第58話 気持ちを強く持って


 ◆◇◆


『ごめん、急用ができてしまったので、二人で先に会場に行ってもらえますか。もしかしたら一回線目には間に合わないかもしれない、ほんとごめん、また連絡します』


「……マジか」

 春親はスマホに届いたメッセージを見詰めてそう漏らした。いや、もしかしたらいつものように流し読みした挙句に間違った解釈をしたのかも……そう思ってもう一度メッセージを見返すが、一度目に読んだ時と内容に変化はない。春親はもう一度、「マジかー」と力の抜けた声を出す。

 早上がり申請が通ったと聞き、一試合目から拓実に見てもらえるものと思っていた。それなのに、急用って。春親は一気にテンションを落としてしまう。と、そこへ。


「うわっ、なんでお前もう来てんだよ⁉」

 人並みを掻き分けてハチ公前に現れた清史が驚きの声を上げた。

「お前が俺より早く集合してるとか珍し過ぎだろ……もしかして時間間違えたのか?」

 感心半分揶揄い半分に尋ねてくる相棒。これにいつもだったら軽いノリでやり返す春親なのだが、今は気分が上がらない。

「だって今日って、タックとチームでいられる最後の日じゃん。だから少しでも一緒に居たくて早く来た……」

 それなのに、急用って。

 春親が重たく息を吐き出すと、清史も「それなァ」と頭を掻いた。


「よりによってこんな日に何があったんだか……仕事が押してるってんなら“急用”って言い方にはならねぇよな? もしかして家の用事とかか……」

 清史はそう考え込んだが、すぐに「なんにせよ」と切り替えた。

「たかだか一回戦観てもらえない程度でそこまで落ち込む事もねぇだろ。来れなくなったってわけでもねぇし……な、ほら行くぞ」


 気分の切り替えを促すようにポンと春親の肩を叩き、清史は先に立って歩き出す。今回の会場であるクラブは春親には初めての場所で、駅からは少し距離がある。地図の読めない春親は清史の先導なしには到底辿り着けないので、落ちた気分を引き摺りながらもその背中を追い歩き出す。

 が、すぐに心持ちが立て直せず、その後もぐちぐちとした言葉が止まらなかった。

「あーマジ萎える。なんでこのタイミングで用事なんか……」


 と、その憤りの矛先を向けているのは拓実ではない。彼が心底、自分達のバトルを見逃したくなかっただろうとわかるからだ。だが、それでも遅刻するのだから、余程のっぴきならない事が起きたはず。春親が憤るのは、その“のっぴきならない事”を齎した、運命とでも呼ぶべきものだ。

「まぁ、気持ちわかるわ。俺も一回戦からバチバチに大技決めんの、タックに見てもらいたかったし……」

 清史も珍しく落胆した声を漏らす。今日のバトルに彼はかなりの気合いを入れているのだ。その姿を拓実に見てもらいたいという想いは強かったはず。


 だが、やはり清史は春親より感情のコントロールがずっとうまく、落胆はしても悪態を吐こうとはせず。

「けどタックには、色々と事情とか責任とかがあるんだろ。社会人になったらそういうモンっつか……そういう年代の人間と組んだ以上、俺らもある程度理解がないと駄目なんじゃねぇの」

「んー、それはわかるけど……」

 しかし、期待していた分だけガッカリするのはどうしようもない。


 全力でバトルに臨むところを、拓実に観て欲しかった。貴方に憧れ追い掛け続け、辿り着いたのがこのダンスだと、余すところなく見せ付けたかった。その機会が潰れてしまえば、例えそれが一試合分だけでも、気持ちが落ちるのは仕方がない。


 だが――……嗚呼、そうだ。

 春親はそこで思い出す。自分は今日のダンスバトルで、三人分の人生を変えなければならないのだと。


 まずは自分の分と清史の分――ダンスで生きていく為の貴重な切符を、この機会で掴みたい。まぁ今日を逃したところでチャンスは他にもあるのだろうが、しかしアワジの目に留まった上でプロになるなら、その先に広がる可能性は他の比じゃない。となれば、此処が勝負所であるのは間違いない。


 そして、拓実の人生だって変えなければ。

 このままでは、拓実は引退してしまう。その決意を覆す為に、なんとしても決勝まで勝ち上がり、拓実をステージで踊らせなければ。そうしてやはりダンスをやめるなんてできないと考え直してもらわねば。

 その為には腑抜けになっている場合じゃない。自分達の実力に疑いは無いものの、それでも気を抜いていて勝てるバトルなんて一つもないのだ。


 そう考えると、居ても立ってもいられなくなり。

「――よし。走ろ、キヨ」

「は?――や、なんて?」

「だから走ろって。万全の状態で踊るにはウォームアップした方がいいじゃん。ホラこの坂って丁度いいしさ、走ろ走ろ、はいよーいドン!」


 そう言って春親は小洒落た若者達が行き交う坂道を、場違いな程の全速力で駆け上がった。すると後ろから、「ってお前が先行くなって、道わかんねぇだろ⁉」と清史の呆れた声が追い掛けてくる。


 うん、ごもっともだ。

 だが、どうしてもじっとしていられない。気持ちが逸って仕方ない。


 何が何でも結果を出すのだという意気込みが、春親をどこまでも衝き動かした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る