第26話 記憶

 気付けば、俺達は真っ白な部屋にいた。

 家具もなければドアもない。

 どうやって入ってきたのかも定かではない。

 これは、一種の幻影魔術だろうか。


「前置きは無しにして早速見ようか」


 見る?一瞬疑問に思ったが、答えはすぐに返ってきた。

 リグレが指を鳴らすと、横並びになっていた俺達の前に大きなスクリーンが出現したのだ。


『……』


 映っているのは、誰かの視点から見た光景。

 おそらく、リグレの視点であることは流石に分かる。


「……」


 隣にいるグラトーナは、先程から全く話さない。

 記憶の中のリグレが見ていたのは、荒廃した大地にどんよりした天気の、まさに地獄と言った光景。

 ここがきっと。


「私は、研究所の命令で魔界に来ていた」


 彼女は続ける。


「魔界のあるやんごとなき人と会ってこい、とね」


 次に画面が変わる。

 先程とは打って変わって、美しい庭園。


「昔から魔界に興味があった私は喜んで引き受けた」


 映っていたのは、美しい金髪を前側に下ろしながらこちらを微笑んでいる妙齢の女性だった。

 よく手入れされた庭の中で、ゆっくりとティーカップを傾けている。

 しかし、頭には角が生えており、椅子の下ではゆらゆら尻尾が揺らめいていた。

 つまり、この女性こそが。


「ッ!?母上……!」


 縋るように、女性に近づく魔王だったが伸ばした手はスクリーンを虚しく揺らすだけだった。


「無駄だよ、これは記憶の映し出す絵に過ぎない。彼女からは君が見えないし、君の声も届かない」

「なんだ、この魔術…」

「一応二ノ君のために言っておくと、彼女が魔王の妻でありグラトーナの母、セラフィムだ」


『あなたが、リグレね。さあ、こちらへおかけになって?』


 セラフィムの声もしっかり聞くことができた。

 聞いた人を安心させるような不思議な声。


「ああ……っ」


 速くも限界を迎えようとしているグラトーナ。

 それも当然だ。

 彼女にとっては、もう会えない一番大切な人なのだから。


「……」


 また、セラフィムを見たリグレの眉がピクリと動いたのを、俺は見逃さなかった。

 彼女の抱える気持ちの一端が垣間見えたのかもしれない。


 再び、画面が変わる。

 机を挟んで座るセラフィムは、無垢な笑みで楽しそうに話している。


「彼女にはある目的があった。それは」

「人間と和解すること……じゃ」


 リグレの言葉を遮り、グラトーナが言った。


「そう、彼女はそのために積極的な外交を行ってはこう言っていた」


『ほら、私昔お忍びで人間界へ行ったことあるんだけど、その時皆私に親切でね?その時思ったの。私が魔族だって知らないで仲良く出来るなら生物的に不仲じゃないってことでしょ?じゃあ、考え方を変えれば良いんだって』

『君は人間と魔族が手を取り合えると考えているんだね』

『もちろん!あなたが証拠よっ』

『……ッ!?』

『…それに、夫が今なんか弱ってるらしいからね、私が自由に動いちゃおっかなって……あ、今の言っちゃいけないんだった』


 魔王が弱っていた?聞いたことがないぞそんなこと。

 だが、当然グラトーナとリグレの二人は知っていて、特に反応も無い。

 それにしても、魔王の妻がそんな考え方をしていたなんて。

 見事にグラトーナと一緒だ、いや彼女がその思いを受け継いでいるのか。


「彼女は、よく人間と和解した後の話をしていたよ。一年に一回交流会をしたいだとか、留学や誰もが自由に行き来できる仕組を作るだとか」

「ふふ、妾もされたわ」


 ほんの一瞬だがグラトーナの表情が緩む。

 懐かしそうに笑う二人は、同じ人物を思い浮かべている。

 この映像から見ても分かるように、この人は周りを和ませる魅力を持った人なんだと、改めて俺は思った。


「君の話もよくしていた、グラトーナ」

「なにっ!?」

「ほら」


 画面が変わり、映像の中のセラフィムは、我慢が出来ないというように全身でグラトーナをリグレに自慢していた。


『もう、グラトーナはほんっとうに可愛いのっ!ほら、クリクリしたおめめに私と同じさらさらな赤髪、天使のような声に、素直な性格!ああ、私のかわいいグラトーナ』


 抱きしめられたグラトーナは、何のことか分かっておらず首をかしげている。


「彼女は事ある毎に君を抱きしめ愛を伝えていた」

「…分かっておる、そんなこと……っ」


 震える声がしたので、俺は彼女の方を見なかった。

 きっと、見られたくないだろうから。


「そんなセラフィムに私は共感した。だが、仲良くなった私を見て新たな命令が下された」


 次に画面が変わると、辺りは暗くよどんでいた。

 顔が見えないほど暗い部屋で、レッドベリーに下された命令が。


『反魔王派との密約が交わされ、魔王の娘を引き換えに――妻セラフィムの殺害を請け負った』

「な…に…」


 え?


 俺とグラトーナが固まって二の句が継げないでいると、レッドベリーは何でも無いように言った。


「反魔王派とは、魔族至上主義の過激派を指す。連中にとっては、セラフィムは目の上のたんこぶさ、何とか始末したかったのだろう」

「そんな…」


 発した言葉は、俺かグラトーナか。

 それすら分からないほど俺は動揺している。


「この頃、研究所は費用獲得に苦労していた。何せ、平和な世の中だ。いの一番に軍需費用が削られ、研究が困難になっていた。そんな時、穏健派のセラフィムが死…亡き者になれば、反魔王派の影響力が強まり人間との戦争の可能性が高まる。要は、戦争という点において我々の利害が一致していた」

「な、なんでその対価が…なんだよ……」


 俺は、かろうじてそう返す。

 レッドベリーはあくまで平坦な声で返す。


「グラトーナが開発中のある兵器に必要だった。戦争が起こる可能性が高まれば、付随して研究所の意見が通りやすくなる」


 映像の向こうで、当時の所長は続けた。


『決行は、追っ手伝える。準備を怠らぬように』


 画面が変わると、次に映ったのは両手を握りしめ震える拳だった。


「私は悩んだ。板挟みになったこの状況、果たしてどちらの味方をすれば良いのか……答えは出せなかったが、向こうは私の結論より先に動いたようだ」


 「ある日、いつものように庭で茶会をしていると突然セラフィムが倒れた」


「私は知らなかった。なぜなら、聞かされた決行日はこの翌日だったからだ」


「混乱した私に彼女は笑って言った」


『リグレ…ハア…あなたに頼みがあるの……私の、グラトーナを頼むわ』

『セラ!何を……!』

『あ、なたにしか…ハア…頼めない、の…』

『わ、私は人間で』

『ふふ、関係ないわ。あなたは私の親友、それ以上でもそれ以下でもない、頼んだわね』

『セラッ!』

『愛してるわ――グラトーナ』


 そう言い残し、画面のセラフィムは息を引き取った。

 何の余韻もなく、画面の終了する。

 俺達は唐突に現実へ戻された。


「……私にはどうすることもできなかった」


 リグレはポツリと、そして懺悔するかのように呟いた。

 そうだ。

 この後、グラトーナは誘拐されて実験という名の拷問を受けたのだから。

 セラフィムは預ける相手を間違えたと言って過言ではない。


「だが、後悔が心に残って取れなかった。私は、毎日あの時のことを夢に見た」

「……」


 もはや、グラトーナは言葉を返す余裕すらない。

 じっと下を向いたまま黙っていた。


「そんなある日だ、私の元へある魔族が現れた」


 そんな彼女の様子も気にせず、リグレは続ける。


「それがガリア、君の側近だ。私は、彼に協力した。もはや、自分が何をしたいのかが分からなかった。セラフィムの言うように、魔族と人間の橋渡しをするつもりが、結果的に引き裂く加担ばかりしてしまっていた。それでも、君を逃がすことが魔族と人間の関係を壊すとしても、親友の愛娘をこれ以上苦しくさせたくなかった」

「だから火事を…」

「後は知っての通りさ、グラトーナ」


 リグレは、息を吸い込み言った。


「だから、私は」

「おいおい、何してんだお前等」


 しかし、彼女が何かを言おうとする前に、誰かが言葉を発した。

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