第62話 春親の成長


 相手チームの次鋒は女性ダンサーであった。ブラトップの上から丈の長いシースルーのシャツを羽織り、下はホットパンツというなかなかのセクシー女子である。

 彼女が踊るのはガールズヒップホップという、女性らしさを活かしボディラインを強調する振りの多いジャンルだ。そしてこの彼女、素晴らしく動きが柔らかかった。軽く腰を回すだけでも悩ましく、会場の其処彼処から指笛が上がる程だ。


 彼女は春親の眼の前までやって来ると、身体を蠱惑的にくねらせた。そこからフロアに入り、なんとも悩ましい振りを見せ付けてくる。きっとこれが、彼女の挑発スタイルなのだろう。匂い立つような色気を正面から喰らえば、大概の男は動揺するに違いない。


 だが春親という男は――なんというか、その辺かなりの不感症であった。こんなにもいい女を前にして「おぉすごい、上手い上手い」と、技術の方に感心しているのである。


――こいつマジ、こういうトコ……


 清史は思わず額を押さえた。彼はどうにも、相手の意図とは異なる反応を返す事が多い。今回だってこの態度では、相手もダンサーとしては喜ばしくとも、女としてのプライドが傷付くだろうに……


 そんな懸念の通り、案の定彼女は春親のリアクションに憤慨したようだった。フィールド中央へ戻っていくと、その苛立ちをぶつけるように一層激しく踊ってみせる。が、感情が乱れた事により、ダンスの精度が著しく落ちてしまった。その綺麗な顔に憤怒が浮かび、表現が大味になっている。


 この流れを受け、観客の男性陣から春親へ向けられる視線も厳しいものになり始めていた。そりゃそうだ。あの美女の誘惑的ダンスを前にして動じないイケメンなんて、好感度が高いはずがない。

 そんなアウェイな空気に清史はやれやれと思ったが、しかし心配はしなかった。春親という男には、彼自身への好き嫌いを超越して、見る者を虜にしてしまう高度な技術があるからだ。


 さて、サビが終わり相手が下がると、その色気の残り香を清涼な水で洗い流すように、春親はするりと踊り出た。そうして彼が披露したのは、なんとも不思議なダンスであった。何が不思議って、まるで芝居でも見せられているかの如く、世界観が確立された内容だったのである。


 この第二ラウンドで使用されたのは、恋人との関係に苦悩する男心を歌った曲だ。恋人が何を望んでいるのかわからずに振り回され、零れ落ちそうな愛をどうしたら繋ぎ止められるかと思い悩む男の歌。


 そんなストーリーに、春親はダンスによって明瞭に色を付けた。

 何もない舞台の真ん中に座り込むと、彼が一人きり、どこかの部屋の中にいるように見えてくる。手持ち無沙汰のようにただ揺らいでいた数カウント、しかし突如機敏に振り返ると、ある方向に駆け寄っていく。そこに観客は、彼の恋人の姿を見る。

 春親は恋人と何やら話をしているが、しかしうまく噛み合わない。恋人が立ち去るのを引き留めきれず、空を切る手。虚しさを抱えたまま、時間は流れる。男は徐々に胸の痛みに飲まれていく。喪失の気配が大きくなる――……


 この春親のダンスに、会場は水を打ったように静まっていた。この沈黙は、彼の行っている事をどう評価していいかわからなかったからだ。他のダンサー達は音に乗りスキルを見せ付け会場を沸かせていたが、春親が見せるものはまるで違う。ステップや技、そういうものは使わずに、ただ曲の世界を演じている。

 だが演じていると言っても、パントマイムをしているという訳でもない。リズムは逃さずあくまでもダンス的な表現で、心の動きを、その機微を、繊細に表しているのだ。


 当初は戸惑いからだった観客の沈黙は、徐々に色合いを変えていった。誰もが息を詰め、春親の世界に魅入られ出す。


――つぅかこいつ……いつの間にか表現力爆上がりしてんじゃねぇか……


 清史は全身にぞくぞくとしたものを感じていた。

 これまで春親のダンスは、天使のようだと評される事が多かった。元々顔もスタイルも作り物のように整っている上、彼のダンスのルーツはバレエにある。それらの相乗効果によって春親のダンスは天使のように美しく――故にどこか無機質に見えた。

 美しさは強力な武器だが、綺麗過ぎるが為、観る者は春親のダンスに感情を重ね難いのだ。演者と観客の間に距離があると言えば良いのか――……なんにせよ、それは春親の表現したいものとマッチしてはいなかった。

 彼はいつも、もっとリアルな感情を表現したいと言っていた。人の感情は綺麗なだけじゃない、不安定でドロドロした面がある。そのエッセンスが表現に取り入れられなければ、見る者に刺さらない。だから天上人のようにしか踊れないようでは駄目なのだと。


 そう言って長年試行錯誤を繰り返していたのだが、どうやらこの二カ月、拓実のダンスを見続ける事でしっかりと技術を盗み取っていたらしい。目線の動かし方、細かい角度でのニュアンスの付け方が、かなり人間臭く仕上がっている。

 かつての人間離れした美しさも得難い魅力に違いないが、今の春親のダンスにはもっと真に迫るものがある。彼が今表現しているものには、人間の生々しさが詰まっている。


 春親が踊り終えるとそれから数秒、観客は静まったままだった。だがやがて我に返ったのか、はたまた感情が溢れたのか、誰か一人が歓声を上げるとそれを合図に、間欠泉が噴き出すかのように称賛の声が沸き上がった。派手な事は何一つしなかった癖に、春親は見る者をすっかり虜にしてしまったのだ。


 清史は戻って来た春親をハイタッチで迎えるが、内心かなり悔しかった。本当は春親がしたようにドライに見てやるつもりだったのに、見事に圧倒されてしまった。正直言って飲まれていた。だというのに、本人は。

「ねぇキヨ、俺スベったかも。踊ってる時ずっとしーんとしてたんだけど……もしかしてトチってた?」

 そんな事を尋ねてくるものだから、思い切り頭を小突いてやった。

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