一輝と愛奈

 最近、よく出会うなと言いたくなることが多い。

 だが今回においては、一輝の背中を滝のような冷たい汗が流れている。


(ど、どうしよう……)


 あまり料理が出来ない一輝なので、今日は何かインスタント食品で済ませるつもりだったのだが、特に美味そうだと思える物がなかったのでこうしてまた外食に出掛けたのである。

 そうしたら案の定かのように愛奈と出会い、そして願わくば色々と整理が付くまで会いたくなかった恵茉とも顔を合わせることになった。


「よ、よお藍沢……」

「やっほ、また神名君は以前みたいにお出掛け?」

「ま、まあな……」


 一輝が自分自身で自覚出来るほどに慌てているのは確かだが、その様子のおかしさに愛奈も気付いたらしい。

 どうしたんだろうと首を傾げる愛奈と見つめ合うが、その後ろからジッと見つめてくる美女の姿は、一輝からすればいつ斬り込んでくるか分からない死神にさえ見えてしまう。


「あ、そうだった。ねえお母さん、こちらは神名一輝君。クラスメイトなんだよ」

「そうだったの?」

「ど、どうも……」


 ニコニコと微笑んでいる恵茉は何を考えている分からない。

 恵茉はゆっくりと一輝に近付き、スッと頭を下げた。


「藍沢恵茉と言うわ。よろしくね神名君」

「……うっす」


 余裕ある大人の姿は、気品だけでなく優雅ささえも感じさせた。

 娘が娘なら母も母ということで、やはり改めて見てもこの女性はあまりにも女としての魅力と、母親として包容力を存分に溢れさせている。


(クソッ……余計なことを思い出すな)


 目の前に立つ恵茉との情事が脳裏を過る。

 男であればまた抱きたいとさえ思わせる色香は、ある程度女慣れしている一輝さえも惑わせてしまう。

 早くこの場から離れないと、そう思う一輝を救ってくれたのは愛奈だった。


「神名君はどうしてまた? また外食とか?」


 愛奈の問いかけに、一輝はハッとするように頷いた。


「あ、あぁ! 適当に何か食おうと思ってさ。いつもみたいにカップラーメンで済まそうと思ったんだけど、良いのがなかったのもあってさ!」

「カップラーメン……?」

「……?」


 その時、一輝は余計なことを喋ったなと後悔した。

 本来であれば夕飯にカップラーメンを食べることは珍しく、しかもいつもみたいという言葉が余計に愛奈と、そして恵茉に疑問を持たせた。


「……じゃあえっと、この辺で失礼するわ」


 一輝は逃げるようにその場を離れようとしたものの、ガシッと手を握られてしまい動きを止めた。手を掴んだのは他でもない愛奈だ。


「神名君、一緒にご飯を食べよっか」

「えっと、俺は――」

「一緒にご飯を食べよっか」

「俺は――」

「一緒にご飯を食べよっか」


 完全にご飯を食べようBOTと化した愛奈に、一輝は絶対に逃げられないなと悟り、ため息を吐きながら頷くのだった。


「お母さんも良いよね?」

「良いわよ。男の子が加わったならそうねぇ……焼肉でもどう?」

「いや、そんな豪華なものは――」


 半ば無理やりに誘われているようなものだとしても、自分が居るからと豪華な食事になるのは気が引ける。

 しかも恵茉の様子から完全にお金は要らないと言っているようなものなので、それもまた一輝に遠慮させていた。


「子供が遠慮するものではないわよ。ほら、行きましょう」


 愛奈が繋ぐ手とは反対の手を恵茉は掴み、そのまま歩いていく。

 子供である一輝と愛奈を先導するように歩く恵茉、そんな恵茉に歩幅を合わせて愛奈と共に歩くこの感覚が、どこか一輝には懐かしかった。


(……なんでこんなにも落ち着きやがる)


 思えば、こうして誰かと手を繋いだのはいつ振りだろうか。

 思えば、こうして誰かと穏やかな気持ちで歩くのはいつ振りだろうか。

 思えば、こうして誰かと夕飯を食べるというのもいつ振りだろうか。


「……………」


 推しのヒロインである愛奈と、記憶を取り戻した時には既に関係を持ってしまっていた恵茉――複雑な感情を抱きつつも、一輝はこの温もりから離れることが出来なかった。

 そして、それなりに値段がするだろう焼肉屋に入った後は、久しぶりの豪勢な食事に一輝の手は止まらなかった。


「くぁ! めっちゃうめえ!」

「ちょっと、そんなに急いで食べると喉に引っ掛かるよ?」

「おいおい、俺がそんな間抜けなことを……げほっ!?」

「ほら言わんこっちゃない!」


 やれやれと言いながらも、楽しそうな愛奈が一輝の背中を擦る。

 一輝は間抜けな姿を見せたことに恥ずかしさを覚えながらも、咳をして口の中を出すような失態だけはしないようにと、とにかく大変そうに口元を抑えている。


「若いわねぇ」


 そしてそんな二人を、恵茉もまた楽しそうに見つめていた。


「なんか不思議かも」


 突然、そう言ったのは愛奈だ。

 彼女も美味しそうにお肉を食べながら、一輝と恵茉を交互に見つめながら言葉を続ける。


「ちょっと前まで私と神名君は犬猿の仲みたいなものだったのに、それが今はお母さんを含めてこんな風になってるんだもん。人生って何が起こる分かんないね」


 本当にその通りだなと、一輝はしみじみ頷いた。


「突然だったけど、今は良かったって思うわ……普通に楽しいからな」


 とはいえ、恵茉のこともあるが一輝の感想としてはそれだった。

 それからもある程度食べてしまうまで会話は尽きることなく、決して気まずくはならない空気が続いた。

 お腹がいっぱいになり、スイーツも食べた愛奈はお花を摘みに行ってくると言って居なくなり、一輝はここに来てようやく恵茉と二人になった。


「まさか、あなたが娘と知り合いだなんてね」

「……俺だって驚いてるさ。今日の出会いは突然だったからな」


 ニヤニヤと大人の余裕を見せる恵茉は、愛奈が居ないのを良いことにここぞとばかりに一輝に言葉を投げかけていく。


「愛奈は私たちのことを知らないのでしょう?」

「お、おう……」

「言うつもりもないのよね? もちろん私だって同じだわ。夫を亡くしてからご無沙汰だったとはいえ、あなたの誘いに応じたことを娘が知ったらと思うと怖いし」

「俺の方が軽蔑されるぜ」

「そうかしら? あの子はアレでしっかりと事情を聞いた上で判断してくれると思うけれど?」

「俺はただ、抱きたかったから良い女を見つけて抱いたんだぞ?」

「……難しいかもね」


 というか、一輝としては絶対に知られたくはないことだ。

 どんな事情であれせっかく愛奈にこうして出会えて、学校でも良く話が出来る仲になれたのだからこの関係性を捨てたくはない。


「ねえ」

「うん?」


 酒が入っているからか、頬を赤くして視線を投げかけてくる恵茉はあまりにも色気が凄まじい。

 たとえもう以前のようにならないとは思っていても、思わずまた抱きたいと考えてしまった一輝は、頭を振ってその思考を打ち消し、恵茉の言葉に耳を傾けた。


「あなた、随分と変わったわね? いえ、実はあの時に訊きたかったのよねずっと。私を誘ったあなたと、終わった時のあなたは別人だった。それこそ中身が入れ替わったと言われた方が良いくらいにね」

「……ま、話せることは少ないけどよ」


 母親の持つ包容力を感じるからこそ、一輝は話し始めた。

 自分の母親に感じることの無かった温もりを持つ恵茉は、一輝が心を開くには十分すぎたということだ。



 ▼▽



「ほんとに最近、神名君とよく出会うなぁ私」


 少し前までの私からすれば、全然考えられない。でも最近の彼と話をするのは楽しいというか、普通に友人感覚で会話を続けられる。

 以前に感じていた嫌悪感も薄れているし、今の神名君ならもっとクラスに受け入れられて友達も増えると思うんだけどな。


「……?」


 お母さんと神名君が待つ部屋に戻ろうとした時、中から気になる声が聞こえて私は立ち止まる。


「まあ、ある意味で生まれ変わったようなものさ。これは藍沢も知ってるけど、俺には見守りたい奴が出来た。だからその子に嫌われたくなくて、ずっと笑ってほしくて……笑わないか? 大の不良だった俺が、一人の女を想ってこうなったんだから」

「そうは思わないわよ。そうなのね……凄く素敵じゃないの」


 お母さんと神名君、やけに打ち解けてない?

 出会った時から若干感じていたけれど、もしかしてお母さんと神名君は知り合いだったりするのかな?

 あり得ないとは思いつつも、ちょっとだけ考えてしまう。


「神名君って……よくよく考えると不思議な人かも?」


 だって最近、やけにドキドキさせられるし?

 ……ふと頬が熱くなっているのに気付き、私は冷えていた手の平を当てることで冷ます。

 よしっ! 戻ろうとしたところで私は聞いてしまった。


「何となく思ったんだけど、その相手ってもしかして愛奈かしら?」

「っ!?」


 ちょっとお母さん!?

 何をそんな馬鹿なことを言ってるんだと怒鳴り散らしそうになり、けれどもまた続いた言葉に私は完全に思考が停止した。


「……もしかしてという割には勘付いてないか?」

「あら、というとそうなのね? まあ気付いてたけど」


 ……え?


「……そうだな――俺の見守りたい相手ってのは藍沢愛奈……あいつなんだよ」


 ……………。


「あいつが笑って居てくれりゃそれで良い……俺は、藍沢のことが心から好きだ。でもこの気持ちが届かなくてもいい、届く必要は無い――神名一輝である俺は……今の俺の願いはそれなんだ」

「……そう」


 神名君は、何の話をしているの?

 お母さんと喋っている彼の声は優しくて、それこそ私に注意喚起とかしてくれた時ののような優しい声だ。


「っ……」


 マズイ……部屋に入れないとか、戻れないとかそうじゃない。

 胸に手を当てると響く心臓の鼓動があまりにも激しくて、私はどうすれば良いのか分からなくなっていた。

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