エピローグ
第75話 バトルを終えて
「あー駄目だ……本当にもう駄目だ……」
拓実はゾンビのように身体を引き摺り、防音の重たい扉をなんとか肩で押し開けた。意識を保つ為の燃料が、すっかりカラカラになっている。そりゃそうだ、昨夜は一睡もしていない。若い時はオールでイベントに出たり練習したりしていたものだが、三十代での徹夜がこんなにも堪えるとは。
家まで辿り着ける気がまるでせず、仮眠目的で空きスタジオに雪崩れ込む。フロアは堅く決して寝心地は良くないが、それでもいいと倒れ込む。
だが身体がどれだけ疲れていても、心はずっと浮き立っていた。瞼にはずっと昨夜の光景が焼き付いている。
自分のダンスに会場が一体となって沸いていた、あの光景。
思い出す度、全身に多幸感が満ちていく――……
自らのターンを終えた時、拓実は放心状態だった。興奮が過ぎていたし、身体の限界を超越して踊っていた為に酸欠気味だったのだ。うまく立っていられなくなった拓実は観客によりステージへ押し上げられ――それを引き上げたのは、春親と清史だ。彼らは汗だくの拓実を支え、興奮気味に捲し立てた。
「あーもう……心配させやがってとか、膝の事考えてねぇだろとか色々言いたい事あんだけど……今は最高としか言えねぇわ! ガチであんた最高過ぎだろ!」
「マジでマジでマジでやばい……! 見て俺めっちゃ泣いてんだけど!」
そんな言葉も、水中にいるかのようにくぐもってしか聞こえなかったが、それでも彼らの期待には応えられたのだとわかった。本当に迷惑を掛けてしまったが、なんとかそこだけはやり遂げたのだ。そう思うと拓実は大いにホッとした。いくら観客が楽しんでくれても、二人が満足してくれなかったら意味がないのだ。
そして肝心のジャッジだが、Snatchは――……優勝、は、できなかった。
だが急拵えの特別賞というものをもらう事ができた。優勝でもおかしくない実力だったが、さすがにフロアで踊るとなるとイレギュラーが過ぎるという事での采配だという事だ。
この結果を受け、拓実は春親と清史に只管頭を下げ続けた。自分のせいで優勝を逃したのだ、謝っても仕方ないとわかりつつそうせずには居られなくて。
だが彼らは、特別賞で十分だと笑ってくれた。それよりも拓実と三人のチームでステージに立てたのが嬉しいと。忙しかったろうに来てくれてありがとう、と。
これに拓実の涙腺は敢え無く崩壊してしまった。本当に自分は、なんとチームメイトに恵まれた事だろう。きっと一生、彼らには頭が上がらない……これから長い時間を掛けて、二人に報いていかなければ。
そして決勝で戦ったチームの面々も、謝罪に行った拓実にほとんど謝らせてはくれなかった。それよりもあの絶対王者と共に踊れたのが嬉しいと言ってくれた。さすがにスタッフからはお叱りを受けたが、それでもダンスは褒めてもらえた。一回戦から出て欲しかった、もっとあなたのバトルが観たかったとすら言ってもらえた。
人々の優しさに、拓実は情けなくも涙が止まらなくなってしまった。その分だけ、狩谷の横暴を振り切れず無駄にした時間が悔やまれる。自分が真摯に向き合うべきは、こういう優しい人々だったろうに。
それからSnatchと決勝の相手チームは打ち解けて、そのまま打ち上げに行こうという話になったのだが――……拓実がオールをした理由は、その会に参加した為ではなかった。
イベント終了後にスマホを見ると、呼び出しのメッセージが入っていたのだ。そのメッセージの送り主は、沢田である。
『砂川さん、用事ある中すいません。今、二班の面子で飲んでるんですけど、時間取れるようだったら来て欲しいス。俺らもう、狩谷さんに限界きちゃって』
これに拓実は、バトルの高揚も吹き飛ぶ程にギョッとした。元々彼らは狩谷を良く思っていなかったが、これはさすがに急展開だ。一体何故……と考えて、思い至る。もしかして、いや、もしかしなくても、自分が狩谷の元を去った後に、何か起きた?
そう思うと、とても放ってはおけなかった。打ち上げでバトルの高揚を語りたい気持ちは山々だったが、それでも自分が原因で職場に問題が起きたなら、そちらをなんとかしなければ。
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