3 魔女キュウリル

「許可なく魔女の領域に足を踏み入れるのは何者かあ!」


 しわがれ声がそんな誰何すいかの声をかけた。


「もう、分かってんでしょ? 僕です、キュウリル師匠の愛弟子まなでしのテイト・ラオですよ」


 テイト・ラオはやれやれと肩を一つすくめると、遠慮なく部屋の中に入りドアを閉める。


 そこには魔女がいた。


 物語でよく見るような長く垂れた鼻には醜いイボが一つ、二つ。白目と区別がつかないぐらい濁りのある黒目が、何重ものシワにしか見えない下まぶたと、同じく今度は上から垂れた上まぶたの間で鋭い視線をたたえている。こけた頬から突き出した頬骨から、落ち込むような深いほうれい線がくしゃくしゃと中央に集まって口を包み、その間からは尖った歯と歯のない空洞部分がランダムに並んでいるのがチラリと見える。

 全身を黒いフードに包まれて、灰色に濁ったくしゃくしゃの髪の上にやはり黒くてくしゃりとなった年季の入ったとんがり帽子。杖をつき、曲がった腰に手を当てた、魔女の見本のような老婆はじっと訪問者を睨みつけていた。


 魔女は突然「カカカカ」と高笑いをすると、


「あんただったら無理してよそ行きのかっこしてることもないわね」


 と言って、ぼわんと魔女の扮装ふんそうを解いた。

 

 そこに立つのは魔女とは打って変わって色気のある年齢不詳の美女。服装は魔女のものだが、帽子の下からは豊かな黒髪がつやつやとながれ落ち、髪が形をなぞるのは長い白い首、斜めにゆるやかなカーブを描く肩、そして半分谷間が見えている豊かな胸だ。

 黒いフードの凹凸おうとつから、きゅっと引き締まった細い腰のシルエットを伺うことができ、その下にはどんな足がつながっているのかと、思わず想像してしまうなまめかしさ。

 いたずらっぽく笑みを浮かべたその顔も、柳のようにしゅっとかれた細い眉、艷やかな輝きを放つ切れ長の黒い瞳、整った鼻の下には紅をさしたように赤い唇。


「まったく、普通の人はよっぽどそっちの方がよそ行きだと思いますよ、相変わらずだなあ」


 テイト・ラオはもう一度肩をすくめると、


「はい、お昼一緒に食べませんか?」


 と、持ってきた食事をテーブルの上に置いた。

 

「だあってえ~疲れんのよ~魔女っぽくしとくのも。誰がいつ来るか分からないでしょ? 素の姿を見せてその期待を裏切るようなこと、あたしにはと~ってもできないわ~」


 声もしわがれた老婆の声から、高くも低くもないが人を引き付ける響きを帯びた若い女性の声とこの口調。キュウリルはその声でそう言いながら、赤く塗った長い爪を持つスラリと細い指10本を振り、同じように首も振る。長い髪が一緒にさわさわと揺れ、思わずゴクリと唾を飲み込むような色っぽさ。


「だったらずっと、その姿でいたらどうですか」


 テイト・ラオは食事の支度をしながら「師匠」にそう言う。


「そんなことしたら町に遊びに行きにくくなるじゃないの!」


 キュウリルは異議あり! といった口調でそう言うと、テイト・ラオが並べるごちそうの前の椅子にすとんを腰をおろした。


 そう、この魔女はしばしば人の町に繰り出して遊んでいる。人と魔女は本来交わってはいけないのだが、「ちょっとぐらいいいじゃない」とふらっと町に出て、人の振りをして飲んだり食べたり、時に歌ったり踊ったりもする。


「そんなことしていいんですかね、魔女はあまり人と接触してはいけないんでしょ?」


 テイト・ラオも説教じみた言葉を口にしたことがあるが、そうしたらこんな言葉が返ってきた。


「それはね、未熟な魔女もいるから、それでよ。そういう魔女は間違いを犯して伝説に残ったりするような真似をする。だけど、あたしぐらい物の分かった魔女は大丈夫だから、心配しなくてよろしい」


 本当だろうかと疑わしくはあるが、テイト・ラオも魔女についてそう詳しいわけではないので、堂々とそう言い切られてしまったら、もうそれ以上言い返す言葉を持ってはいない。


 だが、キュウリルがそれなりに偉大な魔女だというのはどうやら本当らしい。テイト・ラオの「人の方の師匠」から聞いたところによると、


「いつの頃からこの世に存在しているか分からない古い魔女で、最古の最も偉大な魔女『深淵しんえんのマテル』の弟子」


 だということだ。


 そもそも「深淵のマテル」自体がもう伝説で、本当にいたのかどうかも分からない存在なのだが、その弟子だということは、それだけで「そりゃもうすごい魔女」ということになるらしい。


「本当にいたんですか、深淵の魔女。そして師匠がその弟子だってのも本当?」


 そうも聞いてみたことがあるが、キュウリルは「ふふん」と笑うと、


「まだまだそんな年じゃないわよ」


 と、何が本当だか分からない返事を返すばかりだった。

 

 だからもう、そういう分からない部分についてはテイト・ラオも聞くことはない。ただ、自分の目の前にいるキュウリルについて見えること、知ることだけで判断するしかない。


「なんでもいいですけどね、とにかくそんなに面倒なら、そんな扮装やめて楽でいればいいでしょ。訪ねて来る人間だってそんなにいないだろうし」

「それがね、結構多いのよ最近。ほんと、こまっちゃう」


 キュウリルはテイト・ラオが持ってきたパンを白い指で二つに割りながら、めんどくさそうにため息をついた。

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