描くもの

@kouya-sdk

第1話

【今夜9時 絵画『浮遊大陸の庭』を戴きに参上致します。

─────────────怪盗トワル】

 シップの居住エリアにある美術館。そこに一通の予告状が投げ込まれた。

 ここまで科学は発展してはいるが、『絵画』というものは今でも一定の需要があった。むしろ全てがフォトンや機械で完結してしまう今こそ、手で描かれた絵画は貴重な代物でもあった。

 そして、セキュリティが強化されている現代に、『怪盗』などと物語でしか見た事のないようなものが現れるはずはない。

 皆が「どうせ悪戯だろう」と笑っている最中、その『怪盗トワル』は舞い降りた。


「時間ぴったり。 ……おやおや、警備は全てセキュリティ任せですか? まぁ、こんなものを本気にする人もいないという事ですかね」

 黒い衣装に黒いマント。黒いシルクハットからは紫色の髪が月明かりに照らされて揺らめいていた。

「私は予告状をちゃんと出しました。きちんと対処する時間はあったはずです。これで盗まれても文句は言えませんよね。遠慮なく戴いていきましょう」

 スコープでセンサーの位置を確認する。

「なるほどなるほど、びっしり張り巡らされていますね。……それなら」

 トワルは腰からハンドガンをくるくると遊ばせながら取り出した。

 アークスの武器はアークスシップでは規制されていて発動しない。つまりはこれは武器ではないわけだが……。

 トワルはそれを何発かセンサーをすり抜けるように発砲した。……しかし何も起こらない。

「さぁ、ショータイムの始まりです」

──パン!

ジリリリリリリリ!

 最後に発射された弾はセンサーに触れ、非常ベルの音がけたたましく鳴り響いた。

「なんだ!?」

「怪盗トワル、本当に来たのか!?」

 館内に明かりが灯り、警備室で形だけ待機していた警備員たちが慌てて駆けつける。

「彼らが来たと言うことは先程のセンサーは解除されたということですね。……ショーはここからです。スリー……ツー……ワン。」

 パチンと指を鳴らすと、走ってきた警備員たちの足元が一瞬にして凍りついた。発生源は、先程撃ち込んだ銃弾。あれは小型のタリスになっており、トワルの合図と共に、中に仕込まれていた氷のテクニックが発動されたのだ。

 勢いのついたまま凍りついた床に突入した警備員たちは、次々と転んでは滑っていく。

──パン!

 更にもう一発撃ち込まれる。今度は電気系統に向かって。

バチッ!!

 その銃弾には雷のテクニックが仕込まれており、電気系統をショートさせた。辺りは真っ暗になり、警備員たちは既にパニック状態だった。

 暗視スコープをしたトワルはそんな警備員たちを後目に悠々とお目当ての絵画の元へ行く。

「では、予告通り『浮遊大陸の庭』は戴いていきますよ」

 口に出したがもちろん聞いている者は一人もいない。絵画を小脇に抱え、未だトワルの存在にも気づかない警備員たちに手を振り、窓から飛び降りた。

 月夜にコウモリのようなシルエットを残し、『怪盗トワル』は颯爽と去って行った。


「なぁ! カヴァレット! 今朝のニュース見た!?」

 友人にカヴァレットと呼ばれた、紫色で寝癖のついた髪に大きな黒縁メガネの少年は絵の具で汚れた頬を擦りながら振り向いた。

「パレット、どうしたの? そんなに慌てて」

「『怪盗トワル』だよ! 本当に現れたんだって! それで予告通り『浮遊大陸の庭』を盗んでいったらしいよ!」

「へぇ、そうなんだ」

「こんなの物語の中だけだと思ってたよ!」

「うん、そうだね。びっくりだ」

 反応の薄いカヴァレットに、パレットは不服そうに頬を膨らませる。

「もうちょっと世間に興味持とうよ! 現代のセキュリティをもすり抜けた『怪盗』だよ!? 今みんなその話題で持ちきりだ!」

「あ……うん。待ってね。もうちょっとでこれ描き上がるから……」

 カヴァレットはお構い無しで筆を走らせ続ける。呆れたパレットは、やれやれと首を横に振りながら去っていった。カヴァレットはそれをキャンバス越しにそっと見送る。そして安堵のため息をついた。

「やれやれ……予想以上に騒ぎが大きくなっちゃったな……。でも、始めちゃったからには仕方ない。僕はやるって決めたんだ。腹を決めなくちゃね……」



「君の絵には『自分』というものがないね」

 事の発端は数年前。先生に言われたこの言葉がきっかけだった。

 父が画家であったカヴァレットは小さい時から絵画を見て育った。父の描く美しい絵に憧れて自分も筆を取った。自分が絵画に興味を示すと、父もとても喜んでくれた。色んなシティの美術館に連れて行ってもらい、沢山の刺激を得た。

「学ぶは真似ることから始まるんだ」

 父の言葉もあり、有名な絵画の模写をすることから始めた。その度に父は、嬉しそうに彼を褒めた。それがまた嬉しくて、彼はどんどん絵を描いていった。

 絵を描くのが楽しくて楽しくて仕方がない。そんな時に言われたあの言葉。

 カヴァレットの心が深く傷ついたのは、言うまでもなかった。


 自分の描いた絵を見つめる。とても綺麗に描けている。しかし、それだけであることに、カヴァレットは気が付いた。あの有名な絵画たちは、作者がそれぞれに想いや意味を込め描いたもの。いくら技術が上がろうと、そこがなければ誰にも響かない空っぽの絵なのだ。自分は好きだから描いていた。何かを込めようなど、考えたこともなかったのだ……。

 模写ではない、自分自身の絵を描こうとする。しかし、『何かを伝える、表現をする』絵は、一向に描けなかった。

(どうしたら、絵に何かを込められるんだろう……)

 カヴァレットは苦悩した。

「あ」

 方法をひとつ思いついた。イチから何かを込めるのが分からないなら、まずこの名画たちに何が込められているのかを理解したらどうだろうと。

 カヴァレットはありとあらゆる絵画についての資料を買い漁った。時代背景、作者の性格、環境、思想……。

(ああ……なるほど……だからこういう表現にしたかったんだ)

 込められた『想い』に目を向けたことによって、カヴァレットの絵画への理解は飛躍的に上がった。

──しかし。


 筆を取って愕然とした。理解したはずなのに、自分の絵となるとダメだ。どうしてだろう……。気分転換にいつもの名画の模写をしよう。

 こちらは驚くように筆が動く。込められた意味。その時何を思いながらこれを描いていたか想いを馳せる。まるで作者本人になったかのような気分だった。

「うん、できた」

 同じ作品を描いたのに、まるで今までと違うのが分かる。……模写の方はこんなに上達しているのに……一体オリジナルの絵だと何が違うんだろう?首を傾げていると……。

「素晴らしい絵だね。『浮遊大陸の庭』そのものじゃないか」

 唐突に後ろから声を掛けられて驚く。振り返って見てみると、そこには身なりのいい一人の男が立っていた。

「どうも、ありがとうございます……」

 カヴァレットは戸惑いながらも礼を述べた。

「でも……これじゃダメなんです」

「ダメとは、どういうことだい?」

「僕は、自分の絵が描けないんです……。どれだけ頑張っても、自分の想いを伝えられるような絵ができないんです……。『自分がない』……先生に、そう言われました」

 カヴァレットは伏し目がちに、男に今までの経緯を話した。

男はため息をつきながら、カヴァレットの描いた『浮遊大陸の庭』を見て

「その先生は、見る目がないね」

 そう言った。

「え……?」

「君の本当にやりたいことを分かっていない。そう思わないかい?」

「僕の……やりたいこと……」

「君は、絵を描きたいんだ。別に何かを伝えたい訳じゃない。そうだろう?」

(そうだ……僕は絵を描くのが楽しい……。それなのに、先生に言われて……何かを込めようって思う程……絵を描くのが辛く感じた……)

「絵を描くという行為は同じだ。だが、それが全て同じ目的ではないということを先生も理解しないといけないね」

 その言葉を聞いて、カヴァレットの心は軽くなった。そうだ、何も表現をしたくて描いている訳じゃない。そもそも描く目的が違うのだ。なぜそこに気が付かなかったんだろう!自分の求めていないことをしようとしていたのだ、行き詰まって当然だ!

「重荷が取れたようだね、いい顔になったよ」

男はそう言って微笑んだ。

「ありがとうございます! 貴方のおかげです! あの……僕はカヴァレット・パスティーシャーと言います。貴方は?」

「私はスキアー。商人だが絵画には一定の理解がある。君の絵に惹かれたのもそのためさ。これも何かの縁だ。君に協力をさせてもらえないか?」

「え……協力……です?」

「君は弛まぬ努力で、その名画たちの画法を身に付けた。そして、今回更に努力を重ね、作者たちの想いもそれに重ねることが出来た。……ここまで来たらもう一つ、彼らに近づきたいと思わないかね?」

「もう一つ……近づく? どうすると近づけるんです?」

 スキアーと名乗った男はポケットから小瓶を取り出した。

「画材だよ」

「画材?」

 その小瓶をカヴァレットに手渡す。中には、褪せた青色の絵の具が詰まっていた。

「いくら同じ絵を描いたって、今の絵の具で描いては良さは出ない。同じ時代の絵の具、同じ時代のキャンバスを使えば、より近づけると思わないかい」

「そ……そんな貴重なもの……買えるお金なんて、僕にはないです……」

 小瓶を返そうとするが、それを遮る。

「だから協力させて欲しいと言ったのさ。これを商材に君からお金を取るつもりはないよ。私は、それらを使って君に絵を描いて欲しいのさ。」

「えっと……くれる……ってことですか?」

「それだけじゃないよ?君が描いたものは、私が買い取ろう」

「画材まで用意してもらって、絵も買ってくれるなんて……それは、スキアーさんにとってプラスがないような気がしますけど……」

「そんなことはないよ。こんなところに埋もれた原石をそのままにするのはもったいない! それに、君の素晴らしい絵を一番に手にできるんだ。私にとってこの申し出は何の損でもないよ。どうだい? どれとは言わない。君が好きな名画を描いてくれればいい」

 カヴァレットは戸惑った。こんなに自分にとってありがたい申し出があってよいものかと。

 カヴァレットは手の中の小瓶を見つめた。

「……わかりました。では、そうさせてください」

 戸惑いよりも、自分を受け入れてくれたことが嬉しかった。自分のモヤモヤを晴らしてくれたこの人に、自分のできる精一杯をしよう。そう思った。

「ありがとうカヴァレットくん。では描きたい絵が決まったら教えてくれたまえ。それに見合った画材を揃えて届けよう」


 それから数日後、スキアーから画材が届いた。描くのはもちろん、『浮遊大陸の庭』。なぜまた同じ絵を描くのか。理由は簡単だ。違いを見てみたいから、だ。前回描いた現代の絵の具の作品と、今回描くその時代の絵の具の作品。その違いが気にならないわけが無い。早速作業に取り掛かる。カヴァレットはわくわくしながら準備を始めた。


 更に数日後。ようやく作品が仕上がった。早速見比べてみる。……なるほど、確かにこれはすごい。年数を重ねた絵の具。年季の入ったキャンバス。これらのおかげで絵がとても深みを帯びた。早速スキアーに見てもらおうと連絡を取る。

「素晴らしい! 素晴らしいよカヴァレットくん!」

 スキアーはその絵を手に取り、まじまじと見ては感嘆の声をあげた。

「想像以上の出来だ。さすが私が見込んだだけはある。さぁ、では約束通りこれは買い取らせてもらおう。これでいかがかね?」

 スキアーは一ヶ月は遊んで暮らせる程の額を提示した。

それにカヴァレットは驚く。

「そ……そんなにも貰えませんよ。画材だって用意してもらってますし、僕は絵が描けるだけで十分なんです」

「君は欲がないね。まぁそこもいいところかな。ではこれだけは受け取ってくれたまえ。次の作品も楽しみにしているよ」

 カヴァレットは食費分くらいの額を受け取り、スキアーと別れた。そしてその後も、彼とのやりとりを重ねていった。


 そんなある日。いつまでも続くと思っていた日常が綻び始めた。カヴァレットの父が、病に倒れたのだ。病状は悪化し、次第に弱っていく……。カヴァレットは何度も何度も病院に通った。

「しっかりしてよ父さん! まだたくさん絵を描くんでしょ!? ほら、元気出してよ!」

「カヴァレット……お前が筆をとってくれて……俺は嬉しかった……これからも……どんなことがあっても続けて欲しい」

「遺言みたいな言い方はやめてよ! そうだ、何かやりたいこととか、欲しいものとかある!? それで元気になれるかもしれない!」

カヴァレットは必死だった。それに、父は思案して

「そうだなぁ…俺が絵を描くきっかけになった、『アウロラの微笑み』……。あれを、もう一度見たいなぁ……」

『アウロラの微笑み』……隣のエリアにある美術館に飾られていた覚えがある。

「よし、じゃあそれを見に行こう! 少しなら外出許可もらえるはず。僕が車椅子押すから」

 父は嬉しそうに微笑んだ。


 翌日、カヴァレットは父を車椅子に乗せ、隣のエリアにある美術館に向かった。父の腕は細く、病魔に蝕まれ続けているのがわかった。それでも、少しでも元気になってもらいたい。また、自分の好きな絵を描いて欲しい。

「さぁ、着いたよ……」

『アウロラの微笑み』の前に車椅子を向ける。

「ああ……美しい……やはりこの絵は美しいなぁ……」

 父は、愛おしそうにその絵を見つめていた。それに安堵して、カヴァレットも『アウロラの微笑み』に目を遣る。

「!?」

───違う。

 カヴァレットは目を見開いた。

絵の具が新しい……。この絵も、自分が手掛けたことがあるし、本物も見た。騙されるはずがない。自分には判る。

「父さん……この絵は……偽物だよ」

「え……」

 おかしい、数年前にここを訪れた時にあったのは確かに本物だった。いつの間に偽物にすり替えられたんだ。でもこんな陳腐な偽物で僕を騙そうったって無駄だよ。父さんの大事な思い出の絵……偽物で終わらせたりなんかするものか。

「心配しないで父さん、僕が必ず本物の……」

「うっ! ゴホッゴホッ!!」

「父さん!?」

 急に咳き込み、苦しみ出す父。すぐさま病院に搬送されたが、もう既に時は遅かった。医者が脈を確認し、首を横に振る。

「カヴァレットくん。すまないね」

 医者がカヴァレットに謝罪した。

「君のせいじゃないんだ。お父さんは自分がもうもたないことを知っていた。でも、最期に、どうしても君とあの絵を見たいんだと……。だから黙っていてくれと言われていたんだ」

 カヴァレットは膝を落とした。

──違うこれは僕のせいだ。

 なんて事をしてしまったんだ。父は、最期の時を、息子と、思い出の絵で彩って迎えるはずだった。それなのに、自分の余計な一言のせいで、それを『偽物』にしてしまった……。

自分があの言葉を放った後、父が改めてその絵を見つめて、とても悲しそうに目を伏せたあの顔が脳裏を過ぎる。自分は、感動した父の心まで否定してしまったのだ。見たものは偽物だったとしても……その『感動』だけは本物だったのに……。

──なんて事を……してしまったんだ──。


 父が逝ってから数日。自分の罪悪感から逃れようと何日もアトリエに籠った。絵を描いている間は、その事を忘れられる。……そう思ったのに。

「ダメだ……」

 筆は全く進まない。気分転換に美術館に行こう……。


 よく父さんと行った、少し遠いエリアの美術館にやってきたカヴァレット。つくづく絵に関することしか知らないのだなと実感した。逃避をするのも、気分転換をするのも、結局美術関係しか思いつかない。それでも……。

 カヴァレットは歩きながら見慣れたそれらを見て回る。その中で、またもやありえないことが起こっていた。

「……なん……で……?」

 そこに飾られている『浮遊大陸の庭』。それは



 カヴァレットが描いたものだった。



 「スキアーさん!! これはどういうことですか!」

 カヴァレットはスキアーの商会の扉を荒々しく開いた。奥の椅子にスキアーは座ってこちらに微笑んでいる。

「やぁ、カヴァレットくん、いらっしゃい。どういうこと、とは一体どうしたのかな?」

 スキアーは穏やかに迎え入れる。しかしカヴァレットの興奮は収まらない。

「どうもこうも無いですよ! なんであそこに僕の絵があるんですか!」

 バンと机を叩き詰め寄る。それにスキアーは鋭い眼光を一瞬飛ばし、しかしまた、穏やかな顔に戻って話した。

「君の絵? はは、そんなことあると思うかい? きっと見間違いだよ」

「僕が見間違える訳無いことは、貴方が一番よく分かっているはずです……!」

「はは……。それはそうだね。……おい取り押さえろ」

「なっ……うぁっ!?」

 背後の扉から数人の男が現れ、カヴァレットは床に頭を押し付けられた。

「君は本当に世間を知らない子だね」

 頭の上のからスキアーの声がする。いつもの穏やかな声ではない、冷たい声だ。

「何も気付かず、大人しく絵を描き続けていればよかったんだ。そうすれば、これからも穏やかな日々が送れたのに」

「僕の絵を褒めてくれたのはウソだったんですか!?」

「ウソじゃないさ。君の絵はとても素晴らしい『贋作』だよ」

「贋……作……?」

「そうだよ。なんだい、知らずに描いていたのかい。君の絵はプロの鑑定士をも欺ける、最高の贋作さ。おかげで貴重な名画をいくつも手に入れることが出来た」

「僕の絵を悪いことに使っていたってこと……!?」

「通報でもするつもりかい?贋作を作っていた張本人の君が」

「……ッ!」

 カヴァレットは言葉に詰まった。知らなかったとはいえ、悪事の片棒を担がされていたのだ。言えるわけがない……。

「安心しなよ、君程の腕をむざむざ捨てたりはしないさ。君はこれからも、大好きな絵を描き続けてくれればいい。ここでね」

 カヴァレットはここにいてはいけないと必死にもがく。

「は、離して!」

「大人しくなるまで倉庫にでもぶち込んでおけ」

 しかし屈強な男たちに抗うことも出来ず、カヴァレットは暗い倉庫に押し込められた。


 ……どうしてこうなったんだろう。自分は、大好きな絵が描きたかっただけなのに……。認めてもらえて、嬉しかったのに……。結局は、父も傷つけて、悪事にまで手を染めてしまった……。そして、もう一つ重要な事に気が付いた。カヴァレットは青ざめた。

 それは、【自分の描いた偽物が本物とすり替えられていること】だ。もし、あの時の自分のように、贋作に気づく者が現れたら……。父のように、誰かの『本物』の感動も『偽物』に変わってしまう。自分のせいで、また見知らぬ誰かの心を傷つけてしまう。

 カヴァレットは暗い倉庫の中、膝を抱えて涙を零した。すすり泣く声が小さく響く。

「……誰かいるのか」

 暗闇の中で声が聞こえた。

「……え?」

 カヴァレットは辺りを見回す。しかし真っ暗で何も見えない。

「お前さん、こんなところで何をしてる?」

「僕……は……」

 贋作師として飼われそうになっている……などと言えるはずもない。

「その……悪い人たちに、捕まってしまいました。……貴方は?」

「俺は仕事だ。調査でちょっくら忍び込んだんだが……。まさか誰かいるとは思ってなかったんでな」

「あの……僕はここから出たいです。助けてもらえませんか……?」

 見知らぬ影に懇願する。

「悪いが俺は率先して面倒事に首を突っ込む気はない」

「……そう……ですよね」

 カヴァレットは肩を落とした。それはそうだ。見ず知らずの人間を、危険を冒してまで助ける義理なんてない。

「だが、先に声を掛けちまったのは俺だ」

 その言葉が掛けられると同時に、自分のつま先に何かがコンと触れた。

「泣いてりゃ誰かが助けてくれる、なんて甘い世界じゃない。自分の状況をひっくり返したいなら、自分でなんとかするこった」

 手に取ってみる。暗くて分からないが、どうやらハンドガンのようである。

「中には閃光弾が三発入ってる。一般人でも使える仕様だ。どう使うかはお前さん次第だ。助ける義理なんぞ一ミリもないが、こんな暗い倉庫の中で出会ったのも何かの縁だ、だから背中くらいは押してやるよ」

「あ、あの……!」

 カヴァレットは声のしていた方に呼びかけたが、返事も気配ももうない。どうやら既に去ってしまったようだ。ぼんやり形の見えてきたハンドガンに目を落とす。さっきの声の主はどこからかここに侵入したのだろう、そしてそこから去った。だがそれを追うのは得策ではない。なぜなら彼は『一般人』と言った。つまりは彼は特殊な訓練を受けているか、もしくは特殊な力を持った人物。そんな人と同じ方法でここから出られるわけがないのだ。

 やはり、これを使ってここを脱出するしかない。カヴァレットは考えた。彼は中に入っているのは閃光弾だと言っていた。活かすなら暗闇……。ここに来たのは夕方頃。狙うのは日が落ち切った夜。しかし、窓のないこの倉庫で、確実に日が落ちたかどうかなど……。

──ボーン──

 どこかで小さく音が聞こえた。この倉庫じゃない。外だ。そうか、ここはスキアーの商会。確か骨董品の類も並んでいた。あれは恐らく、柱時計と呼ばれるものだ。一定の時刻になると音を鳴らすと聞いたことがある。あの時が確か五時前後……。それなら、あと三回も鳴れば、確実に外は暗闇だ。それを待とう……。


──ボーン──

 あと……一回。

 もう暗闇にも十分目が慣れ、入口に置かれている箱を足場に天井近くに位置取る。耳栓も、消しゴム用に持っていた粘土が役に立ちそうだ。カヴァレットは息を呑む。

 チャンスは……一度だけ──。


──ボーン──

 よし!

「うわああああああああああああああ!!!」

 ありったけの声を出して叫んだ。

「なんの騒ぎだ!」

「おい大人しくしろ!」

 数人の男が入ってくる。カヴァレットはすぐさま飛び降り、扉を閉め暗闇を作り出した。

「な、なんだ扉が……」

「何も見えないぞ!クソ!」

 間髪入れずに、目を瞑り部屋の奥に閃光弾を発砲した。暗闇からの突然の閃光。そして凄まじい音に、男たちは慌てふためく。その隙にカヴァレットは倉庫の外へと飛び出した。視力を取り戻した男たちは逃がすまいと、屋敷中の照明を付け、連絡を回した。

 明るくなった室内にいつまでも留まるのは不利だ。カヴァレットは早々に屋敷の外へと逃げ、暗闇に紛れた。しかしここの敷地はそこそこ広い。まだ油断はできない。今も物陰に隠れてはいるが、何度も近くを足音が通る。辺りを見回すと、向こうに茂みのようなものが見えた。カヴァレットはそちらの奥に向かってまた発砲した。大きな音と鋭い光で注意をそちらに向ける。

「いたぞ! あっちだ!」

 そちらに気を取られている間に、カヴァレットは反対側に走った。


 ようやく屋敷から逃げ切ったカヴァレット。追っ手が来ないことを確認して、その場にへたり込む。もう心も体もボロボロだった。

「僕は……これからどうしたらいいんだろう……」

 目を付けられている以上、家には帰れない。それに、世間的にも取り返しのつかないことをしてしまった。これを知られる訳にはいかない。うずくまり、途方に暮れる。


「逃げられると思ったのかな?」

 その声にビクリとする。顔を上げると。

「スキアー……さん……」

 数人の男を連れたスキアーが、鋭い目でカヴァレットを見下ろしていた。

 「面白いことをしてくれるじゃないか。でも君の遊びにいつまでも付き合っているほども私も暇じゃないんだよ。いい加減いい子にしていないと、今度は体で覚えてもらうことになるよ?」

 スキアーが手を伸ばす。

──ダメだ、ここで捕まったらもう……!

 カヴァレットは咄嗟にその手を払い除け、後ろに飛び退って距離を取る。

(残りは……あと一発!!!)

 パンッ!!!

ぶわっ!!!

 発射された弾。着弾と共に飛び出したのは閃光ではなく、凄まじい風だった。足元から強風に煽られ、スキアーたちは抗うことも出来ず吹っ飛ぶ。

「えっ……風……? なんで……」

 しかし考えている暇はない。カヴァレットは再び走り出した。



 所変わって、とある情報屋。

「へ? それであげちゃったの? あのアイテム」

 長い水色の髪を背中に伸ばした活発そうな少女が、頬杖をついてそう訊く。

「まぁな。助ける気なんて更々なかったが、見捨てたーみたいで寝覚め悪かったしな。」

 長身の赤髪の男は首を鳴らしながらそう答える。

「なんだよ、渡しちゃまずかったか? お前が飽きちゃったーって俺に持たせたモンだ。別に惜しくはないだろ」

「いやぁ、惜しくはないんだけどさー。ちゃんと使えるのかなって」

「は? お前『誰でも使えるからー』って言ってたじゃないか」

「うん、『フォトンを扱える人なら』ね。着火(?)にフォトン必要だし」

「……マジ?」

「え。だって大抵扱えるでしょ?」

「バカやろぉ! それを早く言えよ!!」



 今度こそ逃げ切ったカヴァレット。肩で息をしながら、手にあるハンドガンを見る。

「最後のやつ……閃光弾じゃなかった……」

 まるでアークスが使うテクニックのようだ。……テクニック?

 カヴァレットは手を前に翳し、先程の風をイメージしてみた。

 ぶわ。

先程のような威力はないが、小さな風が起きた。今まで気付かずにいたが、どうやら多少は扱えるようである。しかし、こんな微々たる力が使えたとて……。


 帰ることの出来ないカヴァレットは、小さなホテルの一室を取り、疲れた体をベッドに投げ出した。暗い虚空をじっと見つめる。自分がしなくてはならないこと……。それはもう分かっている。『自分の贋作を回収し、本物をそこに戻すこと』だ。

 だがどうすればいい?もし首尾よく本物を取り返せたとして、偽物とすり替えられていることすら気付いていない美術館にどう返すのか。ましてや、「なぜそんなことをあなたが」と問われた時にどう返答すべきか。更に言えばそれが世間に公表されてしまえば、父の時と同じ思いを辿る人が出てしまう、という一番恐れている事が起こってしまう。それはなんとしても避けたい……。


 カヴァレットは頭を切り替えようとテレビをつけた。ぼんやり流れている番組に目を遣る。どうやら映画を放映しているようだ。何やら白いタキシードにキザなセリフの怪盗が、盛大なパフォーマンスを披露して華麗にお宝を盗み出していく。

……いや、こんな大々的にやって果たして『盗む』と言えるのかは微妙な線……。


 ん。


 カヴァレットは画面にかじりついた。

そうだこれだ。自分も、その贋作の絵を盗み出せばいい。それで本物とすり替えれば解決ではないか。

 そこで更に思案する。盗み出してすり替えるだけなら、こっそり何も言わずにした方がリスクは低い。でも……このテレビの怪盗は……。


「自分の状況をひっくり返したいなら、自分でなんとかするこった」


 暗闇の中での声を思い出す。そうだ。自分でなんとかしないと。……なんとかしてみせる。さっき少しだけ使えたテクニック……。それもこれを成す為に活かせそうだ。僕が出来るたった一つの贖罪……。なんとしてもやり遂げてみせる。


 カヴァレットはカードを書く。

【今夜9時 絵画『浮遊大陸の庭』を戴きに参上致します。

─────────────怪盗トワル】

 

 予告状を出せば注目度は上がる。そこで見事盗み出すことができれば、更に話題になる。後日本物をそっと美術館に返せば、「盗まれた絵が返ってきた」と発表されるだろう。そうすれば、件の絵とはどんなものかと見に来た客が目にするのは『本物』だ。これで、『人知れず贋作と本物を入れ替える』という事と、『本物を多くの人の目に触れさせる』という、二つの目的を達成させることが出来る。


 カードを書き終え、カヴァレットは窓の外の満月を見る。

「やるからには……完璧に演じきってみせよう。いつでも心に余裕を……。僕は怪盗トワル。大胆不敵に華麗に盗み出す怪盗」

 その目に迷いはなく、光は決意に満ち溢れていた。

「さて、それにはまず、本物を取り戻しにいかないとね」

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