第74話 この瞬間に命尽きても

 相手のダンサーは最後まで完璧に踊り切り、会場は大きな歓声に包まれた。そして同時、ついにSnatchの三人目は現れなかったと、落胆の空気も充満する。なんとも白ける幕引きじゃないかと――だがそれを打ち破るように、春親がステージの際まで飛び出した。


「そこ! そこ空けて!」


 爆音の間奏の流れる中、彼は懸命に声を張り上げ観客へと呼び掛ける。清史はスタッフに声を掛け、スポットを拓実へと当てさせる。拓実も「すいません、すいません」と声を上げ、周囲の観客にスペースを空けてもらう。間奏が終わる前に、なんとか踊れるだけの広さを確保しようと、必死に頭を下げて回る。すると周りも事情を察し、「下がれ下がれ」の声と共に場所を空け、後ろの者にも見えるようにと座り出すが。


 しかし誰もが拓実を見ると「えっ」という顔をした。

「え、これが三人目……?」

「ここまで引っ張っておいて、このオッサン⁉」

「Snatch、勝負捨ててんのか⁉」


 そんな声が聞こえてくる。懐疑の視線が突き刺さる。無理もない、ただでさえ拓実は他のダンサー達より年嵩だというのに、加えて着替えの時間がなかった為、くたびれたスーツ姿のままなのだ。おまけに走り回った為に既に汗だく、髪だってボロボロ。余りにも冴えない。この見た目では実力を疑われても仕方がない。


 だがそんな会場の空気が、むしろ拓実には好都合だった。ああいいさ。これでいい。大いに見くびってくれて構わない。だってその方が、より大きな爆発力で、フロアを自分色に染められる……!


 そうしてなんとか踊れるスペースを確保した時、曲が二番に突入した。その瞬間、拓実は高く跳躍する。まずはこの会場中に、自分もSnatchの戦力だと知らしめる為……というよりも、細胞が疼いて仕方なかったというのが本当かもしれない。


 拓実は衝動に駆られるまま、フラッシュキックを披露した。それは伸身で行うバク宙なのだが、これでガラッと空気が変わった。「えっ」という数瞬の間の後で――驚き混じりの歓声が天井までをも震わせる。


――よし、掴んだ!


 拓実は内心でガッツポーズした。やはりアクロバットは求心力がある。猿渡とのバトル以来、練習を続けていたのだ。

 オーディエンスの好感触を確信すると、拓実はいよいよ曲に合わせて踊り出した。とにかくリズムが速いので、まずはタット――腕の関節の角度を様々に変えながらポーズを次々披露していくダンス――で合わせていく。無機質なボーカルの雰囲気にも、この機械的な動きがぴったりだ。


 が、少しすると曲の雰囲気がエモーショナルに変わるので、今度は一気に全身を使った振りへ移行する。生意気で力強い歌詞に合わせ、少しばかり荒々しく。だがその女性ボーカルはたまに可愛らしい声も出すので、すかさずそこでは茶目っ気を見せ。合間に細かく挿し込まれるバラエティ豊かな効果音も取り零さず、それに合ったマイムやアクションを散りばめる。その度上がる歓声は、動きが音を適確に表現しているというわかりわすいバロメーターだ。


 踊りながら拓実は、ぐるり取り囲む観衆から熱気が押し寄せるのを感じていた。ともすれば頭から押し潰され飲み込まれてしまいそうな程の期待が、自分の身に寄せられている。Snatchの三人目は何を見せてくれるのか。こんなもんじゃないだろう、もっと寄越せ、もっともっと――そんな空気がひしひしと伝わってくる。

 そんなプレッシャーは時に演者を殺すものだが、今は全てが燃料となった。期待されているだけ、自分のギアがぐんぐん上がる。もっとすごい事をやってやろうという気になってくる。


 だってもうなんだろうか、この高揚感。曲の世界に溶け込んで、己の身体で表現して。それに好反応が返ってくれば、もっと沸かせたいという欲が際限なく溢れ出す。楽しくて楽しくて、脳内麻薬に溺れそうだ。


 ふと見れば、ステージ上からは身を乗り出すようにして、春親と清史が声援を送ってくれている。嗚呼、彼らの期待にも応えたい。恩だって返したい。そう思うと一層身体が熱くなる。


 そうしてサビに突入すると、いよいよ抑えが効かなくなった。吼えるように叩き付けられる高音のボーカルに、全身の細胞が突き動かされる。どれだけ速いビートだろうと関係ない、この音全てに食らい付こうと、スタミナの限りに身体を動かす。


 準備運動もしなかった。首の関節が一度おかしな音を立てた。ふくらはぎもつったような気がするし、そして肝心の膝は、正直最初のアクロバットの時点からずっとおかしい。そもそも狩谷の用事の為に走り回ったり階段を何往復もしてきたのだから、完全にオーバーワークだ。明日は――いや、暫くはまともに歩く事もできないだろう。


 踊る程に身体が壊れていく、が、そんなのもう知った事か。水を差されて堪るかと、もう全部ちぎれていいと、痛みを無視して動き続ける。その痛みだってアドレナリンで霞んでいた。途中からは呼吸すらも置いてけぼりだ。


 拓実は今、体力、筋力の限界を超えて踊っていた。そうして理解する。これが「一人オーケストラ」なのかもと。今自分は、音と完全にコネクトしている。

 だが、そうして夢中になる余り大味な動きになるんじゃマエストロにはなり得ない。どこまでも真摯に曲を聞き、丁寧に動きを合わせていく。角度もラインも美しく、キレと抜きの塩梅も何一つ手を抜かず。これまで磨いてきた技術の全て、余すところなく発揮する。


 限界を超えた手数を披露しつつも繊細な拓実の動きに、オーディエンスはこの上なく熱狂していた。まさかこんな冴えない見た目のアラサーが、ここまで苛烈に踊るなんて予想していなかったのだろう。その分だけ盛り上がりは爆発的だ。


 この反応の良さに、じゃぁ更に一発見せてやろうと、拓実は残った体力を振り絞ってウィンドミルを繰り出した。サビの最後、ボーカルの一音が消えるまでとぐるぐると回り続ける。とっくに体力は尽きているのに、息だって上がって苦しいのに、止まろうとは思えない。


 だってこんなにも楽しい事、他にはない。

 少なくとも拓実にはこれが至高だ。

 これ以上はない。これ以上の生きる意味なんて知らない、なくていい。


――嗚呼、俺にはやっぱり……


 拓実は一つの確信を胸に、ぐるぐると回り続けた。まだ終わるなと、まだまだこのまま、いっそ永遠に曲が終わらないでくれたらと願いながら。

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