第二章:占い
この日は朝から抜けるような秋晴れであった。
領内では田の実りを喜ぶ領民たちの声が、そこかしこで聞こえていた。
午前中にそんな彼らとの交流をはかった力は、午後は自邸に引きこもっていた。
熊鶴丸を含めた家臣団と親睦を深めようと、皆で相撲をとっていた、そんな矢先のことである。
「ごめんくだされ」
誰かが門を叩いた。
見ると、腰の曲がった老婆が、それでも姿勢を正し、そこに立っているのであった。
「おう、婆さん、何か用か。ここはこの地を納める地頭殿の屋敷じゃぞ」
そう門番が問うと、老婆は次のように答えた。
「いえいえ、なあに、時間は取らせません。少し占いをしますので、ほんのわずかの礼のかわりに占ってしんぜようと思いましてな」
「なんだと婆、領主様にそんな暇はない。さっさといね」
門番と婆のやりとりを、たまたま門の傍で聞いていた力は、少し面白そうだと思って婆を呼び止めた。
「おい、待て婆。俺を占え。礼は最近流行しておるこの銭でどうかの」
日本では、ちょうどこの頃、貨幣の流通が頻繁になっていた。
力は、腰巾着に入れたその銭のうちの一枚をちらりと老婆に見せてやったのである。
それを見るや、老婆はにたっと笑い「では失礼して」と、門の内までやってきた。
そうして、担いでいた木片にその場で火をつけると、その中に何を見たのか、かっと目を見開き口の中でもごもごと何やら唱え始めたのであった。
そうしてしばらく後、力に向き直り、こう言ったのである。
「領内の西の端に、一人の男が住んでおります。彼は見事な舞をしますので、召し抱えればそれは面白きものが見られることでございましょう」
力はほほう、とうなった。
「面白い。熊鶴丸、早速そのほう、男の元へ行き用向きを伝えてまいれ」
力はそう熊鶴丸に命じた。
熊鶴丸は相撲でついた泥を落とす間もなく、主に言われた通りにこの日のうちに、西の山のふもとに住む銘信の元へと赴いたのであった。
驚いたのは銘信であった。
泥の着いた衣服を構うことなく馬から降りてきた熊鶴丸に対して、銘信は慌てて白湯をすすめた。
「これはすまぬ」
熊鶴丸はすすめられた白湯をやはり一気に飲み干すと、自分はこの地の領主の使いである旨、主が銘信を召し抱えたいと望んでいる旨を伝えた。
「そんな、おそれ多いことでございます」
銘信は何度も断った。
しかし手ぶらで帰るわけにはいかない熊鶴丸は、熱心に銘信を説き伏せ、夕刻にはついに銘信を屋敷まで連れ帰ることに成功したのであった。
「ここが、領主様のお屋敷……」
銘信は、かつて鎌倉の地で仕えた貴人の屋敷をぼんやりと思い出していた。
門をくぐって力が直々に出迎えてきた時には、心の臓が口から飛び出んばかりに驚いた。
驚いた、という表現は正しくない。
銘信は力を一目見るなり、一気にのぼせ上ってしまったのである。
ありていに言えば、銘信は力に一目ぼれをしたのである。
この時代、男同士の恋は珍しくない。
ただし銘信と力は三十は年が離れている。
銘信は己の身に起こった喜ばしい変化と共に、頭の冷静な部分でそのことを考えた。
しかし、そんな銘信の戸惑いなど知らないとばかりに、目の前の力は満面の笑みを銘信に向けてきた。
「そなたか、占い師の言っておった男というのは。なるほど、年はいっているようじゃがどことなく品を感じるのう」
そう言って力は銘信の周りをぐるぐると回りはじめた。
「そなた、名は何という」
力の声は、銘信の腹にずんと響いた。
「はい、銘信、と言います」
ふむ、と力はうなづく。
「そなた、舞をするそうじゃの」
この問に、銘信は応えたくなかった。
黙っていると、力が重ねて問うてきた。
「なんじゃ、舞はせぬのか。するのか。はっきりせい」
他の者に詰め寄られたなら銘信も粘れたであろうが、相手が一目ぼれの相手である。
銘信はしおしおと本音を漏らさざるをえなかった。
「はい、若い頃、舞をたしなんでおりました。」
力はたたみかける。
「どこで誰に習った」
「幼い頃住んでいた長門の地で、京で人気という舞姫に習いました」
ほう、と力は二度、うなづいた。
「その女子とは恋仲になったのか」
いきなり問いがそちらの方面へと飛んだので、銘信はぎくりと身をこわばらせた。
「答えよ」
力はじっと銘信の目を見つめる。
「はい、恋仲になりましたが、その女子は殺されましてございます。そういう意味では成就は致しませんでした」
ふむ、と力。
「そうであったか、それは悪い事を聞いてしまったな。許せ」
それからしばらく、力はあれこれと次の問いを考えている風であったが、日が暮れてきたこともあり、「まぁよいわ、おぬしはこれから俺が面倒を見る。心して仕えよ」と言ったきり、銘信の前から姿を消してしまった。
銘信は、熊鶴丸から居住場所と今日の夕飯の案内を受け、力のいたその場所のぬくもりを、ひとりそっと思い返しているのであった。
さて、例の占い婆は、隣国へと赴いていた。
「ほんの少しの礼の代わりに、婆が占おうてしんぜる」
隣国でも同じことを述べた婆に対し、今度は家臣が興味を抱いた。
「ほう、婆、占いをするとな」
老婆の占いは領内で噂となり、やがて悪名高い領主、明記の元へと届いた。
明記は家臣たちが面白がって占ってもらっているのを見るにつけ、ふん、と鼻を鳴らした。
「まぁよいわ。婆、俺を占ってみろ」
明記は婆を自室に招きそう告げた。
老婆はやはり、担いでいた木片に火をつけると、その中に何を見たのか、かっと目を見開き、そして明記に次のように述べた。
「月夜の晩には、出歩かぬ方がよろしかろう。特に、満月の晩には」
明記は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「けっ。とんだ占いだな」
明記は、そう言うと、傍らにあった刀を取り出した。
「残念だが、俺は年寄の言うことは聞かん」
その日の深夜、明記の館の裏から、人知れず一体の老婆の死体が運び出されたという。
それから半月が、過ぎた。
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