第65話 逆らえない力関係


 それから拓実は急ぎに急いで行動した。スーパーへと走って向かい、狩谷に指定されたものを血眼で探し買い物かごに放り込む。

 が、どんなに急ごうとしたところで、初めて訪れる店での買い物にはどうしても時間が掛かった。何処に何が陳列されているのかという知識がない為、右往左往してしまう。やっとの事で指定の商品を揃えレジに並んだと思ったら、狩谷から連絡が入る。購入品の追加指示だ。おい嘘だろと思いつつ、拓実はまた商品棚の迷路の中へと引き返す。


 刻々と過ぎて行く時間に焦り、呼吸が浅くなってきた。もう少しでダンスジャンクが始まってしまう。このペースだと、到着できるのはトーナメントのどの辺りだ? 考えると大きく心臓が騒ぎ出すが……いや、今は目の前の事に集中だ。一刻も早く会場へ向かうには、この用事をできるだけ迅速に終わらせるしかないのである。


 そうしてなんとか言われた品を全て買い込み、拓実は狩谷の家へと駆け戻った。道中ほとんど走っていた為、膝はズキズキと痛みを増し、全身を滝のような汗が流れている。が、それを拭う間も惜しいと、購入品を狩谷へ突き出す。

「これで全部揃ってます。清算については後日でいいので、俺はこれで――」

「ああ、待て待て。他にも頼みたい事があるんだよ」


 狩谷はそう言うと、リビングの掃き出し窓を開けてみせた。そこにはパンパンに膨らんだゴミ袋が山積みとなっている。

「この足じゃゴミ出しにも行けなくてよ。ほとんど動けない内にここまで溜まって……けどこれを何往復もしてゴミ室まで持ってくのができそうにないんだわ。お前、捨てに行ってくんねぇか?」

「え、でも――」

 拓実はチラと時計を見る。さすがにこれ以上遅れたくはなかったのだ。きっと春親も清史も心配しているだろうし……と、思うのだが。


「砂川……お前ってそんなに薄情な奴だったのか?」

「っ」


 急に声を低められ、拓実は思わず息を呑む。狩谷はじっと、鋭い瞳でこちらを睨み据えている。そうされると条件反射、拓実の思考は停止する。ただ狩谷の言葉にのみ耳を傾ける機械のようになってしまう。

「あのな、これ以上このゴミを放置なんて事になれば、隣近所から苦情が来る。俺がこのマンションで暮らすのに肩身の狭い思いしても、お前は平気だって言うのかよ?」

「っ、いえ、そんな事は――」

「だよな? お前は上司が困ってるのを見捨てるような奴じゃない。だからこのゴミ、捨てに行ってくれるよな?」


――まさか断ったりしないだろ?


「――……」

 そんな言外の圧を受けると、拓実はノーとは言えなかった。上司を立て、その意向に従って動くというのは、拓実の中に強く深く刻み込まれたルールなのだ。勤め人として、そのルールは基本中の基本。それに背く事なんて有り得ない。あってはならない……


――けど、本当にそれでいいのか?


 胸の内、そう問い掛ける声があった。それは拓実自身の声である。

 だって、ダンスジャンクは今日だけだ。全力でダンスと向き合う最後の機会。チームメイト達と過ごす特別な時間。それがこんな用事で削られていいのだろうか……

「っ、あの、狩谷さん。やっぱり俺――」

「あ? なんだよ」

 狩谷は拓実の言葉を遮って、強い調子でそう言った。途端、喉元がグッと押さえ付けられたような心地になる。


――嗚呼駄目だ、逆らえない……逆らっちゃいけない……


 自分と狩谷の間には、絶対的な力関係が存在する。拓実は改めてその事を思い知った。

 これまでは狩谷の意向に従うばかりで、だからこそ認識していなかったが、今、初めて逆らおうとしたからこそわかる。彼との関係性において、自分の自由意志なんて微塵も許されないのだと。下の者は上の者に逆らわない。その掟は破れない。

 それにここで断れば、絶対に来週、二班は酷い事になる。ただでさえ狩谷の復帰に後輩達は身構えているだろうに、これで機嫌が悪かったら最悪だ。二班の歩み寄りはますます遠のくに違いない。それは絶対に避けたいところ――……


 そこまで考えると、拓実は奥歯を噛み締めるようにして頷いた。

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