第3話 夏

毎年、お盆は半分俺の実家に行って、もう半分は穂純の実家に行くのが恒例だった。

俺の実家に行った時は緋居の母親、つまり、俺の従姉妹の墓参りに行く。


「何度考えても、可哀想だ。小さい子を置いて、ひとりであいつは逃げたんだ」


俺は穂純の実家に行く道中の車の中でそう言った。

隣では、毎晩夜遅くまでゲーム大会を開いていたせいで疲れ果てている緋居が気持ちよさそうに眠っていた。

高篠家は、穂純が中高時代住んでいた実家とは別に、そこより一回りも二回りも大きい家を少し離れた郊外に持っていた。

親戚全員が集まるからね、仕方ないよ、と穂純は遠い方の実家に文句も言わずに車を走らせる。

ふたりとも、何を言えばいいのか分からないのか、信号が青になるまで黙ったままだった。


「死は逃げなのかなあ」


葉瑠は窓の外を眺めながら言った。


「本人にとっては、きっと救いだったんだよ」


葉瑠が小さくまた言った。


「辛いことだけどね、遺されたほうにとってはさ」


葉瑠はそう言って背をもたれた。

体が熱くなった。

俺は、穂純が死にたいと言ってきたことを思い出した。

四人で買い物中、緋居が菓子コーナーに行った時、穂純はふと呟いた。


____俺、死のうと思ってる。


なんで、と咄嗟に聞こうとした俺と手を繋いでいた葉瑠は、その手にもっと力を入れて牽制した。

この手はすぐはぐれる俺を引き留めるための恋人繋ぎだった。


____結局は穂純の人生だから、好きにしたら、いいと、思う。


葉瑠は途切れ途切れにそう言った。

本当に言いたい言葉じゃないことがひしひしと伝わった。


____でも穂純がいなくなっちゃったら、僕との約束、穂純破っちゃうよ。

____ごめん、なんか約束してたっけ。

____…一生幸せにするんじゃなかったの。僕と瑞樹を。


こんな言葉が響かないことは葉瑠にも察しがついていた。

葉瑠は必死に言葉を探していた。

しかし諦めたようで、黙りこくって鶏肉をカゴに入れた。

穂純に救われた俺たちが穂純を救おうなんて考えはおこがましい。


きっと穂純の中にはまだそんな黒い心がこびりついている。

葉瑠でも剥がすことのできない、強くて暗いもの。


「ついたよ、緋居?」


緋居は眠い目を擦りながら俺と手を繋いだ。

穂純が門についているインターホンを鳴らし、お義姉さんの声で今開ける、待って、と言われた。


「あらー、いらっしゃい!緋居ちゃんはおねむ?みんな来てるわよ」

「お義母さん、おじゃまします」

「わー本物の葉瑠くんだ!」


お義姉さんが先に言っていたのか、穂純の親戚たちが葉瑠の周りに集まった。

どうもーと葉瑠が笑いながら頭を下げると、声が聞こえたことに歓声が上がった。


「おっきくなったな、僕も」


葉瑠はまだ昼なのにビールを飲みながらしみじみそう言った。

穂純の静止も功を奏さず、俺も何故か飲まされている。

一杯だけ、とお義父さんに言われ、ゆっくり飲み進めた。

体が熱くなるのを感じた。


「でも、ねえ、男の人同士で付き合うのって、どうなの?ほら、夜とか…」


子供達が別部屋で遊んでいるのを確認してから、叔母さんが言った。

叔父さん達も興味があるようで聞き耳を立てている。


「うーん、どうってことはないけど…。男女で付き合ってるのと一緒だよ。したい時にする」

「男の人って性欲強いじゃない?大丈夫なの?」


偏見といらない心配で俺の心がちくっとした。

酔いが回って、刺さった針が太くなりそうだった。


「んふふ、僕は毎日しますよ」

「またそんな赤裸々にして…この前もそういう系の発言週刊誌に抜かれてたでしょ」


葉瑠が面白そうに笑っていると、スマホが鳴った。

葉瑠が急いで電話に出て、そのまま退室した。

穂純に耳元で大丈夫?と訊かれ、俺は緩く首を縦に振った。


「大変ね、彼氏が有名人とか」

「まあ…」

「…聞きたいんだけど、葉瑠くんと莉胡ちゃんって付き合ってないの?」

「えっ?」


穂純がびっくりして聞き返す。


「いやぁ、ね?ほら……ねぇ?」

「やめなさい」


叔父さんが嗜めた。

普通の人からして、男同士で、しかも三人でなんて想像もつかない状態だから、そういう考えになってしまうのは仕方ないと思った。

アルコールも十分に入っているのだろう。

ドアから葉瑠が顔だけ出して、穂純にメモ用紙を催促した。


「はい、え?は?いや」


少し開いたドアの向こうから葉瑠の不穏な声が聞こえた。

全員がその向こうを向いた。


「…僕に直接電話する時点でおかしいと思ってました。この話は白紙で。今後一切電話もしないでください。では」


低い声でそう言って、葉瑠は帰ってきた。

聞こえてなかったとでも思っているのか、さっきと同じように振る舞っている。

とても訊ける雰囲気ではなくて、みんながスルーした。


「葉瑠くんは、莉胡ちゃんと付き合ってるんでしょ?」


さっきと同じ叔母さんが葉瑠に訊いた。


「えっ?」


穂純と同じ反応で、俺は少し嬉しくなった。

俺たちが長年付き合ってることの裏付けをしたみたいだ。


「葉瑠くんは女の子の味を知ってるから、ね?」

「え?いや……な、何の話ですか…?」

「葉瑠くんは有名人なんだから、女優さんとかともそういうことできるでしょう」

「ぼ、僕は恋愛対象も性的興奮を覚えるのも男性ですよ…?」

「そう。…普通じゃないのね。緋居ちゃんが可哀想」


棘のある言い方に葉瑠は下を向いて黙った。


____普通って何だろうって、愚問じゃない?


葉瑠は昔笑いながら言った。


____僕は敢えて言わないよ、普通って何?なんて。だって僕たちは普通じゃない。そじゃない?


酔った葉瑠は俺が大好きなへにゃっとした笑い方でそう言った。

まだお酒を飲んだら駄目な年齢だったはずだ。


「普通って何なんでしょうね」


話が違う。

空気が終わった。

葉瑠は一言言って、寿司を頬張り始めた。


「ん、美味ひい、瑞樹これ」

「美味しい?俺も食べよ」

「これサーモン?」

「違うでしょ、中トロだよ」


大丈夫。

俺たちは普通じゃなくても生きれる。

穂純と葉瑠の笑顔が俺は好きだ。

親戚がちまちま帰り出して、葉瑠と俺は玄関から見送る度に頭を下げた。

最終的に、俺たちとお義兄さん家族、お義姉さん家族が残った。


「緋居?眠い?」

「うん…葉瑠、着いてきて」

「緋居は十一歳になってまだ一人で寝ないのか」


会話を聞いていたお義父さんが言った。

緋居はスカートを強く掴んだ。


「ひとりで寝てくる…」

「父さん」

「いいよ、緋居。僕も寝たかったから。行こ?」


緋居と葉瑠が手を繋いで穂純の部屋に行った。


「父さん」

「…兄さんは体が弱くて子供ができにくいらしい」

「だからって」

「穂純はもう自分の子供は作れないんだろう」

「…うん」


心の中で空気崩しの葉瑠に来てくれ…と念を送っていると、その声が届いたのか、葉瑠でなく皿洗いをしていたお義姉さんがキッチンからやってきた。


「お父さんは考えが昔すぎるよ。緋居ちゃんだってこの会社継ぐなんて思ってすらないでしょうし」

「じゃあ穂純が後継ぎを作ればいいだろう」

「なんてこと言うの!」

「姉さん、いいよ」


穂純が小さく「おかしいもんね」と自分に言い聞かせるように言った。

その後、酒で眠気が強くなってうとうとしていると、穂純に誘われて、結局俺たちも葉瑠と緋居と寝ることになった。


「可愛い…尊い…」

「オタクになってるよ」


一つの布団で寝ている二人を見ながら、流石にあと二人寝るのは無理だろうと布団を敷いた。

どの向きで寝ようか迷っていると、穂純に「おいで?」と言われ、恥ずかしながら穂純の腕枕に頭を乗せた。


「懐かしいね」

「高校生ぶり」

「ごめんね、あんな会話聞かせて」

「んーん…」


目を瞑ると眠ってしまいそうで、必死で目を開くが、穂純の匂いと目の前の暗さでどんどん思考は落ちていった。


「瑞樹、周りが何と言おうと、俺は好きだよ」

「ん、おれも…」


夢を見た。

葉瑠が先輩に緋居を紹介している。

みんなが嬉しそうに笑っている。

先輩だけは、俺たちの高校の制服を着ていた。


俺は悔しかった。

俺は先輩が死んだ時、泣けなかった。

葬式帰りの電車で、骨壷を抱えた葉瑠が泣き出した時も、その葉瑠の肩を抱えて涙を堪えていた穂純を見た時も、俺はこの二人を泣かせてしまったことが悔しかった。


____瑞樹は、二人のこと、好き?

____当たり前ですよ。

____じゃあ、あの二人にの柱になってあげてな。

____どういう意味っすか。

____瑞樹は感情の起伏が小さいことを気にしてるけど、それはあの二人の感情が爆発しても瑞樹は冷静でいられるってこと。君の誰にも飲まれない性格、誇りな。


先輩はどこまでも俺のことを見抜いていたのに、俺は先輩の高校生時代しか知らない。

私服も想像できなかったのだ。

先輩は大きな渦を残して逝った。

俺はもう誰もその渦に飲み込まれないように、感情の柱にならないといけない。

先輩はまた夢の中で再確認しに来てくれた。

大丈夫、ですよね。

俺たち、普通じゃなくても、このまま生きてていいんすよね。

俺の中の先輩はやっぱり、葉瑠に似た笑顔で頷くのだった。


目を覚ますと、隣にいた穂純はいなくなっていて、寝相の悪い葉瑠と緋居がすごい格好で寝ていた。

二人を元の位置に戻そうとすると、葉瑠は目を覚ましてしまった。


「あ、ごめん」

「んーん、起きる…」


二人で一階に降りると、お義父さんと穂純の話し声が聞こえ、俺たちは足を止めた。

葉瑠が繋いだ手の力を強めた。


「もう、俺に期待しないでください」


穂純が苦しそうな声で言った。


「俺は自分の子供も作れない」

「…別れる気はないんだな」

「あの三人を家族として、一生大切にするって決めました。だからもう、父さんの言う普通には戻れません」


葉瑠の息が上がっていた。

落ち着けるために二階に戻り、布団の上に座らせた。

ぐったりした葉瑠の背中をさすっていると、これまたぐったりとした穂純が部屋に入ってきた。


「どうしたの、怖い夢見た?」


葉瑠が軽く首を横に振った。


「……もしかして、聞いてた?」

「ごめん」


俺の返事が肯定の意と感じ取ると、穂純はゆっくり息を吐いた。


「勘当はされないから、大丈夫だよ」

「うん…」

「考え方が根本的に違うんだ。仕方ない。『俺たちの考えは認めてほしいけど、あなたの考えは認めない』なんてのはもう通用しないからね。それだけ大人になっちゃったんだ、俺たち」

「穂純」

「なあに、葉瑠」

「死なないでね」


穂純は葉瑠を見たまま黙った。


「俺の人生だから、好きにしていいんじゃないの?」

「ううん、だめ。もう、だめ。穂純の人生はもう僕たちと同じ人生だから、だめ」


葉瑠が少し吐いてくる、と言って部屋を出た。

葉瑠が吐く時はパニックが酷くなる時だ。


「夢に先輩が出てきた」

「うん」

「『俺たち、普通じゃなくても生きてていいんですよね』って聞いたら、笑ってた」

「そう」

「俺からも、お願い、生きて」


穂純は笑いながら「そこまで言われたら仕方ないな」と言った。

それから穂純は自分がずっとお義父さんの思いに気づいていたことや、それに背いてしまった罪悪感などを静かに呟いた。

そして俺の肩を借りて泣いた。

穂純が泣くのを見るのは数年ぶりだった。

綺麗な人は綺麗に泣くもので、穂純は涙まで綺麗だし、葉瑠は泣き声まで綺麗だ。

帰ってきた葉瑠も穂純が泣いているのを見てまた泣いた。


「大丈夫、大丈夫」


両肩に花を携えて、子供に言うように言った。

まだ子供でいいと思う。

だって俺の前では二人とも立派な子供だ。

手持ち花火の燃え殻を「うんちみたい!」と大笑いする葉瑠。

緋居が挑んだペットボトルチャンバラに恥ずかしがる様子もなく応え、圧勝する穂純。

先輩が死んだ日、全部が止まってしまった。

人が死んでも世界が変わらないなんて大嘘だ。

お義姉さんが部屋をノックし、「夕飯どうする?」と訊いた。

俺が答える前に目の前の光景に察しがついたのか、「後で食べるね、わかった」と階下に戻った。

緋居も起きて、一緒に葉瑠と穂純の背中をさすっている。

大人なんて、子供の延長線だ。

俺は精神状態が悪くなるのに飲酒をやめない二人を抱えてそう思った。

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夜に流されないように 夕凪 倫 @Yu_Ux_xU_nagi

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