第68話 選びたい人生は

「あの……」

 拓実は少し躊躇いながらも口を開いた。これを問うのは余りにも失礼かも……だが、聞かずにいられない。このままにはしておけない。

「もしかして狩谷さん……ダンスをしてた事に灸を据える為に、俺を呼び出したんですか? 大会に行けないようにする為に……?」

 そう言葉にしながらも、何処かでは「いくらなんでも」と思っていた。いくらなんでも、その為に予定を邪魔するなんて横暴過ぎる。やるわけない。狩谷は厳しいが、懐の深い人だ。きっと次に返る言葉は「ンなわけあるか」という否定のはず――だが、狩谷は大きく息を吐くと。


「あのなぁ。お前、自分の事客観的に見えてるか?」

 呆れ果てたようにそう言った。


「お前が参加しようとしてる大会ってのは、プロを目指すような若い奴らが出るモンだろ? そんなトコにお前みたいなアラサーが出てどうすんだよ。普通に痛いだけだろうが。今更プロになれるわけでもない癖に」

「――っ、それは、勿論そうですけど……」

 そう認めながらも、拓実の胸はズキリと痛んだ。


 確かに自分はもう、プロを目指す事はできない。膝に爆弾を抱えた日から、その道は完全に閉ざされたのだ。いくらダンスを練習したって、その先に道はない。割り切っているつもりでも、真正面から突き付けられると、さすがに、辛い。


 が、重要なのはそこではなかった。

 狩谷は明言を避けたが、拓実の問いを否定しなかった。それはつまり、肯定したと同義である。彼はやはり、拓実が大会に出る事を阻止する為に、自らの用事を押し付けたのだ。


 だが、一体何故?

 何故、そこまでする必要がある?


 拓実にはそれがさっぱりわからない。

 そもそも趣味に没頭していた事を咎めるなら、動画を見た時点で糾弾すれば良かったのに。何故ここまで引っ張って、いざその大会に行けないようにと妨害するのだ? 先程の「助かる」という言葉も、拓実が用事を断れないようにと吐いた言葉なのだろうが、そんな柄にもない事をしてまで、なんの為に邪魔をする? 一連の行動は、些か陰湿過ぎやしないか……


「あの……俺は別に、プロになりたくて出場するわけじゃないんです。ただ今回の大会には、俺でも出場できるような特殊なルールがあったから……だから人生最後の挑戦として――」

「ってオイオイ。何を被害者みたいな顔してんだよ。俺はむしろ感謝してほしいくらいだぞ? お前が恥掻かなくていいように助け舟を出してやったんだから」

 狩谷は横柄に腕組みをして言い放った。

「その歳で若者が集まるような大会に出たところで、笑い者になるだけだろ。つぅかいつまでも青春引き摺ってんのが痛いって話なんだわ。勤め人になった以上、仕事に全力投球すんのが当然なんだよ。お前がやってる事は、いつまでも大人になり切れてないような幼稚な奴がする事で――」


 狩谷はそんな説教を繰り広げる。如何に拓実のしている事が子供じみているのか。見苦しく過去の栄光に縋るのは未成熟な人間のやる事だ。だからお前はいつまで経っても駄目なんだと、高圧的に。その説教は長々と続けられ――しかし言うだけ言うと満足したのか、やがて大きく息を吐くと。

「まぁ、今回の事はいい機会だったと思えよ。仕事を舐めて掛かるとこういうしっぺ返しに遭うって事を学べたんだから。これに懲りたら脇目を振らず、また業務に全力で取り組め。な」


 そう告げる声はそれまでとは異なり、少しばかり穏やかだった。それはつまり、この問題はこれで赦すという事だ。

 狩谷はどんなに怒ろうとも、絶対に自分を見捨てはしない。最後には必ず赦しを与えてくれる。拓実はいつもその瞬間、大きな安堵と信頼を感じてきた。やはり狩谷は優しいと。自分がどんなに駄目な奴でも、こうして受け入れてくれるのだからと。そうしてまた、関係は元通りに修復されるが――


「――っ」


 今この時、拓実は安堵どころか一際酷い息苦しさに見舞われた。思わず胸元を押さえなければ居られない程、息ができない。酸素が吸えない。肩を大きく上下させ、なんとか呼吸を試みつつ、思う――元通りにはもうできないと。


 だって、どう考えても、今回の狩谷の行動はおかし過ぎる。部下の私的な用事を妨害するなんて。灸を据える? しっぺ返し? いい機会? 何を言ってみたところで、こんなのはただの嫌がらせだ。

 拓実が大事に抱え込んでいたものを、狩谷は最も傷付く方法で無理やりに奪い取ろうとする。それを捨てて両手を空け、仕事だけに専念しろと。


 これまでならば受け入れられた、受け入れなければいけないと思っていた。

 だがここに来て、もう無理だと心身が叫んでいる。だってそこに正当な理由を感じない。仕事の目標を達成しても尚、少しも自由に生きる事が許されないなんて。いくらなんでも酷すぎる。そう思ってしまった以上、付き合ってなんて――……いや、そうじゃない。


 拓実はそこで気が付いた。

 狩谷のやり方に反発が生まれたのも確かだが、それ以上に。

 自分はただただ、限界なのだと。

 正当な理由があろうとなかろうと関係ない。

 狩谷の横暴に気が付いたからという事でもない。

 ただ、これ以上はもう無理なのだ。

 だって、この二ヶ月を過ごした結果、わかってしまった。

 自分がどれ程の熱を持って、ダンスを愛しているのかという事に。


 仕事で得られる達成感も確かにある。誰かの役に立っていると思えば満たされるし、業績が伸びれば嬉しいものだ。

 だが、ダンスで得られる充足は全くの別物だ。

 ダンスをしている時、拓実は心の底から、生きている喜びを感じられる。全身の細胞が歓喜して、世界の色が鮮やかになる。朝が来るのが楽しみで、眠るのが勿体なくて――そんな喜びを思い出せば、長年の抑圧があった分だけ、また手放すのは不可能だ。勿論仕事も大事だが、その為に人生全てを費す事はもうできない。そんな事をすれば、息すらできない……嗚呼、ここに来るまでそんな事にも気付かずにいたなんて。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る