第17話 魔女の初恋
「ひとつお聞きしますけど」
「えっ、ええ……」
闇よりも低い声でジャドールが言葉を発し、ドキッとする。
「先ほど言っていた、笑いかけてほしいだの、名前で呼んでほしいだの言っていたのは、王子を想ってのお言葉ですか?」
「そ、そんなことまで聞かれていたんですかっ?」
たしかに、夢の中で何度も何度もその言葉が連呼されていたように思う。
恥ずかしさこの上なく、頬を両手で覆う。
穴があったら入りたいとは、このことだ。
「好きになってほしい……というのも?」
「こ、子どもの頃の話です。み、身の程知らずですよね。相手は王子様だというのに……」
「あなたを逃しただけでなく、こんなにも悲しませるなんて、バカな王子ですね」
頬を伝う涙をぬぐってくれながら、彼は珍しく表情を曇らせた。
「ば、バカって……か、仮にも彼は……」
「フローラを傷つける人間は誰であっても許せません」
「……ぶ、ぶれないわね」
思わずぷっと吹き出してしまった。
「残念な方なんですよ。上の王子たちに劣等感を感じるあまり、あなたを前にして自信が持てず、好かれようとして宝物を渡そうとすれば、あなたはもっと泣いてしまって兄王子に怒られた」
「えっ……」
宝物?
「あなたは知らないでしょうけど、有名なお話でしたよ」
「ええ?」
「あなたが王宮を離れてから様々な人間がそのことを口にしていた」
「そ、そんな……まさか……た、宝物って、む、虫のことですか?」
渡されて、泣いてしまったものはそのくらいしか思い出せない。
みたいですね、と苦笑し、ジャドールは続ける。
「たとえ宝物だろうと、フローラを泣かせるものならば……そんなもの、すべて捨ててしまえばいいと思うんですけどね」
その笑顔は黒かった。
「な、なんてことを」
「あなたを苦しめたくせに、あなたの中でいつまでも存在し、未だにその記憶に残っていることさえも許しがたい」
王子様とのことは、実はあんまり覚えていない。
どんなことを言われて、どう対応されたか。
つらい記憶しか残っていなかったけど、ほとんどは記憶の中の執着からくるものだった。
「王子様の……その、彼の呪いは解けたんですか?」
耳が痛い話だったけど、聞いておかないといけない。
「さぁ、俺がこちらに来てから彼の話は耳に入って来ないですね」
どうだか、なんて。
なんでも知っているくせに。
「申し訳ないとは思っていますし、一生をかけて償えることがあるのならしたいと思っています」
本音だ。
「あの方が望むのならなんでもします」
本音だった。
あの頃のわたしが末王子様に好意を抱いていたのも、叶うものなら彼に償うチャンスが欲しいと思う気持ちも。
「……なんでも、ねぇ」
ジャドールがはぁ、と息を吐く。
「あ、あの頃のわたしは、あの方のお側にいたいと思っていました。し、しかし、今はそうではありません」
認めたくないけど、今は他にわたしの脳内を占領してくる人がいる。
絶対に口にはできないけど、その想いを封印することが精一杯だったから。
「フローラ……」
「はい」
「口づけがしたいです」
「む、無理です!」
何を言い出すのかと思えば、この人は。
どんなタイミングだ。
「無理じゃないです」
「む、無理、絶対に無理です」
今のこの状況でも心臓が大合唱を繰り返しているというのに、わたしをどうしたいというのか。
「あなたが頬を染めて、他の男の話をするのをおとなしく聞いていただけ褒めてください」
「そ、そんな……待って……」
「待てません。そばにいたかった男がいたことにもどうにかなりそうです」
「こ、子どもの頃のお話ですっっ!」
過剰に反応して飛び上がってしまい、ひっくり返りそうになる。
橋のふちに背をおいたわたしは、もう逃すまいと腕を回してくる彼に、またぎゃーっとなってしまっていた。
いつもなら、わたしが困惑していると彼は引いてくれる。
なんだかんだでわたしの気持ちを尊重してくれていたのだ。
だけど、今日は違う。
「ちょっと目を閉じていてくれたら終わります」
などと言ってきれいなご尊顔を近づけてくるのだ。
「お、終わりませんっ!」
そういうことじゃない!
「俺も終わらなくてもかまいません」
「そ、そんなの、わたしがかまいますっ!」
ああ言えばこう言う彼とのふわふわとしたやりとりは嫌いじゃない。
ドキドキしてしまって、結局何かあるわけでもないけれどもにやけてしまいそうなのをこらえるのが必死だった。
「そんなに嫌ですか?」
その顔に弱いんだ。
絶対に、わざとやっている。
「い、嫌ではありませんけど……」
嫌ではありませんけど、でも、
「あなたが好きです。フローラ……」
は、反則よ。
そんなことを言われたら、もう何も考えられないじゃない。
「ずっとおそばにいますから」
ゆっくりと押し当てられた唇は温かかった。
良い香りがして、くらりとする。
角度を変えて再び伝えられた熱に、何度目かになるぎゃーーー!が絶頂を迎え、今にも気を失ってしまいそうになる直前に、言葉通り彼はそっと身を離し、「大好きです」とわたしに告げたのだった。
おかげでその日は眠れなくて、幾度となく同じ光景を思い出してはまた奇声を発しそうになっていた。
ようやくうつらうつらしてきたころに、鳥の鳴き声が聞こえてきて、朝になったのを悟った。
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