【常世の君の物語No.7】力

くさかはる@五十音

第一章:力

一筋の涙が、頬をついと流れた。


それは秋風にさらされて、少しの冷やかさを感じさせた。

力(ちから)は頬に手をやりぬっと上半身を起こすと、大きく一つ、あくびをした。

長い事眠っていたらしい。

頭の上には青空が広がっており、幾筋もの雲が、ずっと高いところをたなびいている。

その中を、大きな鳥が一羽、さっそうと飛んでいた。

細い目をそちらへ向けて、力はにんまりと笑顔を作った。

それからぽつりと、こうこぼした。

「何か面白いものが、見たいな」


力は馬を飛ばし、自邸へと戻った。

大きな門構えは、このあたり一帯の地頭の家を示している。

「おお、力、帰ったか」

力を出迎えたのは、地頭である母であった。

この頃の土地の相続は、長子相続ではなく、子がいればその頭数で土地を分ける分割相続である。子の中に女性がいれば、女性の地頭もありえたのである。

母は、力そっくりな細い目をこれでもかと大きく見開くと、力に昼餉を共にしようと呼びかけた。

「はぁい、ただいま」

力は従者の熊鶴丸に手綱をまかせ、自分は足を洗ってもらいに玄関へと移動した。

足を洗ってもらいながら、傍らにやってきた母に、力は今日見たもの、聞いたものを話してきかせた。

「そういえば、草原で寝ておりましたら、頭上を大きな鷲が飛んで行きました」

力は身振り手振りを交えて伝える。

「まぁ、力ったら。それが鷲だとどうして分かるの」

母は意地悪く尋ねる。

「鳶や鷹より鷲の方が話に華が出るでしょう。実際、見たのは高いところを飛ぶ何かしらの鳥でございましたが、あれが何であろうが構いはしません」

「まぁ、話を盛ったのね。その癖は治しなさいね」

「私はただ話が面白ければよいと思って」

そんなことをぶつくさと言いながら、力は母と連れ立って、昼餉の席へと移動した。


座る際には、地頭である母が上座となる。

力は他の兄弟たちと共に下座に連なった。

食卓に上るものは、昼餉というのに贅沢なものが多く、大半はこの相模の国で採れた秋の味覚ばかりであった。

それらに箸を付けながら、母が力に言った。

「力、あなたにはもっと地に足をつけてもらわないと。いつまでもふわふわと面白いものが見たいだのと言っていてはいけませんよ。あなたは他の兄弟と共に次の地頭になるのですから」

力は箸を止めて、母に向き直った。

「分かっております。この力、できる限り地に足をつけて物事を考えたいと思っておりますれば。母上もそう口やかましく言わずとも……」

「馬鹿者!」

母はぴしゃりと言い、力をねめつけた。

「今、土地の所有権でただでさえ隣国と揉めておるのですから、しっかりしてもらわねば困ります」

力は、またその話かといった体である。

「隣国の地頭の明記殿でしたっけ。話を聞く限り、あまりいい人物とは思えませんね」

持ち上げていた箸を振り振りしながら、力は言う。

「ええ、明記殿の性悪は他国にまで及ぶ話。そんな方とおつきあいせねばならぬとは」

母はくたっと首を横にする。

「隣国の性悪領主に負けないように、我が領民の結束をかためておかねばなりますまいね」

力はそう言って母を励ました。

「ちょうどいいから、午後から我が領土内を見回って参ります。民との交流も、次期地頭として大事なつとめですから」

「それはいい心がけです」

母は疲れた顔から満面の笑みへと表情を変えた。


力の母が治める土地は、東西に長い国であった。

東の端には海があり、西の端には山が広がっている。

その西の端の山のふもとに、今、ひとりの男が流れ着き住み着いていた。

男の名を、銘信という。

歳の頃は五十いくらか、もう頭には白いものが見え、体の動きもぎこちない。

そんな銘信は己の小屋の前の畑で、ちょうど汗を流していた。

さてそこへ、声をかける者がいた。

「そこのお兄様、占いなぞはいかがかえ」

銘信は畑の中から顔をのぞかせ声のする方を見た。

するとそこには、銘信の背の半分しかないであろうか、腰の曲がった老婆が立っているのであった。

「おお、こんな辺鄙な場所までよう来なさった。どうぞ、中へお入りください」

銘信はそう言って、老婆を小屋の中へと導き、白湯をすすめた。

老婆は出された白湯を一気に飲み干した。

余程、喉が渇いていたのか、銘信はその様子をつぶさに見つめていた。

「いやはや、このような婆を手厚くもてなしてくれて、あなたはお優しい人じゃ」

老婆はくしゃくしゃの笑みを銘信に向けた。

「いえいえ、尋ねてくる人もおらぬ独り身故、来客は嬉しく思います」

銘信はそう返した。

老婆は続ける。

「私は占いをいたします。お礼にただで占ってあげましょう」

これに銘信は興味をそそられたため、老婆の申し出を受け入れることにした。

老婆は囲炉裏に火を起こすと、それらの中に何を見たのか、やがてかっと目を見開き、もごもごと口の中で何かを唱えた。

そして、銘信にこう告げたのであった。

「あなたには、子供の悪霊がついているね。それが舞を封じた理由かな」

それを聞き、銘信は背中に悪寒が走るのを感じた。

それは、この地に流れ着いてから、誰にも言っていない銘信の過去であった。

銘信はかつて、見事な舞手であった。

一時期、鎌倉のある貴人の家でやっかいになっていたが、そこでその家の娘と恋仲になった。

しかしその娘をある武人が手籠めにしてしまい、娘は身ごもったのだった。

その事実を知った銘信は錯乱し、娘をお腹の赤子と共に手にかけたのだった。

銘信は逃げるようにその地を去った。

以来、銘信は自分の舞を封印し、誰の前でも舞ってはいなかった。

私に憑いているのは、その赤子の霊か――。

銘信はのけぞった。

「お婆、ありがとう。だがもう帰ってくれ」

銘信はそう強引に老婆を追いやった。

それから銘信は、くれなずむ夕日をじっと見つめながら、小屋の前で何時も立ち尽くしていた。

辺りに彼の他に人影はなく、西の山を照らす日の光が、刻一刻と輝きを失っていくのであった。

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