供たちに勉学を教える施設はないが、前の神官は子供たちのために教鞭を執っていた。

 レトはそれを引き継ぐ形で談話室を使って、子供たちに語学や歴史を教えている。

 授業の他にも、遊びを通じて親交を深めていたりもする。

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