第3話
***
幼馴染である累は、僕にとって傘のような人だった。
雨のように降りかかる問題に対して、累は僕がずぶ濡れにならないように守ってくれていた。実際に累のおかげで助けられたことが、どれほど多かっただろうか。数え切れないくらい、たくさんある。
累と一緒にいると安心出来た。累のおかげで、僕は一人で悩むことがほとんどなかった。
一度だけ累に僕に優しくしてくれる理由を聞いた時、「父ちゃんも母ちゃんも、なんなら祖父ちゃんも祖母ちゃんも、周りには優しくしろって言ってたからなぁ」と言っていた。僕も両親から聞いたことがあったけど、行動には移せなかったから、素直に累のことを尊敬した。
累の善意に甘え続け、そのせいで僕の頭上には雨が降り注いでいないと思い込んでいた。けれど、実際は違っていた。僕に降りかかる問題を全て、傘のように防いでくれる累に任せきりにしていただけだった。
だから、累が転校してしまった時、今までのツケが僕に降りかかって来た。その時になって、累に丸投げしていたことにようやく気が付いた。しかも、累が防いでくれていたのはただの雨ではなく、滝のような夕立だった。
雨を凌げる傘の下は安全地帯だ。だけど、一人用の傘は他人との距離も隔てる。距離を隔てていくうち、知らず知らず僕の体には孤独が染み付いていた。
そして、累がいなくなった途端、人との関わり方を分からず孤独の匂いを漂わせる僕は、一人そのものになった。
今まで傘の中が、僕の世界だった。だけど、違う町にいる累にはもう頼り切ることが出来ない。
頼り切っていた世界が崩れ、完全に一人きりになった今、この町でどう生きようかと思っていたのに、
「なんで僕は黒猫と一緒にいるんだろ……」
何の縁があってか、昨日出会った黒猫と一緒にいた。しかも、今いる場所も、黒猫と出会った教会の跡地の前だ。
校門の前で黒猫を見かけた時に過った直感は、正しかったということだ。
しかも驚くべきは、校門から跡地まで人間でさえも音を吐きそうな距離だというのに、寄り道することなく真っ直ぐにここまで辿り着いたことだ。
「この黒猫、只者じゃないのかも……」
そう呟いた途端、黒猫は「にゃぅん」と弱々しい鳴き声を出し、昨日と同じ玄関先で丸くなってしまった。まさに猫そのものの仕草を見て、僕は苦笑しながら肩を落とす。何を考えていたのだろうか。考えすぎて自分の世界に入り込んでしまうのは、僕の悪い癖だ。
「……さて」
せっかくここまで来たのだから、沙耶さんに挨拶をしようと思い、僕は扉をノックした。すると、「はい」という声と共に扉が開かれた。
「おや、和斗くんじゃないかい」
「あ、こんにちは」
沙耶さんの屈託のない笑顔に、僕もつい笑顔を浮かべた。沙耶さんに対して色んな噂が飛び交ってしまっているけれど、実際の沙耶さんを見れば、噂なんてすぐに訂正されるはずだ。
「どうだい、上手く出来たかい?」
僕は小さく首を横に振った。
「せっかく来たんだ。中に入って、お茶でも飲んでいくかい?」
沙耶さんの優しさは、僕の胸に染みた。僕は小さく頷くと、沙耶さんが開いてくれていた扉の中に入っていった。
昨日は入らなかった教会の跡地の中。
扉を開けば、高い天井の下、一番奥の説教台を囲むように椅子が置かれていた。
「……わぁ」
初めて見る教会の中を見て、息を呑む。教会の中は、思ったよりも綺麗だった。古びた外観から、中も相応の様になっているのではないかと勝手に思っていた。きっと沙耶さんが掃除をしているのだろう。
それでもやっぱり、沙耶さん以外の人が訪れていないことは明白で、ところどころ埃が被っていたり蜘蛛の巣が掛かっていたりした。
キョロキョロと周りを見る僕に対して、「こっちだよ」と沙耶さんは楽しそうに笑いながら進み出す。黒猫もちゃっかり入り込んでいたようで、尻尾を振りながら沙耶さんの隣を歩いていた。遅れないように沙耶さんについていく。
沙耶さんが案内してくれた部屋には、少し大きめの机と椅子が対となって置かれていた。奥はカーテンで仕切られたような場所がある。相談室、みたいなところだろうか。
「適当に座っていいよ。少し待っていておくれ」
そう言うと、沙耶さんはカーテンの奥に入っていった。迷いなく机のど真ん中で丸くなり始める黒猫に対して、一番扉に近い椅子に僕はそっと腰かけた。と、ほぼ同時に、沙耶さんは麦茶が入ったグラスを二つ持ってきて、僕の目の前に置いた。
「なんでここで暮らしてるんですか?」
あまりの速さに、つい疑問が口から飛び出していた。
沙耶さんは大きく口を開けて笑いながら、僕の対面上に置かれていた椅子をこちらの方まで持って来る。
そして、椅子に座って麦茶を一口飲むと、
「別に暮らしてるわけじゃないんだよ。だけど、約束しちまったからねぇ」
「約束?」
「あぁ、そうさ。マザーテレサのような生き方を地でするような女と……、ね」
「一体どんな……」
一瞬だけ、沙耶さんは切なそうに唇を結んだ。だけど、次の瞬間にはパッと表情を切り替えて、「和斗くんは時間あるのかい?」と問いかけて来た。累がいなくなって友達もいない僕は、家に帰ってもすることはない。けれど、それよりも沙耶さんと話す時間は、普通に楽しい。むしろ僕からお願いしたいくらいだ。「もちろん」と頷いた。
「じゃあ、少しだけ年寄りの与太話に付き合ってくれるかい? もしかしたら今の和斗くんにも役に立てる話かもしれないしねぇ」
そう言うと、沙耶さんは遠い目をしながら語り出した。
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