第67話 知られていた秘密


 それから数回の往復の末、拓実はやっと全てのゴミを運び切った。エレベーターを他の住人が使っている時は階段で往復していた為、また一段と膝が痛むが――ケアしている暇はない。何しろもう出発しないと、決勝にすら間に合わなくなってしまう。もう時間をロスできないと、拓実は早口で報告する。


「狩谷さん、ゴミ捨ても全部完了しました! なので俺、そろそろ――」

「ああ、待て待て。折角用事頼まれてくれたんだ、飯くらい食ってけよ。さっき買ってきてもらったモン出すからよ」

「えっ――」

 そう言って買い物袋から弁当やつまみ等を取り出し始める狩谷に、拓実は言葉を失った。

 だって、わけがわからない――さすがにそれはおかしいじゃないか。


 これまで頼まれた買い出しやゴミ捨てはまだ……なんとか理解もできる。それらを片付けねば生活に支障が出たのだろうと、だからどうしても拓実に頼まなければならなかったのだろうと考える事ができる。

 だが、今から食事に誘うのは絶対的におかしくはないだろうか。だって彼は、拓実に用事がある事をわかっているはずなのに。

 拓実が急いでいるのだとわかっているはずなのに……


「あの、狩谷さん。俺、今日は大事な予定があって」

 狩谷の意図を読み切れないまま、意を決してそう切り出す。狩谷の誘いを断るのには勇気が要るが、ここまで来たら言わないと。拳をぎゅっと握り締め、言葉を紡ぐ。

「誘ってくださるのは本当に嬉しいんですが、もう出ないとまずいんです。なので今日はこれで――」

「なんだよ。ダンスの大会がそんなに大事か?」

「――へ?」


 拓実は目を瞬いた。

 今――今、狩谷は“ダンスの大会”と言ったのか?


「え、狩谷さん、どうして知って――」

 驚きに拓実は狩谷の顔をじっと見つめる。その事を知っているのは春親と清史だけのはずなのに……と、狩谷は呆れた様子で、手に持っていた弁当をテーブルの上に雑に放った。

「少し前にSNSで見たんだよ。お前が踊ってる動画」

「動画……?」

 そう繰り返して、思い至る。それはきっと、猿渡とのバトルを収めたものだ。あの動画、確かにかなり拡散されているようだったが、それがまさか狩谷の元まで流れ着くとは。


 別に悪い事をしたわけじゃない、が、心臓が痛い程に鳴っている。冷や汗がぶわりと吹き出す。自分の行動が狩谷の不興を買ったのだとわかるからだ。すると案の定、狩谷はこれ見よがしに溜息を吐き。

「あのよぉ、正直引いたぜ俺は……てっきりお前は俺の代理を務める為に、仕事に全力投球してるものと思ってた。それがまさか、ダンスなんかして遊んでるって……しかも一緒に居た奴らの情報辿ってみりゃ、大会にまで出るって? その為に仕事も早退だって? お前さ、仕事舐めてんのかよ」

「っ、そんな事は――」

 拓実は慌てて弁解した。確かにダンスはしていたが、しかし決して仕事も疎かにはしなかったと。成果だってちゃんと出した、何しろ一班の業績を抜いたのだから。だから断じて仕事を舐めてなんて――だがそんな主張も、狩谷には通じなかった。


「そういう話をしてるんじゃねぇ。この二カ月、仕事だけに集中してりゃ業績はもっと伸ばせたはずだろ。その可能性を、折角のチャンスを、お前は自分の遊びの為に棒に振った。それが問題だって言ってんだよ」

 狩谷は人差し指を何度も拓実に突きつけながら、更に糾弾を続けていく。

「全く、こんなにガッカリさせられる事になるとはな。今まで仕事に対する姿勢ってのを散々教え込んできてやったのに、少し目を離すとこれだ。下の奴らと同じように堕落して……上司としてこんなに虚しい事はねぇわ。部下にこんな風に裏切られるなんてよ」


――裏切り。


 その言葉にハッとする。いつぞや後輩が、狩谷がSNSで『裏切られた』とポストしていたと言っていたが――その言葉はきっと、自分の行動に向けられていたのだ。それを思うと、狩谷が如何に腹を立てているのかがよくわかる。それにこのところ彼の態度が妙だったのも、拓実がダンスをしていると知り怒っていたから――


「…………」


 本当はここで、頭を下げるべきだった。上司の意に添えなかったら、まず謝る。そして自らの行いを省みて、改める。それが会社勤めで覚えた、上司との関係を保っていく術なのだが。


 しかしどうしても、謝罪の言葉が出なかった。

 確かに自分の行動は、狩谷の期待を裏切るものだっただろう。鬼の居ぬ間にと言わんばかりに定時退社を繰り返し、趣味に没頭していたのだから。

 だが……それの何処が悪い? 拓実にはうまく飲み込めない。だって、狩谷の掲げた目標は達成したのだ。なのに何が足りなかった? 目標を達成しようがしまいが関係なく、拓実の時間全てを仕事に捧げろと?


 そんな狩谷の考えにも、今までの拓実ならば納得していただろう。狩谷が言うなら正しいと、丸ごと受け入れていたはずだ。

 だが今は、素直に狩谷の言葉を聞く気になれない。

 それよりも、大きな疑念が渦を巻く。


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