2 呪医テイト・ラオ
「ちょっとせんせー」
診察室の仕切り窓、患者の来院を知らせる窓口、そこからピンクの髪の女の子がひょこっと顔を出す。
「なんだね、
「なんなんですか、その説明口調は」
「いや、こうして時々言っておかないと口が回らないんだよ」
「だったらもっと簡単な呼び方にしてくださいよ」
ピンクの髪を左右で二つ縛りにしたミユーサは、嫌そうにぎゅっと顔をしかめてそう言った。
ミユーサは今年17歳。昨年母親のライサから受付の仕事を引き継いだ。ハキハキと物を言い、ずっと年上のテイト・ラオにガミガミと母親のように説教をしたりする。おかげで今ではすっかり頭が上がらなくなってしまった。院長よりずっと年上のライサが受付だった時とまるで力関係が変わらないのだから、たまったものではない。
「そろそろこの
「そうか、このところ恋愛がらみの呪い多いもんなあ」
ミユーサが見せたのは「軽い呪いに効く守り札」で、一番下のランクのやつだ。今朝の患者5人のうち4人が同じ症状だった。もう1人は腰痛のタイエおばあさん。常連で定期的に湿布をもらいにやって来る。
「午後の分はありそう?」
「患者の数にもよりますね、もう10枚もないですよ」
「追加しておかないとだめかな」
「そうしてください。じゃあ、ちょっと早いけどお昼休みの札出しちゃいますね」
ミユーサはそう言うと、雇い主であるラオ先生の許可を待つ素振りもなく、とっとと入口に「休憩中」の札を下げに行った。
「相変わらず自由だなあ」
テイト・ラオはケラケラと笑うと、
「それじゃあ僕も昼食がてら仕入れに行ってくるか」
と、
テイト・ラオが向かったのは、人里から少し離れたところにある「テイト・ラオ医院」から一番近い町マツカだ。徒歩10分というところで、昼食をとるのにちょうどいい店がいくつもある。顔馴染みも多く、町に一歩入ったら、あっちこっちから「ラオ先生どうも」とか「ラオ先生こんにちは」などと声がかかる。
地方の中堅都市といった規模の町マツカは街道の中継地点としてもいい位置にあり、宿屋も多い。行き交う旅人も多く、声をかけられているテイト・ラオをちらりと見ると、先生と呼ばれていることとその服装から「医者かな」と思ったぐらいで行ってしまう。
テイト・ラオ。年齢は二十代後半から三十代前半というところに見える。くしゃっとした髪を適当に手で撫でつけただけの
身長はやや高く、やや痩せ型。細身の体の上にふわっとぼさっとした髪が乗っかっているせいか、なんとなく比重が上にあってふらっと転んでしまいそうに見えないこともない。
いつでも医者が着る裾の長い白衣を羽織っているが、その下からのぞく私服には特徴がなく、そのへんの物を適当に着ているという感じ。どうも
「顔の造りは悪くないんだから、もうちょっとちゃんとしたらどうです? そしたら彼女の一人でもできるかも知れませんよ」
とは、まだ母親のライサにくっついて医院に来ていたミユーサが10歳ぐらいの時に言われた言葉だ。思えばこの時に、既に彼女との力関係は出来上がっていた気もする。
テイト・ラオは今日は店には入らず、パンとちょっとした惣菜を持ち帰りにしてもらい、それを抱えて医院とは違う方向へ歩き出した。
向かった先は「コオエンの森」だ。テイト・ラオが仕入れる守り札を作っている魔女キュウリルが住んでいる。足を伸ばすついでに、一緒に昼ご飯でもと食べ物を仕入れた。
町からほど近いとこにある森ではあるが、一歩足を踏み入れると、そこが普通の森ではないことがよく分かる。好まぬものを受け入れぬ、そんな意思を感じる森だ。
マツカの大部分の住人には普通の森で、季節の木の実を、自然の恵みを必要なだけ取りに行くには全く問題はない。子どもたちが遊びに行く時にも親は普通に「気をつけていくんだよ」と声をかけるだけ。だが、悪意を持って入ってくる者、森から必要以上の搾取を行おうと思う者は、迷ったり排斥されたりする。これまでもそうして何かの力が森を守ってきた。
ここに魔女が住んでいることはみんな知っている。知ってはいるがあまり触れない。触れないが嫌っているわけでも無視しているわけでもない。ばったり森の中で会ったなら、黙って頭を下げて行き合うだけ。
そして魔女の方も人を嫌っているわけではない。困った人が相談に来た時には話を聞いてやるし、力を貸してもやる。だがやはり、魔女と人とは本来交わってはならないもの、行き合うことはあっても共生はしない。そんな本来の距離感で、この森の魔女と人は互いの領域を守りながら長年暮らしてきたのだ。
言ってみればそれは人と自然が一番うまくいく距離感。それを見極めないとその関係は崩れ、悲劇につながる可能性もある。
「こんちはー、キュウリル師匠いるー?」
そんな距離感を踏み越えて、テイト・ラオは魔女の領域に足を踏み入れる。
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