19 始まりの話
タスマは一通りそうやって必要そうなことをベアリスにしゃべらせると、
「では、いつものように準備します」
と言って席を立った。
テイト・ラオは一人残されて座っているベアリスをタペストリーの影からちょっとじっくり観察をした。
来た時より顔色が良くなっていて表情も明るい。
(本当にすっきりしてるみたいだな)
ということは、呪いがついてもタスマのところに来て話をし、処方をもらえたらそれで治まるという話は本当なのだろう。
(だったら、なんでまたつくんだ?)
それが現在のところの一番の疑問だ。
(タスマさんの守り札とお守りですぐに退散するぐらいの弱い呪い、つまり呪ってる相手もプロではない。素人でベアリスさんに羨ましいとか妬ましいとか、そんな気持ちをぶつける程度の人間の仕業だと思える)
そうだとしたら、一度祓われたらもうつかないと推測できた。しょせんはちょっと羨ましいと思うぐらいの軽い呪いだ。本人だっておそらく本気で呪ってやろう、そうは思わず知らないうちに生霊をちょっと飛ばしてしまったぐらいのこと、守り札とアクセサリーではじかれたらもう寄り付けもしないだろう。
(それなのに、札やお守りをあんなに歪ませるほどの力があるってのが信じられない)
それほどに強力な呪いなら、タスマの力ではどうにもできないはず。そしてタスマが祓えるほどの力なら、もう二度とつけないはず。
(そのへんの謎を解かないとなんともならない気がする)
テイト・ラオがそう考えながらベアリスを観察していると、タスマが戻ってきて揃えた品を渡して料金を受け取った。
「じゃあ、ありがとうございます。あの!」
ベアリスは品物が入った紙袋をしっかりと抱えると、優しい目でタスマに言う。
「タスマさんは本当に私の亡くなった祖母に似てるんです。だから、もしも呪いがなくなったとしても、お会いしに来てもいいですか? タスマさんと話していると、本当に祖母と話しているようで……」
ベアリスの瞳にうっすらと涙が浮かんでいる。
「ええまあ、来て話をするだけという方も結構いらっしゃいますしね。構いませんよ」
「よかった!」
ベアリスは上機嫌で帰っていった。
「いっつもね、帰りにああ言って帰るんですよ」
タスマが誰に言うともなくそうつぶやく。そうなのだなと思いながらテイト・ラオは返事をせずにじっと待っていた。
「ああ、もう出てこられてよろしいですよ。先生もおかたいですね」
タスマが笑いながら言って、やっとテイト・ラオはひょっこりとタペストリーの影から出てきた。
「ありがとうございます。それで、毎回帰りにまた来てもいいかと言って帰るということですか」
「ええ、そうなんです」
「そういえばクラシブさんもおっしゃってましたね、タスマさんがベアリスさんの亡くなったおばあさんに似ているって」
「街で声をかけられた最初がそれだったんですよ」
タスマは時々マツカで営業をしている。街の人ももう慣れた風景で、商店街の一角に座り、誰かに声をかけられるまでじっと座っている。日によっては誰も声をかけてこない日もあるが、ちょっとした悩み事のある者がお茶いっぱいほどの金額で相談事を持ちかける。森の中の庵でじっと待っているよりは実入りがややいいのだ。
その日、ベアリスはまず占いをしてほしいと言ってタスマの前に座った。タスマはベアリスの顔を知っていた。何しろあのクラシブの新妻となった女性だ、本人が思っている以上に有名人なのだから、情報収集も仕事の一部であるタスマが知らないはずがない。
ただ少し不思議には思った。ほんの数ヶ月前に何不自由ない結婚をしたばかりのボガト商会の若奥様が、何を占ってほしいのだろうと思った。なぜならタスマの前に座るのは、ほとんどが恋の悩みを抱える若い娘か、仕事に行き詰まっているくたびれた中年といった顔ぶれだからだ。ある意味、一番ここに座る必要がなさそうなベアリスがどのような用事なのかと思っても不思議ではない。
タスマは興味を持ってベアリスの話を聞いたところ、どうも最近寝付きが悪く夢見も悪い。いつもじっと誰かに見られている気がすると、どうにも恋の恨みを持たれているような状態をいくつか並べ、そしてこう言った。
「誰かに恨まれているようなんです」
さもありなんとタスマは思った。何しろ街中の若い女性の耳目を集めて続けていたクラシブが選んだ女性だ、我こそと思う者、そうでもない者、みなの
そこで軽い気持ちで守り札を1枚と身に付けるアクセサリーを1つ売った。それで終わったと思っていた。ちょっとした羨み程度なら、それではじけばもう終わりだと。
ベアリスは赤いビーズで編んだ腕輪を左手首につけてもらってうれしそうに笑い、そしてさらにこんなことを言ってきた。
「タスマさんは、実は私の亡くなった祖母によく似ているんです。本当に、おばあちゃんが戻ってきたみたい。ずっとお話ししたいと思っていたんですが、呪いのおかげでやっと声をかけることができました。また来て話してもいいですか」
タスマは驚いたが、いいお客がついたと、
「構いませんよ」
と答えた。
それが全ての始まりであった。
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