第4話
***
あいつ――輝海とは、昔ながらの幼馴染だったんだ。まさに和斗くんとルイくんのように、ね。
輝海は小中高と一緒で、大学はそれぞれ別の場所に進学した。けど、離れていても連絡は途絶えずにいて、関係性が崩れることはなかった。
それでね、大学を卒業して、互いに就職先を地元の近場にして、またこの町に戻ってくることにしたんだ。
仕事で忙しくなって、あんまり輝海と話す機会も少なくなって来たある日のことだった。
「あのね、沙耶に案内したい場所があるの」
この時の私達は、年齢的にも互いに働き盛りで、いい大人だったはずなんだ。なのに、まるで秘密基地を見せびらかすように子供のように、輝海は口元を緩めながら案内したんだよ。やっぱり今思い返しても、少しだけ笑ってしまうよね。
それで、だ。ここを案内されて、私は驚いたよ。ただの物置きだったはずの場所が、なんと小綺麗な場所へと変わっているじゃないか。
「この場所、どうしたの?」
「おじいちゃんが使わない建物を譲ってもらって、教会風にリフォームしてもらったんだ」
教会、という言葉を聞いて、その時の私はすぐにピンと来たよ。当時はマザーテレサが来日したばかりでね、多くの日本人が彼女の存在を知っていた。いわゆるブームみたいなものだったんだ。詳しくは知らなかったけど、興味のない私でも名前くらいは耳にしたことがあるほどだった。
「私ね、マザーテレサに感動したんだ」
輝海は、目を輝かせながら言った。
人に甘えているばかりの輝海だからこそ、そこまで関心はないと思っていたのに、まさか輝海の口からそんな言葉が出て来るとは思わなかったし、そんな行動をするとは思わなかったから、輝海には驚きを隠せなかったよ。
「私のことを言われているのかと思った。私の心にはね、ぽっかりと穴が空いていたんだって、その時に分かった。大学生になって一人で生活するようになってからや、地元に戻って仕事を始めてからも感じるようになった、言葉に出来ないモヤモヤの正体がようやく分かったんだ」
輝海とはずっと幼馴染をやって来たつもりだったから、そんなに悩んでいたとは知らなかったよ。むしろ、いつも能天気で何も考えずに生きているような子だったのにね。
「私はね、今までたくさんのものを貰って来た。でも、私から与えることは、これまでしてこなかった。だから、苦しくなる一方だった。そんな時に、マザーテレサの言葉が響いたの。与えることが幸せに繋がるって、矛盾しているようにしか思えなかった。けど、その言葉通りに生きて笑っている彼女の姿を見て、本当かもしれないって思うようになったんだ。不思議だよね。そしたら、私もそうして生きたいって思うようになって来て、気付けば――」
「それだけの理由で、ここまでしたの?」
「うん。やっぱ形から入りたかったんだ。あ、でもね、形だけ入っている訳じゃないんだよ」
聞けば、すでに輝海は働いていた職場に辞職を出していて、身を捧げる準備は出来ているってね。普段はマイペースでゆっくりなくせに、そういう時の行動力は昔からすごかったんだ。
「なんで、そこまで……」
「うーん」
輝海は考えるように首を傾げた。けど、輝海の中で答えは決まっていたんだろうね。すぐにニコッと笑みを見せると、
「もし辛く寂しい想いをしている人がいたら笑って寄り添ってあげられるような人になりたいから、かな」
真っ直ぐな瞳は、今でも忘れられないよ。
それからの輝海は、自分が言った言葉通りに、他人に対して尽くすようになったんだ。
顔を顰めている人がいれば迷わず声を掛けたり、無償で食事を振る舞う機会を設けたり、町全体に渡って掃除をしたり挨拶をしたりもした。小さな動物に対しても、手を掛けていたっけねぇ。それと、マザーテレサが信仰していたキリスト教も信仰するようになって、隙間時間を見つけては聖書を読むようになっていた。実際に有名な神学者の元に行って、学んだりもしてたよ。
だけどね、当然馴染みのない田舎で、最初の方は輝海は受け入れられなかった。私もやんわりと止めた方がいいと注意したこともあったんだけど、輝海は変わらなかった。
誰にでも出来そうで、けれど誰もやらないような小さなことを、自分から進んで行ない続けた。
そんな輝海の前に、人々の心が解けるのは時間の問題だった。
そもそもね。接していく内に、誰からも受け入れらるような、不思議な雰囲気。周りが放っておけないような、性格。そういう言葉には出来ない魅力が、昔から輝海にはあったんだ。
まぁ、前提条件として、輝海の行動自身に人を傷つけるような悪い行動は一切なかったわけだしね。
だから、人々が受け入れるのも、ある意味では自然な流れだったと思う。
最初の時が嘘のように、この町の人は輝海を応援し、輝海の元へ訪れるようになった。
輝海の表情は、今まで見たことがないくらいに充実していたよ。
でもね。この町で輝海の行動が求められるようになった頃、忽然と輝海は姿を消してしまったんだ。
最初、町の人は戸惑っていてね。誰も理由を知らないから、余計にだ。でも、輝海の性格を知っている人々は、気長に待つことにしたんだ。私も輝海の気まぐれだろうと、軽い気持ちで待っていたよ。
でも、一向に輝海は帰って来なかった。
人っていう生き物は単純で、目に見えるものや手が届くものに影響を受けやすい。人々が、輝海のことを忘れて、前の生活に戻っていくのは時間の問題だった。いつしか、誰も輝海のことを話す人はいなくなったし、ここも置き去りにされるようになったんだ。それが、この教会がここまでボロくなった理由。
そして、ある日――じゃないね、輝海がこの町から姿を消してから数年後。
「沙耶、元気?」
まるで昨日ぶりに会う友達に挨拶するかのような気軽さで、輝海は急に帰って来たんだ。たまたま私がここにいたから再会できたものの、もしいなかったらどうしてたんだろうね。今思い返しても、不思議でしょうがないよ。
久し振りに帰って来た輝海は、何かを確認するように教会の中を詮索したと思ったら、「よし」って納得するように一人頷いてね。
呆気に取られていた私だったけど、流石にこのまま放っておくことは出来なくて、
「ねぇ、輝海。あんた、この数年、いったい何して――」
輝海の顔を見て、私は最後まで言葉を出せなかったよ。
最後に見た時よりも、明らかに大人の顔つきに変わっていた。その顔を見て、輝海が簡単には言葉に出来ない経験をして来たのだと悟ったよ。
だけど、笑うと子供みたいに顔をくしゃっとさせるところは、全く変わっていなかった。人と人との心の境界線を曖昧にしてしまうような笑顔で、「世界を回ってたんだ」と私の想像を遥かに超えるようなことを口にした。
「自分の可能性を広げたくて、世界に行ってみたんだ。この町でやれることも限られて来たし、それに声を掛けてもらえたっていうこともあったしね。実際、行ってよかったよ。人助けも出来たし、私なんかでも役に立てるんだって分かったからね」
昔から決めたことには一直線なところがあったけれど、まさかここまで突拍子もない行動に出るとは思いもしなかったよ。呆れ半分、尊敬半分で、揚々と語る輝海の言葉に耳を傾けていたんだ。
だけど、途中で輝海の弾んでいた声は、震えるような声へと変わっていった。
「でもね、世界は私が思っていたよりも悲惨な状況だった。大変なことがいっぱいあったんだ。本当にたくさんたくさん」
本人も自覚していないくらい、自然と目から涙が零れ落ちた。こういう表現は正しくはないと思うけれど、多くもがいてきた分、輝海の涙は光り輝いて美しかった。
気付けば、私は輝海を抱きしめていた。
輝海が抱きしめられる人はたくさんいるけれど、輝海を抱きしめられる人は私しかいないと思った。
するとね、輝海は箍が外れたように、声を上げて泣いたんだ。私もつられて泣いてしまったよ。
暫くの間、互いの鼻を啜る音だけが響き渡った。支えあって、溶けあって、互いに一つになっていくかのようだった。
「ねぇ、沙耶。一つだけ我が儘言っていい?」
私の肩に顎を載せながら、輝海は甘えた声で訊ねて来た。私は無言でいることで先を促した。
「この場所の管理、任せていいかな?」
「え?」
思ってもいなかった輝海の我が儘に、私は腕を伸ばして輝海の顔を見た。涙で瞳を赤くさせていたけれど、輝海の表情は真剣そのものだった。
「沙耶になら託せられるかなって」
「任せるって、どういうこと? 管理なんて、私よく分からないよ?」
言いたいことはたくさんあって、私の口からは当たり障りのない疑問しか出てこなかった。けれど、私の疑問なんて吹き飛ばすように、輝海は笑顔を浮かべると、
「大丈夫、私が安心したいだけだから」
「……安心?」
「うん、ここは私の原点だからさ。この場所がなくならない限り、私は頑張れる」
「それって……」
「気が向いたら掃除するくらいの、軽い気持ちでいいからさ。じゃあ、よろしくね」
まるで輝海は私の言葉を遮るように一方的に約束を交わすと、また旅立っていったよ。
交わした言葉の数は少なかった。けれど、私は輝海の言葉に出来ない心情を察したんだ。
それから、だね。あいつとの約束を律儀に守って、この場所を守ることにしたのは。
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