第12話 魔女の口づけは敬意を込めて

「ありがとうございました。なんとお礼を申したらいいか……」


 ことが収まったであろうころ、街の長というおじいさんが現れてわたしたちに頭をさげた。


 ひとりで立てると言っているのに一切譲ることなくわたしを抱きかかえるジャドールは何度も何度も「ここにいる俺の恋人が危機を救ってくれました」などとようやくいつもの設定が使えることが嬉しいのか、繰り返すようにそう告げ続けていた。


 たくましい胸元に引き寄せられるたびどぎまぎして、それどころではなかったわたしはフードをしっかりかぶり、前からこの茹でタコのような顔が見えないように努力をしていた。


 そのため、集まってくる人たちにはジャドールが淡々と対応をしてくれた。


 それはもう完璧なほどに。


 まわりにいたすべての女性がぽっと頬を染め、その話を聞き入ってしまうほどだった。


「天然たらしめ」


 川辺につれて行ってもらい、頬についた泥をぬぐってもらいながら思わず心の声が漏れたことにぎょっとする。


「嫉妬ですか?」


「そ、そうじゃないです」


 先ほど見せた動揺は嘘のように毅然とした態度に戻ったジャドールは壊れ物を触るように優しくタオルをわたしの頬に当てる。


「しみませんか?」


「しみませんよ。わたしのポーションを飲んだあとです」


 傷だって徐々に収まっていくはずだ。


「生きた心地がしませんでした。あんな無茶はもうしないと約束してください」


 タオルを水に浸し、何度もわたしの顔に添えながら、真剣な榛色の瞳が訴えかけてくる。


「あなたは一体、何をしたんですか……あれは、一体……」


 ツルが勢いよく伸びだことの話だろう。


 わたしは植物との相性はいい。


 直接触れなくても、彼らの声が聞こえる……気がすることが何度かあった。


 もちろん、ジャドールにそこまで話したことはなかった。


 それに、今回もほんの少しその力に頼ろうとしたのは事実で、こんなこと彼に言ったら間違いなく怒られるのでこのタイミングでも言わないことを決めていた。


「あなたに何かあったら、俺は生きていけません」


「え? あっ、言われてみたらそうですよね」


「え?」


「わたしに何かあってもジャドールに処罰がいかないように王宮に嘆願書を出します」


「……そういうことではありません」


「わたし、命令が下って、最後のときを迎えるのならあなたの剣ですべてを終えたいと思っています。それなら、なにも後悔はないし、そのくらいの覚悟はありますから、わたしになにかあってもあなたにも気負わないでほしいんです」


「そんなことをしたら、王宮ともども血の海に染め、自ら命を絶ちます」


「ちょっ、なんて不謹慎で物騒なことを言うんですか!」


 だんだん汚れに染まりだしたタオルでローブをぬぐってくれる彼の瞳に一瞬殺気が見えた気がして飛び上がる。


「わ、わたしにだって、心配させてください! 剣一本であの荒れ狂った牛に立ち向かおうとするなんて……ジャドールの身になにかあったらと思っただけでわたしだって生きた心地がしませんでした。あ、あなたこそ、自分の命をもう少し大切にしてください」


 そりゃ、彼以外にあの場を収められる人間がいなかったのも確かだ。


 それでも彼が負傷する姿が想像できてしまったわたしは、ああやってとっさの判断で自分が盾になろうとするのはやめてほしかった。


「剣には毒が仕込んであります」


「え? そうなんですか?」


「人だろうが生き物だろうが即効性があります。まぁ、触れないと意味がないので一瞬のタイミングを逃すことさえ命取りだったので一か八かの賭けでしたが、フローラが後ろにいるのに、そんな失敗は選択肢にありません」


「……」


 失敗は選択肢にないだなんて、彼にしか言えないことばだ。


 断言して言い切るその強さはさすがだと思うけど、続く言葉も相変わらずで言葉を失う。


 屈んで一生懸命わたしの衣服を拭いてくれる彼のさらさらとした銀髪にそっと触れる。


「フローラ?」


 どうしたんです?と顔を上げかけた彼の額に、迷うことなく唇を押し当てる。


 というよりも、歯で攻撃をしたような図になってしまったかもしれないけど、ぽかんとする彼に、「ありがとうございます」と小さく言うのが精一杯だった。


 いつもそばにいてくれて。助けてくれて。


 たった一言には収まらない気持ちがたくさん込められていた。


 うまく言葉にできないのがもどかしい。


 なにか、彼が喜んでくれることがしたかったのだけど……赤くなった彼のおでこを見てぎょっとした。


「あ、あの……突然ごめんなさい……えっと……」


 それはあまりに自分勝手な思い込みだとはっと気づき、慌てて触れてしまった先を拭うようにそっとローブの袖口を彼の額に当てると、呆然とした様子のジャドールに腕をつかまれる。


「あ、あとは帰ってから洗濯をしますので、も、もう大丈夫です」


 照れくさいあまり、振り払って立ち上がろうとするわたしに、ジャドールの口づけ攻撃が襲ってきたのは言うまでもない。


 街の人たちが手伝ってくれて荷物を運び終えたときも家に着くまでも、叫びに叫びきってすっかり疲れ切ったわたしはジャドールの腕の中でぐったりしていた。

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