第4話『多分世界で一番価値のあるウーロンハイだ』
頭の悪い上司ほど最悪な物はないだろう!
イライラとした気持ちを抱えたまま大衆向けの居酒屋へと入り、タッチパネルで注文をしてからゆっくりと席に座る。
本来ならカウンター席に案内されるはずなのだが、今日に限っては一人客が多いらしく、私は一人なのにボックス席に案内されていた。
広いというのは良いことだ。
これなら多少頼みすぎても、問題はないだろう。私の体重以外は。
しかし、このストレスと共に生きるくらいなら、脂肪と共に生きる方がマシである。
つまりこれは前向きな行動なのだ。ダイエットに関しては明日の私が何とかしてくれる。
そう信じている。
そんなこんなでテーブルにやってきた料理の数々を並べながら、ジョッキを手にその中身を一気に飲み干した。
「くぅー!! 効く!!」
これこれ、これを待っていた。
私は一足早い週末の宴を一人始めながら、携帯端末を取り出し世間に転がるニュースなどを見始めた。
が、即座に飽きてしまい、推しの呟きでも眺めるべく、アプリを起動する。
可愛らしい笑顔のミニキャラがアイコンになっている夢咲陽菜という名前を見つけると、呟きの一覧を開いた。
一番最近の呟きを開きながら、私は思わず笑みをこぼした。
『今日はいっぱい買い物した! やっぱり車は早いね。私じゃ勝てないよ!』
そんな呟きと共に二枚の写真が投稿されており、一枚は車の後部座席に大量に乗せられた買い物袋。
そろそろ夏になるし、夏服かなと袋に書かれているブランド名から推測する。
そして二枚目は相変わらず太陽の様に笑う陽菜ちゃんと、その奥で運転に集中しているであろうお兄さんの光佑さんだ。
何度見ても思うけど、顔が良い。国宝だわ。
(しっかし、何度見ても思うけど凄い可愛い。同じ人類とは思えないわ)
そんな僻んだような羨んだような思いを陽菜ちゃんに感じるが、感じたところで無意味だ。
特別な人間というものは居る。そんな相手に嫉妬しているより、自分の出来る、手に入る幸せを喜ぶべきだろう。
まぁ、無論下駄は大量に履かせてもらうが。
問題は光佑さんくらいの良い男を捕まえる為には、どれだけ下駄を履く必要があるのか、という点だが。
正直難しい。生まれ変わって陽菜ちゃんと同じくらい可愛くならねば勝機は薄い。
悲しいが、これが現実だ。
いくら腹立たしかろうと、ないものねだりは出来ない。
「あーあ。どっかに私の事を見つけてくれる良い男は居ないかしら」
なんて呟きながら、ふと横を見ると、どうやら店員が今まさに客を連れてきたばかりの様だった。
思わず聞かれていないかと口を塞いだが、おそらくは大丈夫だろう。
大丈夫だと信じたい。
しかし、気にはなるので、横へ意識を向けてみる事にした。
「へぇー。ここが居酒屋なんだね。すごーい。あ。これで注文するの?」
「そうだよ。とりあえず何か食べたい物はあるかい?」
「んー。そうだなぁ。よく分からないし。お兄ちゃんのオススメで!」
「分かったよ。じゃあ適当に頼むとしようか」
どうやら左側のボックス席に座ったのは兄妹らしい。
仲のいいことだ。
別に残念でもないが、私は一人っ子なので、兄も弟も妹もいた経験が無い。
だから、その辺りの感覚はいまいち分からない。
しかし、普通の兄妹というのは二人きりで居酒屋に来るものなのだろうか、という疑問がふと頭に浮かんだ。
(おいおい。もしかして、怪しい関係じゃないだろうな。変な事は始めないでくれよ?)
等と考えながら、ジョッキから一気にアルコールを摂取し、塩分を取るべく焼き鳥を口にする。
「あ。そうだ。呟いちゃおー」
「どうせなら飲み物が来てからにした方が良いんじゃないか?」
「それもそうだね」
「お待たせしましたー!」
「ナイスタイミング! ありがとうございます!」
「い、いえ」
「こら。店員さんを困らせちゃ駄目だろう? すみません」
「いえ! こちらこそ! ごゆっくりー!」
「お兄ちゃんだって困らせてるじゃん」
「そうみたいだ。申し訳ない事をしたな」
「しょうがないね。二人で反省しよう。でもそれはそれとして呟き、呟き」
どうやら左の席に座っている兄妹の妹が、呟きアプリに写真を撮って投稿しているらしい。
そして横から完了ー! という声と同時に私の携帯端末が震えた。
どうやらアプリが新着通知を知らせているらしい。
そしてその相手は、ちょうどページを開いていた相手らしく、その呟きがすぐ目に入った。
『今日は初めてのお酒! ウーロンハイって奴。飲んでみます!』
私は数秒前に投稿されている写真を見つめ、そして、すぐ横へと目を向けた。
写っているテーブル。酒、服! 全て一致している。
まさか? そんなことがあり得るのか?
こんな偶然。
あり得ない。
「お、お酒飲むの緊張するね」
「無理しなくて良いんだぞ」
「ダイジョーブ。お兄ちゃんも一緒だし」
「いや、俺は飲まないよ?」
「えぇ!?」
「飲酒運転になっちゃうからね。俺は普通のウーロン茶だよ」
「そ、そんな! 一緒に飲むと思ったから勇気を振り絞ったのに!」
「残念だけど、ここから先は陽菜が一人で進む道だね」
「あーうー」
楽しそうに話す二人の声! そしてお兄さんが言った陽菜という名前!
これは間違いない! 二人は本物だ!!
あわわ、まさか、こんな、現場に立ち会ってしまうとは!?
私は動揺のままタッチパネルで追加の注文を行いつつ、アルコールを追加で体に叩き込んだ。
そして震える手で、携帯端末の呟きアプリを動かす。
無論、この二人にこんな近くで出会えた喜びを呟くつもりだが、その動きは画面に書かれた文字を目にした事で止まった。
『陽菜ちゃん! 初のお酒チャレンジ頑張ってください!!』
『これ、某有名チェーン店じゃね? テーブルとかグラスとか、完全にソレだろ』
『え? つまり、都内の関係店を全て探せば二人に会えるって事!?』
『なるほどな。久しぶりに外へ行く必要が出た様だ』
『もっと外に出ろ』
『おいおい二人の邪魔すんな。自重しろ』
『兄さんに迷惑をかける奴は潰す』
『プライベートな時間だろ。空気読めよ』
「お待たせしましたー!」
「あ、はい。ありがとうございます」
「ごゆっくりー」
私は幾分か冷静さを取り戻した頭で、出来たての焼き鳥を口にしつつ、横の席を盗み見る。
幸せそうに、食べ物を分け合って、笑っている。
最高の時間だろう。今が、何よりも素敵な時間だろう。
私だってそんな時間を邪魔されれば不愉快になる。ならば普段人に見られている二人はもっと不快になるだろう。
当たり前だな。
私はジョッキを傾けながら一気にアルコールを飲み込む。
「推しの幸せを守るのが私たちの役目だろ」
私は呟きアプリを消し、携帯端末をしまうと、横に居る何者でもない二人の会話を聞きながら飲み食いを始める事にした。
「おいしー。ね、ね。お兄ちゃんも食べる?」
「それは陽菜の分だろう。俺が貰っちゃ申し訳ない」
「細かい事気にしないのー。代わりにお兄ちゃんの一切れちょーだい」
「あぁ。ほら。口開けて」
「ありがと! あーーん」
「旨いか?」
「うん。凄いね。こんなに美味しいのに、頼んだらパパって出てくるの。魔法みたい」
「そうだね。それだけ店員さんが頑張ってるのかもしれないな」
「そうなんだね。じゃあお礼いっぱい言わないとね」
「それが良いね」
うっっっっっっ!!
天使過ぎんか?
二人ともリアルでこんなんなの!?
配信だけ人当たりが良い感じにやって、本音はアレなのかと思ってたけど。
まさか配信と本音がここまで同じとは思わなかった。
多少は本音的な事が聞けるかもしれないっていう欲もあったんだけど。
この分じゃ、陽菜ちゃんの暴露サイトに書いてあったアイドル時代のトラブル話は殆どガセかなぁ。
嬉しいような嬉しくない様な、微妙な気持ちだ。
「あ、あり?」
「大丈夫か?」
「うーん。だいじょーぶ。だけど、なんかフワフワしてる」
「もう大分回ってるな。今日はこんな所で終わろうか」
「で、でも、まだ残ってるよ?」
「無理して飲まない。約束しただろう?」
「でも、せっかくお店の人が用意してくれたのに」
「これ以上飲んだら、入院しちゃうかもしれないぞ? それでも良いのか?」
「……う」
「店員さんには謝ろう。さ、帰る準備をするよ」
「う、うん。ごめんなさい。これなら、お兄ちゃんの言う通り、最初から家で飲めば良かったね」
「気にしない。気にしない。これもまた経験だよ」
暖簾の隙間からうかがう様に見たのは、壁に寄りかかりながら怠そうにしている陽菜ちゃんと、そんな陽菜ちゃんの頭を撫でている兄さんの姿だった。
本当に本物だったんだ。なんてズレた事を考えながら、会計の為か一人離れていくお兄さんを見つつ、残された陽菜ちゃんを見る。
上気した顔で少々荒く呼吸をしている姿は、なんか……いや、何を考えているんだ私は。
しかし、苦しそうだな。
私は自分のテーブルに置かれていたまた手つかずの水に視線をやり、そしてまだ帰ってこないお兄さんを思った。
このまま何もしないのが正解だ。
しかし、何もしないというのは気分が良くない。
何せ、今そこで苦しんでいるのは私の推しだ。
ええい、ままよ!
私は水を持って、陽菜ちゃんのテーブルに突撃した。
「あの、大丈夫ですか?」
「……だれ?」
「通りすがりの一般人です。路傍の石です。ただ喋って動くだけの空気みたいなモンです」
「ふふ、なにそれ」
「多分、飲み過ぎだと思うんで、水飲んでください」
「あい」
私が手渡した水をゆっくり飲んでいく陽菜ちゃん。
少しこぼれた水が首筋を伝って、胸元へ……って、何考えてんだ! 私は!!
しかし、そんな思考は水を飲んだ陽菜ちゃんが漏らした言葉によって現実に引き戻される。
「くるしい」
「ちょっと失礼しますよ」
私は陽菜ちゃんの服と下着を一部緩めると、お兄さんの席に置かれていた水を拝借し陽菜ちゃんに手渡した。
「はい。追加のお水です」
「あい」
小鳥の様に小さな口で水を飲んでいく陽菜ちゃんは、本当に可愛い女の子だ。
テレビで見ていたよりも、配信で見ていたよりも。
あぁ、全く。こんな、手を伸ばせばすぐ届くような場所で。
「陽菜。ごめん。待たせた……っと、貴女は」
「あ! ぅえ!?」
「陽菜が何か?」
「あー。お兄ちゃん。おかえりー。おねーさんが楽にしてくれたんだよ」
「そうですか。それはありがとうございます。何かお礼を」
「いえいえいえいえ!! お礼だなんて、そんな!!」
「そうですか?」
「はい! 本当に何も大したことはしてませんから!」
「あー、なら、おねーさんに私のお酒、あげるね」
「こら。陽菜。飲みかけを渡すなんて……」
「いえ!!! いただきます!!!」
「そ、そうですか」
何か少し引いてるお兄さんをそのままに、私は陽菜ちゃんから手渡されたお酒を両手で握り、自分の席に戻った。
そして、陽菜ちゃんを抱きかかえ立ち上がるお兄さんに視線を向ける。
「それでは、本日はありがとうございました」
「ありがとね。おねーさん」
「い、いえ。お気をつけて」
私が何度も頭を下げていると、陽菜ちゃんは手を小さく振りながら去っていった。
そして残されたのは、私と、陽菜ちゃんが口を付けた酒。
多分世界で一番価値のあるウーロンハイだ。
「……とりあえず、呟くか」
『陽菜ちゃんからウーロンハイを貰った。宝くじが当たるより嬉しいぜ』
私は陽菜ちゃんの呟きに返信する形で、ウーロンハイの写真と共に投稿した。
まぁ九十九割自慢が目的なのだが、すぐさま嘘だ、虚言だ、幻覚見てるとか反論が激しく返ってくる。
言いたいだけ言えばいい。
所詮君たちはそうやって画面の向こうから喚く事しか出来ないんだからな。ガハハ。
と私はややテンションの上がった気持ちで自らのジョッキを傾ける。
しかし、いつまでもウーロンハイに手を付ける事は出来なかった。
後日、私の呟きに一つの返信があった。
その返信のお陰で、私のアカウントは大変な事になるのだが、それはまた別の話。
『おねーさん。今度は一緒に飲もうね!』
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