第63話 募る不安


 三ラウンド目は変化球が飛んできた。そこまでは踊りやすい曲が流れていたが、三ラウンド目にDJが掛けたのは、日曜夕方に放送される、『座布団と幸せを運ぶ』超長寿お笑い番組のテーマ曲だったのだ。

 これに相手チームのダンサーは苦笑していた。自分のターンでまさかこんな曲が回ってくるとはと、笑うしかなかったのだろう。だがそれでも対応力はさすがのもので、戸惑いながらも曲に合わせて踊り出す。


 さて、ではこのターン、此方からは誰が出ようか……清史の作戦では、三曲目は流れたナンバーに応じ、自分か春親、どちらがより踊れそうかで決めようと思っていたのだが、この曲では得意も何もあったもんじゃない。

 これは話し合いが必要だろうかと春親に目をやるが、すると相棒はやる気に満ち満ちて肩をぐるぐる回していた。どうやら第二ラウンドを表現力だけで乗り切ってしまったので、ステップを踏みたくてうずうずとしているらしい。


 そうしてフィールドへ踊り出た春親は、先程の世界観重視のステージとは打って変わって、軽快でコミカルなダンスを披露した。ロックのステップを踏む合間、三味線を弾いたり座布団を運んでみたりというマイムを入れる。見目の良さという大きな武器をかなぐり捨て、観客の笑いを誘う事に全振りする。

 この思い切ったダンスに、「スカしたイケメン」という春親へのマイナス評価は払拭された。観客はすっかり好意的になり、彼のダンスに手を叩いて盛り上がる。やはり駆け付けていたらしい春親のファンの女子からは熱狂的な声援が上がっている。


 その試合、観客による判定は圧倒的大差をつけてSnatchの勝利となった。好意的な歓声がフロアを満たし、対戦相手も――春親が機嫌を損ねてしまった女子ダンサーを含め――Snatchのダンスを称賛してくれた。二人もまた、相手のダンスに称賛を返す。


 バチバチする場面もあったが、しかし結果、とても良い初戦であった。清史も春親も大満足でステージを降りる。そしてまずやる事と言えば、汗を拭くより水分を摂るよりも、拓実への報告だ。一回戦無事突破の一文と共にセルフィ画像を送信する。

 結局拓実は間に合わなかったが、さすがにもう用事も片付いているだろう。きっと程なくして、興奮気味の称賛のメッセージが、『もうすぐ着くよ』という言葉と共に返ってくるに違いない。二人はそう信じていたからこそ、続くバトルを充実した気分で観戦していたのだが。


 しかし次第、不穏な気配が広がってきた。拓実の返事がなかなか返らなかった為だ。二人のスマホが震えたのは一回戦の全バトルが終了し、二回戦の為にメインフロアへと移動した頃である。しかもその内容は――序盤こそ想像通り、初戦突破への称賛であったものの、その後には。


『本当にごめん、まだ出られそうにないんだ。上司の用事を片付けなくちゃいけなくて……到着までもう少し待ってて欲しい、本当にごめんな』

「……上司?」

 春親と清史は、その二文字に眉を顰めた。


「上司って……例の洗脳上司?」

「じゃねぇか?……けど上司の用事ってなんだろうな。それって仕事じゃなくって事か? 早退時間過ぎてんのに、上司に捕まってなんかやらされてんのかも……」

「はぁ? 何それワケわかんねぇ……そんなん無視してこっち来りゃいいじゃんよ!」

 春親は憤りを顕にする。清史も全く同じ意見だが、しかしそれを冷静に押さえ込む。


「だから……何度も言ってんだろ。タックにはタックの事情があんだよ。職場の人間関係ってのは、そう簡単に波風立てていいもんじゃねぇだろうし」

「や、プライベートの時間浸食してる時点で、波風立ててんのは上司だわ! 俺、タックに無視しちゃえって電話する!」

「あ、馬鹿!」


 通話画面を開こうとする春親から、清史は慌ててスマホを取り上げた。

「あのなぁ、タックだって何がなんでもこっちに来たいに決まってんだろ? それでもその用事をまず片付ける事を選んだんだから、余程のっぴきならねぇ事態なんだろ。そこに水差すような真似したって、タック困らすだけだろうが」

 すると春親は一瞬反論しようとし――だがやがて諦めたように、がっくりと肩を落として。

「あー……そうね……」

 いくら自らに正直に生きる春親でも、拓実を困らせるのは本意じゃないのだ。その肩を軽く叩き、清史は敢えてさっぱりと言ってやる。


「まぁ、最悪タックは決勝にさえ間に合やいいんだ。待っててほしいって言ってる以上、来れなくなるって事はないんだろうし……だから余計な事は考えず、俺らは俺らのやるべき事に集中しようや」


 拓実も今、そののっぴきならないだろう用事とやらを懸命に片付けようとしているはず。そうして会場へ駆け付けた時、自分達が結果を出せていないのでは話にならない。そう説得してやると、春親は口を尖らせながらも。

「……わかった。タックに見てもらえないバトルがあるのはマジで納得いかねぇけど、それに意識取られてトチったりしたら洒落になんねぇし……うん、集中するわ」

 春親は頷き、顔付きを引き締めた。


 そう、今は余計な事を考えている場合じゃないのだ。

 一回戦を見たところ、自分達の実力なら問題なく勝ち上がれるだろうと二人は確信していたが、だからと言って、気持ちが散漫になっていても結果が出せる程甘くはない。あくまでも、自分達がしっかりと実力を出し切る事ができれば勝てる、というだけの話なのである。それに曲との相性によっては、対戦するチームが一回戦以上の実力を見せてくる事だってあるだろうし、いくら自信があろうとも油断は絶対禁物なのだ。




 Snatchの二回戦は、ゴリゴリのヒップホップチームが相手だった。大きく派手な動きは見応え十分。力強く豪快な彼らのダンスに、清史は負けじとダイナミックに、春親は敢えて真逆の繊細な動きで対応する。途中まで、観客からの反応は大体五分というところだったが。

 勝敗を分けたのは三曲目。

 ここでもまた、トリッキーなナンバーが掛けられたのだ。


 それは往年の時代劇俳優が金キラ衣装で歌い踊るサンバである。これに会場はワッと沸いたが、しかし相手の三人目として控えていたダンサーは苦笑と共に仲間にバトンタッチしてしまった。クールな佇まいのそのダンサーは、どうにもこの曲で踊るのは柄じゃないと思ったらしい。二回戦目ともなると、こういう柔軟な采配をするチームもちらほら出てきているようである。


 この三曲目、Snatchからは清史が出た。サンバが得意だったのかと言われればそんな事は決してないが、ただ、春親よりかはこの曲を歌う俳優の背景が見えている為の立候補だ。

 清史は最初こそ見様見真似のサンバステップでコミカルに観客の笑いを誘ったが、次にはブレイキンの大技を見せ付けた。このギャップに会場の熱がグンと上がる。観戦の姿勢がグッと前のめりになる。

 ぐるぐると回転した後で立ち上がった清史は、今度は馬に乗るようなマイムでステージを駆け抜けた。そして最後には架空の刀を高く構え、相手ダンサーを見据えズバッと垂直に切り下してフィニッシュだ。

 この構成は観客は大いにウケて、そして審査員からも好評だった。なんとアワジからもSnatchは高評価で、無事に二回戦も突破する事ができたのだ。


 順調だ。

 いい感じだ。


 ステージに乗った際の声援も一回戦より大きくなったし、審査員の覚えもめでたい。ダンスジャンクという大会が、少しずつ自分達の味方になっていくのがわかる。このまま行けば間違いなく結果は付いてくる――が、そんな手応えとは裏腹に、清史と春親の表情は次第次第に曇っていった。

 まだ拓実から、用事が終わったという連絡が入らないのだ。


「……俺、やっぱ電話してこようかな」

 落ち着かない様子の春親に、清史も一瞬賛同し掛かる。が、少しの逡巡の後で首を振る。

 ここまで連絡がないとなると余程の事態が起きているのだろうが、拓実の事だ。きっと今、なんとかしようと必死に対応しているはず。それならばここで電話を入れて、彼の行動を妨げるのはよろしくない……


「けど、確かにただ待ってんのはもどかしいわな……」

 さすがにこうなってくると、バトルに身が入らなくなりそうだ。もしかしたら拓実が決勝にすら間に合わないのではなかろうかと、悪い予感が広がり出す。いくら拓実が奮闘していようとも、ままならない事態というのはこの世にいくらでもあるのだし……


 そう考え、清史はスマホに文字を打ち始めた。と、それに春親が。

「あっ、タックにメッセージ送るの⁉ 電話は駄目なのに⁉ メッセージがいいなら電話もよくね⁉」

 そう抗議してくるので、清史は煩わしく首を振る。

「違ぇよ、タックにじゃねぇ。けど、万が一の事考えて、保険かけとく」

 その保険について説明すると、春親は途端に顔を顰めた。清史としてもできればこの手は使いたくなかったが、背に腹は代えられなかった。

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