第78話 マネージャーの采配

「そうだな……なんというか、こうして話を聞いてると……要するに狩谷くんは、砂川くんに依存してたっていうところだろうな……」

「依存、ですか……?」

 マネージャーが口にした意外な言葉。聞き返す拓実に、マネージャーは眉間に皺を寄せながら頷いた。


「ほら、少し前と今とじゃ、仕事に対する世間の姿勢や考え方が違うだろう。昔はそれこそ狩谷くんみたいに、仕事を人生の最優先にするのが当たり前だったんだよ。だからこそ俺だって、昨今の働き方改革には戸惑った。けど、時代の流れに合わせて意識を変えていく事は避けて通れない。そうしないと、下の世代とは働けなくなってくるから……」


 だが、狩谷はその切り替えができなかった。


 彼は上の世代から、仕事への向き合い方を厳しく叩きこまれてきたのだ。狩谷が受けた抑圧は、拓実が受けていた以上のものだった。私生活を謳歌するなんて許されず、狩谷は只管仕事に打ち込む事しかできなかったに違いない。

 そんな生活を当然だと受け入れてきただけに、彼は時代に、若者達の考え方に歩み寄る事ができなかった。他の生き方が許容できず、自らのやり方に固執した。その厳しさについていけず、部下は次々と脱落していく……


 だがそんな中、拓実だけがついてきた。

 自分のやり方を受け入れて、文句を言う事もなく。

「だからこそ、狩谷くんは砂川くんを手放すのが怖かったんだと思う。それで砂川くんの自信を無くさせるような事を言って、自分を崇拝させるよう仕向けて……でも自分が不在の間に、砂川くんが意外にもしっかりと業績を上げていた。その上で、どうやら趣味にも手を出していたらしいと知って……焦ったんだろうなぁ。砂川くんが離れていってしまうんじゃないかと」

「…………」


 その結果、今回の横暴へと繋がったという事か。

 そう思うと、拓実は少しばかり――狩谷に対する同情が湧いてきた。絶対的な上司として捉えていた時は気付く事ができなかったが、きっと彼は不器用な人なのだ。

 今、時代は急激に変化している。コンプライアンスだハラスメントだと、上の世代の人々がやり辛さを訴える事も多い。狩谷もこの流れに柔軟に対応できず、溺れかけていたのだろう。


 そんな中、拓実という忠実な部下だけが彼のプライドを保たせていた。その拓実を失うと思ったら、狩谷は不安に襲われたのだ。いよいよ自分の信じていたもの、築いてきたものが崩壊してしまうと、足元が抜けるような心地がしたに違いない。その不安こそが、彼を異常な行動へと駆り立てたのだ。


「でもそれって……俺が拒めなかったのもいけなかったんじゃ……」

 拓実はぽつりとそう呟く。自分の振る舞いも、狩谷の依存を助長させてきたんじゃないかと。

「俺がもっと早い内に、狩谷さんとの関係を健全なものにできてたら……ただ言う事を聞くんじゃなくて、狩谷さんが今の時代に合わせられるよう、力添えできてたら……」

「いや、キミの立場からそれを促すのは難しいよ。狩谷くんは、部下から何かを諭されるのを嫌がったはずだからね」


 マネージャーはきっぱりとそう告げた。

「それに今回の事はもう、ただ諭したりするだけじゃ済まないよ。SNSに個人情報を晒すなんて、許される事じゃない。本人からの聴取も必要だけど、とりあえず狩谷くんには早々に、二班の班長から外れてもらう」

「えっ――」


 その厳しい言葉に拓実は思わず目を見開く。まさかそんな大事になるとは思わなかったのだ。想定外の展開に拓実が唖然としていると、マネージャーが怪訝そうな顔をする。

「どうした? そんなに意外かな?」

「あ、いえ、あの……」

 拓実は混乱しつつ、なんとか言葉を紡ぎ出す。

「なんというか……俺は、自分こそクビになるものと思ってたので……会社にとっては、俺より狩谷さんが居た方が有益だろうし、その狩谷さんを俺は完全に怒らせてしまったし、今後うまくやっていけるとも思えないし……」


 だから自分が切られるのが道理かと思っていた。例え狩谷が常軌を逸した行動を取ったとしても、それについては厳重注意くらいで済むものと……これに小森が首を振る。


「僕らにとっては、砂川さんがいてくれた方が有益です。砂川さんの下で働くのはすごくやりやすかったので……。確かに狩谷さんと砂川さんの営業成績を見れば狩谷さんの方が上ですけど、でも砂川さんが上司であれば、僕らも積極的に協力しようって気になれる。そうなれば、狩谷さんがトップにいるより利益だって増やせます」


 それにマネージャーも同意を示した。

「うん、砂川くんが来るまでに色々話を聞いた結果、確かに狩谷くんがトップに居るよりも砂川くん中心で回した方が色々と良さそうなんだ。それに何より、意にそぐわない事があったからって、部下の本名を晒し上げるような人間に責任ある立場は任せられない。そもそも今回の事は砂川くんに非があったわけでもない。早退という当然の権利を使っただけだ。それなのに激昂して暴挙に出るような上司じゃ、皆も安心して働けないだろう」

「マジでそれ!」


 沢田が勢い良く相槌を打つと後輩達もそれに続き、そして、なんとも言えない安堵を見せた。いつも飄々と我が道を行くような振る舞いをしていた後輩達だが、やはり狩谷と仕事をするのに強いストレスを感じていたらしい。狩谷が異動になると聞いて、一気に空気が弛緩する。


 そして拓実も――こんな話にまで発展し、狩谷が気の毒にも思えたが――皆と同様、安堵していた。ダンスジャンクの間は考えないようにしていたが、きっと狩谷は自分をクビにするだろうと、転職活動はうまくいくのかと、不安は尽きなかったのだ。


 だが、この先も今の仕事を続けさせてもらえるらしい。

 それも、今までのような抑圧のない状態で。

 そう考えると、拓実の心は驚く程に軽くなった。


 気付かない振りをしていたが、自分はもうずっと、ずっとずっと長い事、狩谷との付き合いにかなりの無理をしていたのだ――……

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