第3話

 その後は特に変わったことはなく、いつも通り平和に生活していた。

 あの日から数ヶ月程経ったある日。おばあさんが今まで見たことのないサイズの桶を抱えて、川へ洗濯に行く準備をしている俺の元へ来た。

「桃太郎や。今日は布切れが多いが大丈夫か」

 そう言っておばあさんが洗濯物がいつもの2倍程入った洗濯桶を差し出してきた。

「はい、大丈夫です! でも、どうしてこんなに沢山?」

「桃太郎は気にすることはない。今日はおじいさんが代わりにしば刈りに行ってくれるそうだから、ゆっくり洗濯して来なさいな」

 おばあさんはニコニコ笑って桶を押し付けてきた。

「あ、はい、わかりました……?」

 大量の洗濯物を抱えて家を出ると、村人たちが忙しそうに走り回っていた。

 俺はお隣の鍛冶屋の鉄次郎さんに声を掛けた。

「あの、鉄次郎さん、皆さんどうしてこんなに忙しそうなんですか?」

 銀次郎さんは、鍛冶台の上の手を一度止めて、こちらを見た。

「ん?あぁ、桃太郎か。実はなぁ……いや、お前は知らなくていいことだ」

 そう言って銀次郎さんは、再び手を動かし始めた。

「知らなくていいこと、ですか?でも俺以外みんな忙しそうで……」

「気にするほどのことじゃねぇから、安心な。それよりお前、随分大きな桶抱えてるな。どうしたんだ?」

 銀次郎さんがチラリ、と、俺の抱える桶を横目で見た。

「あ、いえ、何か、おばあさんが、今日は洗濯物多いけど気にすることないよって言ってまして……しば刈りもおじいさんが代わりに行くって言ってて……ほんとみんな、どうしちゃったんでしょう?俺、一体どうしたらいいですか……?」

 俺は素直に疑問を鉄次郎さんにぶつけてみた。

 俺は相談事があった時は、いつも鉄次郎さんの元へ行っていた。

 鉄次郎さんは鍛冶屋でお客さんの細かい要望やイメージをしっかりと汲み取り、商品を作るからなのか、相談した時にどうするべきかとか、俺が掛けてほしい言葉とかを明確に伝えてくれるのだ。

 しかし今回は鉄次郎さんの反応が違った。

「……桃太郎」

「あ、はい。何でしょう?」

「世の中ってのはなぁ、知るべきことと知らぬべきことってのがあるんだ。今回のお前の問いは『知らぬべきこと』の部類に入る。から、気にすんな」

「え……」

 鉄次郎さんの目は、まっすぐ俺を見ていた。

 いつもの温かさはなく、冷たい。あの日のおえらいさんを連想させた。

 しかも、太陽の位置の関係か、鉄次郎さんの目にはハイライトが無かった。

 今まで鉄次郎さんのことを信頼しきっていた俺にとっては、衝撃だった。

「ほら、そんな暗い顔すんじゃねぇよ。さっさと洗濯してこないと、せっかくのばぁさんのご飯、冷めちまうぞ」

 そう言って笑った鉄次郎さんの目は温かく、ハイライトも戻っていた。

「あっ、確かにそうですね! すみません、お忙しい所! では失礼します!」

 俺はそそくさと川へ走った。

「……はじめっか」

 後ろで鉄次郎さんの声が微かに聞こえた。




 俺は川へ着くと、すぐに洗濯を始めた。

 まだこの世界には、洗濯機どころか洗濯板さえないため、川の水で揉み洗いをするしかない。

 俺は洗濯物を1枚1枚、丁寧に洗う。

 俺の小袖こそで(当時の庶民の普段着)、おばあさんの小袖、おじいさんの小袖、布団、タオル、雑巾……どれもいつも洗濯しているものだ。

「あれ?なんだこれ。見たことないな……」

 俺は桶の一番下に埋まっていた、身に覚えのない、新品の小袖を見つけた。

 俺の今の家は、小さな村なこともあり、あまり裕福ではない。

 そのため、服は1人2セットしか持っておらず、寝間着ねまきと普段着の区別がないのだ。

「俺とおじいさんおばあさんの昨日分の小袖は洗濯したからな……。もしかしておばあさん、新しいの買ったのかな」

 先日、おばあさんが、右の脇の下から裾までビリビリに破けた小袖を修復していた。

 おじいさん曰く、おばあさんの寝相が悪すぎてああなったらしい。

「ま、いいや。さっさと洗濯終わらせちゃお」

 俺は、その新しい小袖を川につけ、サッと洗った。新品だったので、汚れは一つも無かった。

 後で気がついたのだが、今日の洗濯物がやたら多く感じたのは、この新品の小袖のせいだった。

 最後の小袖を絞って洗濯が終わり、村に帰る頃には、日が陰り始めていた。

「うわ、もうこんな時間!? 日が沈む前に帰らないと……」

 この世界では明かりがないため、日が沈んだら寝るのが常識だった。

 俺は、水を吸って重くなった洗濯物を抱えて、村へ走った。



 村に着くと、いつもは日が沈むギリギリまでガヤガヤしているはずの村が静かになっていた。

「もうみんな帰ってんのかな。昼間めっちゃ働いてたもんな……」

 だとしてもこの静けさはおかしかった。

 まだ日が沈んだわけではない。空はオレンジに染まり始めているが、太陽は欠けていない。

 この時間はみんなは普通、夕ご飯を食べている。そんな時間帯に、どの家からも話し声や生活音が聞こえないのは、不気味さえも感じさせた。

 家に着いた。が、人の気配はない。

「おじーさーん、おばーさーん、帰りましたよー?」

 大きな声で読んでも、誰の声も帰ってこない。

「おかしいな……って、あれ? 夕飯が置いてある」

 囲炉裏の横には、空っぽになった食器2人分と、まだ手がつけられていない食事1人分が置いてあった。

「俺の分ですよ感半端ないな……」

 とはいえ、今までにも何度かこういうことはあった。主に俺がまだ日の出ている時間に眠り始める年だった時だが、俺の食事と布団だけを置いて、老夫婦は村長の家に泊まりに行っていた。

「確かあの時は、次の日の朝に帰ってきてたんだよな」

 過去にも何度かあったことだし気にせず、今日は1人で食事をして眠ることにした。

「……ちょっと寂しいな」

 今まで愛情たっぷりで育てられていたからか、1人の食事は、とても寂しく感じられた。



 次の日。

 朝になり、老夫婦の居場所をいち早く知りたくなった俺は、昨日の服のまま家の外に出た。

 戸を開けると、村人全員が俺を囲っていた。

「え?」

 中には老夫婦もいる。

 おじいさんが一歩前に出た。

「……桃太郎。鬼ヶ島へ行きなさい」

 そう言っておじいさんが俺を見る。


 目が、死んでいた。


 先日、俺に冷たい言葉を言い放ったおえらいさんと、昨日の鉄次郎さんと、同じ目だ。

「おじい、さん……?」

 俺は驚いて周りの村人を見た。が、みんな同じ目をしていた。

 いつも目をキラキラさせている村の子供達も、いつも俺と笑い合ってくれる鉄次郎さんも。

 俺に愛情を注いでくれている、老夫婦も。

 みんなみんな、ハイライトの消えた、冷たい目をしていた。

「桃太郎や。昨日、新しい小袖を洗濯しただろう、これを着ていきなさい」

 おじいさんが死んだ目で、昨日俺が干したばかりの新しい小袖を渡したてきた。一体いつの間に取ったのだろうか。

「桃太郎。この刀、やる」

 鉄次郎さんが死んだ目で、刀を差し出してきた。

「桃太郎、私、桃太郎ならできるって信じてるよ?」

 輝夜ちゃんが笑いかけて言った。その目は、死んでいた。

「桃太郎、これを受けとんなさい」

 おばあさんが死んだ目で、手のひらサイズの巾着を渡してきた。

「きびだんごだ、遠方に旅をするのだから、さぞお腹がすくだろう。それをお食べ」

 俺は驚きで声が出ぬまま、を受け取った。

「あ、あの、でも、俺何で鬼退治なんk」

「桃太郎、頑張るんじゃぞ」

 俺は鬼退治なんて行けない。そう伝えたかったのに、口は笑い、目は死んでいる村長に遮られた。


「桃太郎、できるよ、絶対」

「桃太郎、僕達は味方だよ」

「桃太郎、鉄次郎さんの刀だってあるし」

「桃太郎、おばあさんのきびだんごだってあるよ」


 村人たちが段々と近づいてくる。


「桃太郎、頑張れ」

「桃太郎、立派にな」

「桃太郎、気をつけて」

「桃太郎、信じてるよ」


 村人たちの口角が段々と上がっていく。


「桃太郎、―――」

「桃太郎、―――」

「桃太郎、―――」

「桃太郎、―――」


 俺は、村人たちがクワや斧、杵などの凶器を持っていることに気がついた。


「桃太郎、」

「桃太郎、」

「桃太郎、」

「桃太郎、」


 退、逃げられない。そう悟った。

 一体、どうして。


『桃太郎』、『桃太郎』、『桃太郎』――――


 頭の中で、自分の名がこだまする。


 桃太郎。


「うわあああああ!!!」


 気がついた時には、俺は村から走って逃げていた。

 ひんやりと冷えた、新品の小袖と、鉄次郎さんの刀と、おばあさんのきびだんごを抱えて。



〜ひと口momo〜

【次回予告】何もわからぬまま村を飛び出てしまった桃太郎。もう村に戻ることはできないと悟った桃太郎は、目の前に続く一本道を進んでみることにした。……鬼ヶ島ではなく、どこか違う村にたどり着けることを願って。その途中、餓死しかけている犬を見つけて――― 9/4、更新予定!お楽しみに!


※本文の変更や、更新日の変更については、近況ノートで報告します!

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