第3話

(1)


 乱改め(勝手に改めさせられた)氷室が強引に伊織の(形だけの)愛妾にさせられた翌日、再び尾形領内へ攻め入ってきた南条の兵は撃退され、戦は一旦終結。氷室は伊織と共に彼の屋敷へ帰還した。

 行く当ても帰る場所もないのだから仕方ない。元を正せば、無理矢理連れてこられた身ゆえ、南条家や忍び一族への忠誠心や恩義など氷室は持ち合わせていない。


 生きるために主を鞍替えするのはさして珍しいことでもなし。南条で捨て駒同然で利用され続けるか、尾形で下働きするか。考えるまでもない。毎日の飯にありつけるという条件が氷室の背中を強く押した。


 ところが、いざ帰還した伊織の屋敷は氷室の想像とはまるで違っていた。

 武家特有の床の間や違い棚など座敷飾りを備えた造りではあるものの、全体の大きさ広さは左程なく、隠居翁の庵に近い。下男下女も年寄りばかり、その数名で小さな屋敷を回している。


 平時の伊織は、戦の前工作を練る他、治水工事や城下町の建設の監督、果ては領主の祐筆など多くの仕事を兼任しており、常日頃飛び回っている。


『儂は家に縛られるのは好かぬ。家督は妹の婿殿を養子に迎えて継いでもろうた』


 尾形領の家臣の中でも上級の家系の嫡男だというのに変わった男だ。

 最も、一つ所に落ち着いていられないこの男には丁度いいのかもしれないが。


『尾形の譜代家臣の多くは、先の御館様たちと共に紫月様が追放してしまったからのう。人手が足りないんじゃ。紫月様は元々仏門の身であったが、近隣諸国への侵略ばかり力を入れ、自国の状態を省みない先の御館様や義兄上様が許せなくてな』

『本来の紫月様は争いを好まぬ穏やかなお方。領主の座に就いて以降の戦は平たく言えば、御父上が蒔いた火種を消し回っている、といったところか。ただし』

『南条だけは別じゃがな』


 意味深な言い回しに当然ながら何故と気になったが、聞かない方がいい気がしたので氷室はあえて何も訊かなかった。そんなことよりも、突然始まったかつての敵地での暮しに慣れる方が重要だった。あの陣幕内での邂逅、戦の勝利からひと月以上が過ぎた現在、氷室は伊織の身の回りの世話を任されている。


 今日もその世話とやらの一環で、とある郷へと向かっていた。





(2)


 領主お膝元の城下町を離れ、目的地の郷に続く街道を、馬に揺られて伊織と行く。

 街道沿いに交互に並ぶ銀杏いちょうと楓の樹々から、はらり、はらはら、赤と黄の葉が舞い落ちてくる。その一葉を伊織は掴み取ると、氷室の髪にそっと差す。


「よう似合におうてお……、何するんじゃ?!」

「いらん。何の真似だ」


 髪に差されたくれないの葉を、ぺしり、氷室は無情にも払いのける。


「たまには妾らしい態度をのう……」

「形だけと申したのはお主の筈だが?それらしい態度も何も、おんなに手綱握らせて、その背にしがみついておきながらどの口が言う?」

「それもそうじゃの!」


 振り返って確認しなくとも、にへら、と伊織が情けなく笑っているのが目に浮かぶ。


「大体な、いくさで負った怪我でなく、あたしに噛まれた傷の治りが悪くて手綱も握れないとか、情けないと思わないのか?」

「皆にも、紫月様にも呆れられた」

「自慢げに言うな。恥ずかしい」

「ちょ、元はと言えば其方が」

「勝手に指突っ込んできたのはお主の方だが?」


 こんの屁理屈娘っ!開き直るな!と背後の恨みがましい叫びなど聞こえぬ振り。手綱を握り直し、馬に少しだけ先を急がせる。のらりくらり、くだらない応酬を続けていたら日が暮れる上に、先方も待たせてしまう。とて暇ではない。氷室は徐々に馬を早く駆る。


 約半刻ほどで街道を抜けていき、収穫されて物寂しくなった田園、里芋と思しき葉と蕗が散見される畑が行く手に拡がり始めたあたりで、氷室は馬を駆る速度を落としだす。


 木枯らしに負けず畑仕事に勤しむ大人たち。大人たちの手伝いをしつつ、合間に稲刈り後の田園の畦道で遊び、はしゃぎまわる年端もいかない子どもたち。

 いつ訪れてもこの郷は平和だ。加えて徴兵された男たちも頑丈とくる。

 先の南条との戦で徴兵された者たちは死人はおろか、重傷者は誰一人出ていない。


「伊織さまじゃ!」

「おおー、皆息災でやっておるかー?」


 馬上の伊織へ、すれ違い様に郷人さとびとたちは手を振ってくる。

 へらへらと笑いながら、伊織も手を振り返す。


「氷室さまもお元気そうで!益々凛々しくなられて!」


 男物の小袖に袴姿の氷室へ、一部の女子おなごたちから送られる憧憬の熱い眼差しに内心たじろぎつつ、控えめな目礼を送る。物怖じせず、人懐っこいのもこの郷の特徴……、というより、この郷を知行領地とする、あの男の為人ひととなりが反映されている、のかもしれない。

 または、着古した浅黄色の小袖、ぼさぼさの緩い総髪と田舎侍然とした伊織の野暮ったさがそうさせている、かも……。


「氷室は女子にもてもてよのう!羨ましい限りじゃー……」


 返事の代わりに大きなため息をひとつ、ついてやる。

 武士たる者、たやすく間抜け面を晒すな。見なくとも想像ついてしまうのが腹立たしい。

 陣中で対峙した時見せた勘と目線の鋭さ、機敏さ、組み伏せられた時の力強さを見せた人物とは到底信じ難い。


「到着したぞ。降りろ」


 生垣で囲まれた見晴らしの良い高い土地には薬草畑、奥には茅葺屋根の屋敷(と言うのも憚られる程、小さく質素な外観)。

 屋敷に隣接する客人用の小さな厩へ馬を預け、家主の名を呼び、玄関の引き戸をがたがた言わせながら開ける。


「思ったより早かったね。二人とも上がりなよ」


 玄関内に入った氷室と伊織を、正面の四方の壁と一体化させた薬棚のある居間であまねが出迎える。中央の囲炉裏端で右足を伸ばし、鈍色の長着姿で薬研車を挽きながら。


「化膿止めの薬ならもう作ってあって渡すだけだけど、まあ、今日はゆっくりしてって。あ、お茶でも出すよ」

「おおお、無理せずとも、どうぞおかまいなくー」


 立ち上がりかけた周を伊織は慌てて止める。

 周が立つ途中で右腿を軽く押さえ、表情を一瞬歪めたからだ。


 周は先の戦で右腿を負傷し、彼の知行であるこの土地に、療養口実にしばらく引き籠っていた。そのため、彼が煎じ練ってくれる伊織の化膿止めがなくなると、彼が治める知行の郷へ足を運ぶのだ。


「別に毎度毎度、伊織自ら来なくともいいのに」

「うちの下男下女は年寄りばかりだからの。使いの役目はせいぜい城下町内までが限界じゃ。氷室だけで行かせてもいいけども、万が一にも周の手付きにされても困る」

「あのね……、いくら俺がきれいな女子が大好きでも見境なくって訳じゃないんだけど」

「冗談じゃ」

「質が悪いよ。まぁいいけど。相当に氷室ちゃんがお気に入りってことか」

「お気に入りっつーか、油断ならねぇから目が離せないだけじゃねーの?」


 玄関の引き戸が再び開く。

 小袖を脱ぎ捨て、袴だけ身につけた半裸姿のたつきがずかずかと中へ入ってきた。初冬にも拘らず汗を大量にかき、木刀を肩に担いでいる。裏庭で一人稽古でもしていたのだろう。


「言っておくが、俺はまだそこの小娘を信用しちゃあいねぇ」

「こりゃ、樹っ!氷室を苛めるでないっ」

「うるっせーよ、馬ー鹿っ!!小娘に噛まれたてめーの親指見てみろ!」


 びしり、樹に指を差され、周に塗り薬を塗布されたばかりの右親指と眉目が吊り上がった樹の顔を、伊織は交互に見比べ──、にやっと、いやらしく笑う。


「その笑い方やめろ。きめぇ」

「樹。其方には終生縁のない怪我じゃろうなぁ」

「あん?どういう意味だよ」


 伊織のにやにや笑いは益々深まっていく。


「この三人の中で其方が一番女子にもてぬからのう」

「周。こいつの頭今すぐかち割っていいか」

「人の家で刃傷沙汰やめて。後始末面倒くさいし。裏の山ならいいよ」

「周ぇぇえええ?!?!」

「よしきた。来い。引導渡してやらぁ」

「やーめーてーーーー!!!!」


 逃げようとじたばたもがく伊織の襟を雑に掴み、樹はずるずる引き摺っていく。

 どうでもいいが、樹も大柄とはいえ、負けじと彼と変わらぬ大柄な伊織を余裕で引き摺る力に圧倒されるやら呆れるやら。


「樹殿。僭越ながら……、お気持ちはとてつもなくよく分かりますが、この馬か……、この主にいなくなられると城下付近の治水工事に影響が出てしまいます」

「今、馬鹿と言いかけたじゃろ?!」

「それから……、おそらく年明け以降に始まるかもしれない、対南条家との戦のため、どうか主を生かしておいていただきたい」


 ぴん、と背を張り、まだ伊織の襟を掴んだままの樹へ、氷室は丁寧に平伏した。

 若い娘にそこまでされ、きまり悪くなったのか、樹は放り出すように伊織を解放した。鋭い目つきはそのままに、氷室の頭頂部を見下ろしながら。


「あんた、わっかんねー女だな。ついひと月前までは南条の忍びだったくせに。まあ、このご時世、あっさり国や主人を鞍替えする奴なんざぁごまんといるけどよぉ」

「……あたしは、元から南条の者じゃない。乱取りの果てに南条の忍びの家に売られてきただけだ。それに、あたし、あたしは……」



 尾形での騒がしくも穏やかな暮らしは、南条での常に殺伐とした日々とは違い、氷室の心に随分と余裕を持たせてくれた。

 その余裕は氷室に癒しをもたらすと同時に、しかし、忘れ去っていた古く幼い記憶と激しい憎悪までもを思い出させることとなった。

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