【番外編】後編 魔女の呪いは永遠に
「フローラ!」
再び奏でられる音色が雰囲気を変え、みんなが笑顔を作ってその場を楽しみ始めたころ、ひとりの人物が光沢をまき散らしながらこちらに近づいてくるのが目に入った。
洗練された白い衣装でしっかり身を固め、颯爽と歩いてくる姿は別世界の住人にしか見えない。
「フローラ!」
いや、別世界の人間である。
キラキラと揺れる銀色の髪までも美しい。
「フローラ、フローラ、フローラ〜」
ぐっと抱きしめられてようやくここで現実に引き戻される。
「朝のご挨拶がまだだったので、そろそろ力が抜けてしまいそうでした」
「い、いけませんよ……そのお姿で、これ以上近づくのは絶対にダメですから……」
恐れ多くも末王子様のお出ましに周りのみんなも勢いよく跪き、さきほどまで流れていた穏やかな空間は一気にかき消されてしまった。
「ああ、みなさん、楽にしてください。ここでは彼女に惚れたひとりの男ですから」
息を飲むまわりのことなんてお構い無しに、彼は誰もが見惚れるほどのまばゆい笑顔を作った。確信犯である。
「ら、楽にできるわけないでしょう! あなたはむしろ、もっと立場をお考えください!」
一生懸命逃れようとするも彼は一向に力を緩める様子を見せず、どんどん自分のペースに持ち込む気なのだろう。
「この格好のまま来たのは謝ります。でも、一刻も早くあなたに会いたかった」
「な、何を言っているんですかっ!」
こんな……誰もが驚きつつもさりげなく注目しているこんな場所で。
それもそうだ。
一国の王子様が魔女であるわたしに直々に声をかけているのだから。
しかも、呪いをかけた張本人に、だ。
不本意にも注目の的である。
「おはようの口づけを……」
「し、しませんよっ!」
なんてことを言ってくれるのだろうか。
「ここではしません!」
「じゃあ、別の場所ででも……」
「い、今じゃありませんっ!」
おばあちゃんなんて「おやおや!」と白々しく両手で口元を覆った。
「どうして? してくださらないと俺の朝が始まりません」
「はっ、始まっているでしょう! どう見ても……」
堂々たる姿でみんなの前に立ち、満面の笑顔で笑いかけていたではないか。
「そ、そもそも、いち魔女に対して敬語を使用するのもおやめくださいと、いつもあれだけ……」
「それでは、あなたに王子として命令することになる」
「えっ……あっ! なっ!」
いきなり表情を引き締められたものだから、思わず見入ってしまって後悔した。
そんなわたしの様子に何を思ったのか、彼はむっとした表情を見せる。
「末王子に対してのあなたはいつもさらに可愛い顔を見せるから面白くありません」
「す、末王子様もあなたじゃないですかっ!」
「俺は永遠にフローラのたったひとりの騎士です」
「ち、違います! 王子様ですから!」
冷静沈着で、物事に深く関わることもなければうわべだけの笑顔でうまくかわし切る。
そう言われていたらしいアベンシャールの末王子の姿はどこにもない。
「フローラ……」
すがるような目を見せられてしまうと弱い。
絶対わかってやっているのに顔がいいというのは厄介なことで、逆らえなくなる。
「お、王子様……」
「いつものように呼んでください」
「こ、ここではダメです」
『大好き』なのだと……本当のことではあるが、人前で連呼するわけには行かない。
「あなた様との立場の違いを目の当たりにして、すねてしまったんだよ。許してやっておくれよ」
「おっ、おばあちゃん!」
突然口を挟んできたと思ったらまた余計なことを言ってくれちゃうものだから、彼の顔が目に見えて明るくなったのに気づくのに遅れた。
「フローラ!」
「き、きゃっ! ちょっと、ちょっとぉ!」
「フローラ、フローラ、大好きです!」
「や、やめてください、人前です!」
「これくらいしないと、見せつけられないでしょう」
「……え? なんて?」
勢いよく、抱きかかえられてそのまま身を寄せられてしまったら思考回路も正常に動かなくなりそうだ。
「いえ、あなたにそんなつらい思いをさせていたなんて……すみません」
「ち、近い! 近いです!」
「魔女様、フローラをつれてこのまま抜けても大丈夫でしょうか?」
わたしの意見などさておき、完璧なしぐさでおばあちゃんに声を掛ける彼は騎士というより絶対に絶対に間違いなく王子様である。
「ほどほどにしておくれよ。愛想を尽かされそうになるたびに大切な孫娘がまたあなた様に呪いをかけてるなんて言われたら、流石のあたしも悲しいからね」
「かけてもらえるのなら永遠にかけ続けて欲しいですよ。この夢から覚めないように」
「ちょっ、ちょっと!」
「本当ですよ。フローラ、あなたが望むことはこの身を持って、何でもいたしますから」
「………」
降参である。
この状態の彼に何を言っても勝てた試しがない。そんなのは彼との二年間の暮らしの中で痛いほどよく学んだことだった。
もちろん王妃様のめでたい宴の席で、わたしだって心が弾んでないわけではない。
美しい音楽を大切な人に寄り添いながら耳にできるなんて、これほどの幸せはないだろう。
少なくとも、わたしには得られるはずのなかった幸せだ。
「この立場であなたに選択肢を与えないのは大変申し訳ないと思っていますが……」
彼がひどく不服そうな顔をした。
「こうでもしないと誰も俺の気持ちを信じてくれないから」
「えっ?」
「あなたへの気持ちを呪いのせいにされたら、たまったものじゃない」
彼はぽつりと呟く。仕方のない人だ。
「こっちを見てください」
「……はい」
頬に触れると、彼は素直にこちらを向く。
目が合っただけでくらっとさせられる恐ろしいほどに整った顔は、今は少し弱々しく見えた。
(もうっ)
ぐっと目をつむり、彼の唇に自分のものを押し当てる。
こんなことばかりしていて、またおばあちゃんに叱られるのだと思ったけど、失敗してしまったようで慌てて目を開けると驚いた表情の彼と目が合った。
「あっ……」
ぱちぱちとまばたきをされてしまって、顔から火が噴き出すかと思った。
さっきまで散々こちらを翻弄していたくせに、こちらから近寄るとすぐこれだ。本当にずるい。
「早く連れて行ってくださいよっ。呪いをかけさせてくれるのでしょう」
「えっ、あっ! はい!」
人はまたこうして、彼はわたしの呪いにかかったのだと言うだろう。
彼は二度と逃れることはできない。
何度も何度も魔女のループにはまっていく。
可哀想な可哀想な王子様。
「さっきのは唇ではなかったですよ。はしっこでした」
「わ、わかってますよ!」
まわりが本当はなんて言っているかなんて知らない。
王子にとらわれた魔女と言われていると聞いたのは、あとからのことだ。
「やり直しですよ、フローラ」
「しっ、失敗したんですから、何度も言わないでくださいっ!」
「もっと右側に……お願いします」
「……ううっ」
精一杯彼に近づいて真っ赤になって動けなくなったわたしに、彼は優しく微笑みかける。
「改めまして」
それでも、きっとこの関係は変わらないのだ。
「おはようございます、フローラ」
この明るい朝がやってくる限り。
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