またまたフラグ
「いやぁありがとねぇ」
「良いってことよ。それじゃあ婆さん」
学校が終わった放課後、お婆さんと別れた一輝は機嫌が良かった。
(良いことをすると気持ちが良いぜぇ……それに! 体育倉庫って密室で愛奈と長い時間話せたのも最高だった!!)
閉じ込められたとはいえ、愛奈との時間は一輝に至福を齎した。
まあそのせいで何やら誤解した様子の怜太から胡乱気な視線を向けられてしまったが、愛奈とのことを考えればそんなものはどうでも良かった。
そうして機嫌が良いままに学校を出た後、車の行き交う交差点で買い物袋を落としてしまったお婆さんを助ける形で、速攻で落ちた物を集めてついでにお姫様抱っこをするように横断歩道を渡ったのだ。
「……変に注目はされちまってたけど」
若く厳つい顔をした男が、老人をお姫様抱っこしているのだから視線を集めるのも致し方ない。それこそ中には、何かの撮影なのかとカメラを探した人さえ居たほどなのだから。
だがそれだけ一輝は機嫌が良かった。
非常に単純だが愛奈とのやり取りは、この世界に生きる今の彼にとって何よりも尊く素晴らしい時間と言えるだろう。
「今日は良い気分で寝れそうだな」
転生してから心配事は少なからずあったとはいえ、一輝として過ごしていくことに何も問題はないし、そもそも推しのヒロインである愛奈と同じ世界で同じ空気を吸えるとなれば、これからの日々が楽しみで仕方がない一輝である。
だが、家に帰った一輝は眉を顰めた。
「……ちっ」
つい、汚い舌打ちが出た。
玄関の扉を開けて一輝が見たものは、最近は全くご無沙汰に近かった母親の靴だ。
「……………」
本来であれば、子供にとって母親の存在とは大きいものだ。
けれど一輝にとって母親もそうだが、父親に関しても親と呼べる行動をしてもらったことはなく、一輝もまた彼らに対して親のように接したことは一度もない。
「……こんなところで寝やがって」
リビングに向かうと母親は寝ていた。
随分と酒を飲んでいるのか顔は赤く、まるで夜中に帰ってきたかのような光景にため息さえ出ない。
「ったく……」
前の一輝も今の一輝も、家族に対しての思い入れはない。
だがこんな姿を見て放っておくというのも出来ず、毛布を引っ張り出して母親の体に掛けた。
(一輝の両親に関してもあまり出てこなかったからなぁ……それなりに歳を食ってるはずなのに綺麗な顔をしてやがる)
まあ、基本的にエロ漫画に出てくる大人の女性は綺麗なので母親もその例に漏れないのだろう。
この母親はともかく、愛奈の母親に関しては別格だ。
見た目が愛奈に似ているのもそうだが、スタイルに関してはただでさえ優れている愛奈を凌駕するほどなのだから。
「……ほんと、エロかったな」
そんな女である愛奈の母親――
しかし、恵茉のことを思い出せば思い出すほどに、次に顔を合わせた時にどういう反応をすれば良いか、どのようにして言葉を交わせば良いのかが一輝には分からない。
「う~ん……」
そのことを考えていると、母親が目を覚ました。
「……あ?」
寝惚け眼で見つめられたと思えば、即座にキッと睨みつけるようにして視線を鋭くした。
「はぁ最悪……寝た私が悪いとはいえ、アンタの顔を見るなんてね」
「……………」
「なにこれ毛布? 一丁前に息子っぽいことでもしてるつもり?」
それが息子に対する言葉かよと、一輝はため息を吐いた。
やはりどんな言葉を向けられようとも一輝の心には響かず、怒りも悲しみも呆れさえも浮かんでこない。
「ほんと、アンタなんか産まなきゃ良かったわ」
「……………」
ただ、存在そのものを否定する言葉は少し響いた。
結局その後は母親と何か言葉を交わすでもなく、今日は夜も家に居そうだったので夕飯は外で済まそうと一輝は家を出た。
「……はぁ」
小さくため息を吐く一輝だが、同時に理解することもある。
やはりあんなことを言う母親や、暴力を振るってくる父親と長い間一緒に過ごしていれば、人間性が歪んでもなんらおかしくはないと。
「ま、それで一輝のしたことが許されるわけじゃねえけど」
一輝の苦しみは、結局は一輝だけのものだ。
それは他人に当たり散らかして良いものではないし、押し付けていいものでもない。
自分はこういう奴だからと開き直り、愛奈を犯し尽くした行動は絶対に正当化されてはならないのだ。まあそう考えると既に恵茉に対して欲望をぶつけてしまったことを考えてしまうが、冷静になってみると自分はどんな気持ちで恵茉に近付いたのかと気になる。
(美人だったから……抱き心地が良さそうだったから……それとも、別の何かがあったのか……?)
しばらく考えていたが、結局何も分からなかった。
適当に夕飯を済ませるためとはいえ、まだ早すぎる時間なので当てもなく歩き回る一輝だったが、そこでまさかの後ろ姿を見つけた。
「あれは……」
視線の先には、一輝の通う高校の制服を着た女子が居た。
平均的な身長と小柄な身長の二人組は、どうにも面倒そうなナンパと思われる男二人組に捕まっている。
一輝の体は、すぐに動き出した。
「おい」
「あん?」
女子二人の背後から声を掛けると、男たちは一輝を見た。
ちょうど視線が合ったところで最大限の睨みを利かせれば、男たちは一輝よりも大人だというのにそそくさと離れていく。
「そんな簡単に逃げるなら最初からちょっかい出すなよな」
だが、ああやって逃げていくのは彼が神名一輝だからだろう。
情けなく離れていく背中を見送った後、一輝は驚いたように見つめてくる二人の女子と視線を合わせた。
「何もなかったか?」
「神名君……うん、大丈夫! ありがとう!」
「あわわわ……だだだだ大丈夫ですぅ!!」
その女子は愛奈と、そして一輝に水をぶちまけた小柄な女子――
「なんつうか、よく会うな」
「あははっ、確かにね。でも本当に助かったよ」
「良いってことよ。その辺の男なら俺の顔を見ただけで逃げてくからな」
「わ~お」
ニヒルに笑いながら一輝はそう言うがあながち間違いでもない。
噂なんかを知っているからこそ愛奈も信じられるらしく、素直に凄いと思っているような顔だ。
そして、もう一人の女子である優香に目を向ければ、彼女は一輝の視線から逃げるように愛奈の背後に隠れた。
「ごめんね神名君。優香ったら朝のことが原因で、その内神名君に海に沈められるかもって言って怖がってるの」
「おい、俺をマフィアか何かだと思ってんのか?」
「ぴぃぃぃぃいいいいいっ!? ごめんなさいごめんなさい!!」
可愛らしいツインテールを揺らして声を上げる優香。
愛奈はクスクスと笑っているものの、周りからすればきっと一輝が優香に対しカツアゲしているようにも見えたかもしれない。
「……すまん、ちょっと言い方がきつかったか?」
「あ、あの……その……ごめんなさいごめんなさい!!」
「藍沢ぁ……助けてくれよぉ!」
「あははっ! ほら優香、神名君なら大丈夫だよ」
「ほんと? 殺されない?」
「……本当に俺ってどういう評価なんだよ」
怖がられているだけならともかく、流石に殺されると思われているのは何とも言えない哀愁を漂わせる一輝だった。
ただここまでビクビクしていた優香も、しばらく愛奈を通じて会話をすれば平常心を取り戻し、相変わらず怖がってはいたが会話は問題なくすることに成功する。
「ほ、本当に大丈夫なんですかぁ?」
「大丈夫だっての。俺は変わったんだ」
「そうだよ、神名君は好きな人が出来て変わったんだよ」
「好きな人……ほへぇ」
好きな人は言わなくて良いじゃないかと、一輝は頭を抱えた。
(……ま、その相手はお前なんだけどな)
この気持ちは、決して愛奈に通じることはない。
けれど彼女が笑っていれば良いという気持ちは変わりなく、こうしてまた彼女に出会えたことに一輝は幸せを感じていた。
「二人は遊びの帰りか?」
「遊びというか、参考書を買いに行った帰りかな」
「へぇ」
「神名君は?」
「俺は……えっと、夕飯を済ませるためにな」
「ふ~ん?」
そんなやり取りをしていると、不思議そうな顔を優香がしていた。
そして彼女はこんなことを口にした。
「その……やけに仲良くなってますよね。もしかして神名君と愛奈は付き合ってたりとかするの?」
その言葉に、愛奈は顔を真っ赤にして否定しようとしたが、それよりも早く一切慌てることがない様子で一輝が否定した。
「生憎とその事実はないな。確かに藍沢みたいな美少女と付き合えたら最高だろうし、そんな男は幸せ者だろうさ。でも残念だが、俺はそういうんじゃねえ」
「ちょ、ちょっと神名君!?」
「良いじゃねえか。お前が美少女ってことに変わりはないだろ? なあ千堂よ」
「う、うん! 私も愛奈は凄く可愛いし綺麗だって思ってるよ!?」
「二人ともお願いだから止めて!!」
本来であれば、一輝の言葉は明らかに相手を意識させる言葉である。
だがこの男、推しと会話出来ていることに興奮しているし調子に乗っているものだから遠慮は一切ない。
「もう……なんだか最近、凄く疲れてる気がするよ」
「なんでだ?」
「……知らない」
ツンと顔を背けた愛奈に一輝はケラケラと笑い、立ち上がった。
「それじゃあ俺は行くわ。ああいう質の悪そうなナンパはお前らみたいな女を好んで近付いてくるから気を付けろよ」
「あ、うん……本当にありがとう神名君」
「良いってことさ。お前が無事ならそれで良い」
「っ!?」
「千堂も気を付けろよ? それと、俺はお前を殺したりしないからそこだけは誤解すんな」
「わ、分かってますよ! それは私が悪かったですから!!」
そうして、一輝は二人と別れるのだった。
「神名君……今までの印象と全然違うね」
「……………」
「愛奈?」
「な、なに!?」
「顔凄く赤いけど……あ、もしかして照れちゃったんだ?」
「……うるさいってば」
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