第70話 アワジの助け船


 ◆◇◆


「っ、来た!」

 二階席にてスマホ画面を見詰め続けていた春親は、弾かれたように顔を上げた。

「タック、今用事終わったって! ダッシュで向かうって!」

「マジか! こっちもなんとか話付けた!」

 清史も耳元からスマホを降ろし、二人して大きく安堵の息を吐く。が、決勝の時間を考えると、拓実の到着はかなりギリギリ。下手をすると、少し危ういかもしれない。


「あー、タック間に合うかな……」

「正直五分五分ってトコだろうな。まぁ間に合うようにって保険掛けたわけだから、なんとかなると思いてぇけど……」


 拓実が決勝までに現れなければ、Snatchはその時点で失格となるだろう。もしかしたら、人数が揃わないまま出場した責任を問われ、例えアワジの目に留まっていても声を掛けてもらえないかも。そう考えると拓実の不在は大問題だが……しかしそれについて心配はしても、糾弾の言葉は出なかった。


 普通、大事な大会に遅刻なんてされれば烈火の如く怒るだろう。が、二人が怒る気にならないのは、やはり拓実という存在が二人にとって憧れであり、更にこの二カ月で、彼の人柄までもがとても好きになったから。そして拓実が如何に真摯にダンスに打ち込んできたかを見てきたからだ。


 上司不在で仕事は忙しかったろうに、全く練習の手を抜かない。清史指導の筋トレにも文句を言わずについてくるし、誰より長く鏡前に立ち自らの動きを研究する。それだけ彼はこのダンスジャンクに真剣に臨んでいたのだ。

 そんな拓実がこうまで遅くなったのならば、それ程までに大変な事態に見舞われていたはず。それを責めようという気には、到底なれない。……いや、その原因を作ったらしい上司とやらには、物凄く憤ってはいるのだが。


「つぅかよ……俺は最悪、失格については、もういいわ」

 清史はステージに目をやりながらそう呟く。

「ここで結果出してぇのは確かだけど、プロになる為の道筋は他にもあるしな。実力さえありゃどうとでもなる……けど、タックに決勝で踊ってほしいってのだけは、どうにも諦めつかねぇよ。タック自身の為にもそうだし……何より俺が見たいしよ」

「うん、俺も」

 春親は深く頷いた。


 このダンスジャンク、そもそもは自分達がプロになる為に挑んだものだが、今となっては、拓実が踊れるかどうかが物凄く重要になっていた。清史の言う通り、自分達がプロになる機会は他にいくらでもあるだろうが、拓実が大会で踊る機会はこれが最後になるだろうから。

 何しろダンスジャンクのように、一ターンのみ踊れば良いなんて大会は滅多にない。ダンスジャンクが今後も続く保証だってないのだ。


 それに、拓実は今日の大会でダンス自体を引退するつもりでいる。それを思い留まらせるには、何がなんでも決勝のステージで踊らせないと。熱狂の渦の中心となる事で、やっぱりダンスはやめられないと考え直してもらわなければ……

 そうして迎えた三回戦。Snatchの気迫はそれまでの二試合以上に漲っていた。

 きっと拓実は今、死に物狂いで会場へ向かっているはずだ。だとすれば自分達も応えねば。何がなんでも勝ち上がらねば。


 春親も清史も持てる力を全て発揮し、圧巻のバトルを披露した。動きの一つ一つをより大きくダイナミックに、しかし大味にはならないよう繊細に。キレを意識するところは筋力の限界まで、そして抜きについては一層色気を発揮して。そうしてSnatchは審査員満場一致でAブロックを制し、無事に決勝への切符を手に入れた。


 この結果に二人はひとまず安堵したが――案の定と言うべきか。此処でMCからの追及があった。

『ところでSnatch、ここまでずっと二人だけで踊ってるけど、次の決勝は三人で踊る事がルールだよ? 三人目、まだ一回も出てないけど、よっぽどの秘密兵器って事?』


 コミカルな言い方にしてはいるが、言外に、三人目が本当にいるのかという疑いが伝わってくる。そうしてマイクを向けられた清史は、堂々と頷いた。

「まぁ、そうっスね。秘密兵器なのは確かっスけど……実は急用が入って、まだ会場に着いてません」


 この告白に、会場全体がどよめいた。観客もスタッフも、そして審査員も、互いに顔を見合わせている。俄かに漂う不穏な空気――だが清史は冷静に言葉を続けた。

「本当は今、会場にいない時点で失格でもおかしくないと思います。でも俺ら、なんとしても決勝に行きたいんです。三人目のメンバーに、このステージで踊らせてやりたい。だから、勝手を言ってるのは承知ですけど、ギリギリまで猶予もらえないでしょうか」

『いや、猶予って言われてもねぇ……』

 MCは左腕の時計に視線を落とした。


『会場を抑えてる時間が限られてるし……ただでさえ進行もちょっと押してるし』

「勿論、試合を遅らせて欲しいとかは言いません。予定通りにバトルは始めてもらえればと思うんスけど、ただ三人目については、決勝三ラウンド目までに到着したらセーフって事にしてもらえないですか。ギリギリまで待つのだけ許してほしいんです」

「俺ら、どうしてもタックに踊らせてやりたいんです、お願いします!」


 春親は清史と共に、会場に向けて頭を下げた。騒めきが一層大きくなる。拍手や声援も聞こえては来るが、しかしルール的にどうなんだという否定的な気配もある。誰もが判断を迷っている。

 と、そんな混沌とした空気を打ち破ったのは、審査員席からの声だった。


『うん、別にいいんじゃない?』


 なんとも軽やかなその声に、一斉に視線が集まる。声の主は――なんと他でもないアワジであった。予想外の援軍に春親も清史も唖然とするが、それ以上に驚いた様子のMCが泡を食ったような声を出す。

『や、いいんじゃないってンな簡単に……! それでもし間に合わなかったら』

『でもこの時点で彼らを失格にして、決勝が不戦勝っていうのが一番つまらないじゃない。それに皆、もうすっかり彼らのファンでしょ? 彼らのバトル、もう一回見たくない?』


 そう投げ掛けられると、この状況をどう受け止めていいのかという雰囲気だった会場から、一斉に賛同の声が上がった。難しい事はわからないが、しかしSnatch二人のダンスをもう一度見たいかと問われたら満場一致でイエスなのだ。

『ね。これだけ望まれてるのに踊らせないんじゃ白けちゃうよ。それにもし三人目が間に合わなくて失格が決定しても、彼らは三ラウンド目も全力で踊ってくれるだろうし』

「っ、はい!」

 それまで呆けていた春親と清史だが、アワジからの問いに力強く頷いた。

 しかし、なかなか驚きが抜けない。まさかこんなにも強い追い風が吹くなんて。


 三人目の到着が間に合わないかもしれないという事は、事前に大会側へ報告しておく必要があった。それを敢えてステージ上で実行したのは、ここならば観客の後押しを得られるだろうという目論見があったからだ。

 これまでのバトルで、Snatchはかなりの評価を得たという自負がある。二人がどうしても三人目を待たせて欲しいと頭を下げ、それに観客が賛同すれば、大会側も悪いようにはできないだろうと踏んだのだ。


 だがまさか、アワジが味方についてくれるとは思わなかった。むしろ彼には、主催とする大会でこんな事態があった事、厳しく咎められるかとも思っていたのだ。が、こちらの真剣さを見極めて、チャンスを与えてくれるとは。これから一生、足を向けては眠れない。


 お陰でSnatchには正式に、三人目不在のままでの決勝を迎える許可が下りた。だが勿論、厳しい言葉もいただいた。本来は決勝開始時に三人揃っていなければいけないが、そのルールを曲げるのだから、それなりにジャッジが厳しくなるのは覚悟しろと。


 しかしそんな事は少しも痛いと思わなかった。多少不利になろうとも、ギリギリまで拓実を待てるならばそれで良い。

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