第53話 人生はままならない




「ねー、タックならこの曲ってどう踊る?」

「これ? あーそうだな……ビートは結構強いけどボーカルはウィスパーだから、そっちに合わせていくかなぁ。ボーカルの心地よさの方が印象強いし……で、ボーカルの消えるとこでキレというか、アクセント付けるかな」

「あー成程! じゃ、こんな感じ?」

「うん……うん、すごくいい!」


 春親が即興で踊る振りに、拓実は盛大に拍手した。打てば響くとはこの事だ。拓実の言葉から要点をしっかり汲み取り、即座に表現に落とし込んでしまう。

「ねぇ、タックも今の曲踊ってみてよ。タックならどうするか見てみたい」

 軽く踊り終えた春親はそう言うが、そこで清史がパンパンと手を叩いた。


「はい、それは後にしろー。最終確認始めるから!」

 そうして流れる曲の音量が絞られる。最終確認とは、明日に控えたダンスジャンク当日についてのものだ。春親は「ぅあーい」とマイペースに、そして拓実は少し緊張しながら、清史の元へと集合する。


「って事で、いよいよ明日がダンスジャンク本番だ。調子悪ぃ奴いねぇよな?」

 その問いに春親と拓実が揃って頷き、清史も満足げに頷き返した。

「そんならいいわ。体調さえ万全ならうちのチームに死角はねぇしな。タックの膝も爆発せずにここまで来れたし」

「ああ、サルくんとのバトル以降は無茶しないように気を付けてるから、大丈夫!」

 拓実は胸を張ってそう答える。これに春親がぺちぺちと拍手を寄越し、清史も軽く笑う。

「マジでそれが一番の懸案事項だったからな。まぁ本番でも気を付けてもらわねぇと困るけど……で、明日の集合時間と場所だけど」


 そこから清史は事務的な説明に入った。それを真剣に聞きながらも、改めて、彼は本当に大人びているなと拓実は思う。

 面倒見が良く落ち着いているし、頼り甲斐もある。ブレイキンの技もいくつか教えてもらったが、指導も実にうまかった。最年長として情けないかもしれないが、拓実はすっかり清史をこのチームのリーダーだと認めている。


「――で、楽屋っつうか控室みたいなモンが一応あるって聞いてるけど、参加人数に対して狭いらしい。だから荷物は最小限にして、混み合うと着替えも大変だから気持ち早めに入るつもりで……まぁ俺と春親は踊れる恰好で行きゃいいから最悪着替えはいらねぇけど、タックはそうもいかねぇよな?」

「あぁ、さすがにスーツで踊るわけにもいかないし、着替え必須だ」

 そう、ダンスジャンク当日となる明日は金曜日、平日だ。拓実は仕事を早退して会場に向かうのである。


 この早退について、狩谷の入院中に部長に申請していたのだが、狩谷が復帰したら何か追及されるかもと拓実は正直ビクついていた。だが今日に至るまで、この件には一切触れられていない。それにも違和感を覚えている拓実だが、なんにせよ、明日は問題なく早退ができそうである。


「おっけおっけ……じゃぁやっぱ早めに行って場所確保した方が良さそうだな」

「あ、飲みモンとかは俺らで買うから、タックは身軽で来ていーよ。いつも通りポカリでいいよね? 食いモンもタックの好きそうなやつ適当に買っとくから」

「え、いいの? ありがとう!」

 拓実は頭を下げながら、身体が温まっていくのを感じていた。春親と清史の気遣いが有難かったのだ。


――本当に、チームらしいチームになったもんだな……


 しみじみと、そう思う。今や二人と過ごす時間は、拓実にとって物凄く落ち着けるものとなっていた。かつてダンスを通せば大概の人間と仲良くなれたものだが、この二人には安心感すら覚えている。出会ってからたった二カ月、その上年齢もかなり離れているというのに、だ。


 受け入れてもらえている。

 信頼してもらえている。

 ここには確かに居場所がある。

 それを確かに感じるから、この上なく気持ちが満たされるのだ。


「俺、キミたちとチームになれて良かったなぁ……」

 言葉にしてみると、実感が身体中に染み渡った。

 あの日、スタジオで寝過ごすという大失態を犯した事、今になってみると本当に良かったと思う。こんなにもダンスの喜びを分かち合えて、且つ共に過ごしていて心地の良い人物に出会える機会、きっと他にはなかったはずだ。

「俺、キミらにほんと感謝してる。二人ともいい子だし、ダンスうまいし情熱あるし……一緒に居て本当に楽しかった。なんだろうなぁ、ホント俺、恵まれてる……ってエェ、どうした⁉」

 拓実は素っ頓狂な声を上げる。それというのも、春親が今にも泣き出しそうな顔をしていたからである。


「だって……タックが最後みたいな事言うから……」

「え、あ……」

 指摘され、拓実は自分でもハッとした。確かに今これを言うのは余りに空気が読めていないと思ったのだ。

 明日のダンスジャンクをもって、拓実のダンスは幕を下ろす。いよいよ狩谷が現場に復帰してくるからだ。そうなればまた仕事中心の人生となり、今みたいに彼らとは踊れなくなる。その為につい最後の挨拶みたいな事を言ってしまったが、しかし大会の前にこんな話、士気を下げるだけじゃないか。


「春親くん、ごめ――」

「っていうかなぁ。最後みたいも何も、最後なんだよ」

 拓実の言葉を遮って、清史が溜息混じりに指摘する。

「タックは本来、仕事で融通が利かない身だろ。この二カ月時間が取れたのはラッキーなんだよ。最初からわかってた話だろ」

「それは、そうなんだけどさぁ……」


 春親はなんだか複雑そうな顔になった。どうやら彼には、何か思うところがあるらしい。それから彼は、何か葛藤するように「あー」とか「うー」とか唸り出した。正直な彼には珍しく、発言を迷っているようだ。そのもどかしそうな様子を拓実は怪訝に見守ったが――春親はついに堪らなくなったように。


「あー駄目だ! やっぱ我慢できねぇ……ねぇタック、どうしても仕事との折り合いってつかねぇの?」

「へ? 折り合い?」

「や、俺もこんな話したら困らせるってわかってたから言わないつもりだったけど……やっぱ無理! やめんの絶対勿体ねぇもん! だって俺、あんたのダンスに何度も脳やられたよ。こんなに踊れる奴って他にいない……」


 そう言い募る春親に、清史が「春親」と諫めるような声を出す。だが春親は止まらない。


「俺、まだあんたのダンスから盗みたいもの沢山あるし、これからもずっと観てたいし……って、そうじゃなくて……いや、それもそうなんだけど……」

 春親はどうにもまとまらないというように、ごつごつと拳を額に打ち当てた。それから改めて拓実の顔を真っ直ぐに見詰めると。

「要するに、俺の事はまぁいいとして、何よりもさ。あんたはそれでいいのかって話。今でもダンスはあんたの人生そのものじゃねぇの? 手放していいの? 手放せんの?」

「…………っ」


 春親の言葉からは、頼むから否定してくれと、切実な想いが伝わって来た。その熱さに、拓実は強く揺さぶられる。これまで無視していた感情に、ついにピントが合ってしまう――できる事なら、やめたくない、と。


 割り切っていた。考えないようにしていた。だってそんな事絶対に叶わないから。

 だが拓実にとってもこの二カ月は、信じられない程に充実し、眩しい程に煌めいていた。久しぶりに、生きているのが楽しいと感じられた。手放していいかって、そんなわけがないだろう。


 できる事なら、やめたくない。

 このままダンスと共に在りたい。

 春親と清史と、まだまだ一緒に踊りたい。


 それらの想いは強く拓実の胸を焦がす。やめたくない。手放したくない。この日々を永遠にできたならと――……だが。


「……でも、やっぱり仕事があるからなぁ」


 拓実は眉根を寄せて苦笑した。溢れそうになった想いをもう一度胸の奥へとしまい込む。

「そう言えばちゃんと話した事なかったけど……俺の職場な、結構ギスギスしちゃってるんだ。上司がなかなか厳しい人で、でも後輩達はそのやり方に反発しててさ。だから俺は上司についてないと……残業とか飲みとか、俺しか付き合う人間がいないから」

 拓実がそれをしなくなれば、狩谷の機嫌は地の底まで落ちるだろう。そうなれば後輩達との溝は一層深まり、拓実だって胃を痛める事になる。ただでさえ仕事というものはストレスが溜まるのだから、それに上乗せするような精神負荷は避けたいところだ。

 それに拓実は狩谷から仕事のノウハウを教わってきた。勤め人たるもの、仕事を第一優先に全力投球。その教えに背く事は、到底できない。


「って……それってなんの意味があんの?」

 春親は納得がいかないというように食い下がる。

「だってタック、ちゃんとやる事はやってんでしょ? 後輩が普通に定時で帰れてるって事は、仕事が溜まってるわけじゃないんだよね? それなのに上司がやるから残業に付き合うとか……仕事じゃなくて機嫌取りじゃん。そんなのタックがやる必要ある? ダンスって才能を捨ててまで?」

「ってコラ。いくらなんでも踏み込み過ぎだ」

 清史が声を低くして春親を咎めた。


「お前にはわかんねぇだろうけど、世の中では人間関係の調和ってのも大事なんだよ。特に職場での立ち回りは重要だ、下手こいてクビになったり辞めざるを得ない状況に追い込まれたら、生活に響くわけだからな」

「…………」

 そう言われると春親もさすがに黙り込んだ――が、数秒後には「あ」と顔を明るくして。


「じゃぁ俺がタックの事養うってどう? プロんなってガンガン稼いで……そしたらタック、仕事辞めてダンスに専念できんじゃん?」

「は、はぁぁ⁉」


 声を上げたのは拓実と清史の両者である。それ程までに春親の発言はぶっ飛んでいた。が、本人は名案だと確信しているらしく。

「そうだ、そうしよ! これで問題解決じゃん?」

「ってそれを本気で言ってんのがお前の怖ぇところだよ……」

 清史は呆れを通り越して消耗しきった声を出す。拓実も大いに驚かされたが――しかしそこまで言ってくれる春親の気持ちは嬉しかった。だって、こんなにも自分のダンスを評価してもらえるなんて。


「春親くんは、本当に俺の事を考えてくれてるなぁ……」

 嬉しさの余り、拓実は春親の頭をくしゃりと撫でる。それに春親は一瞬期待を込めた目をするが、拓実はゆっくりと首を横に振った。

「でも、ごめんな。仕事を辞めるのはやっぱり無理だよ。上司に対しては恩もあるし……ガッカリさせたくないから」


 拓実はそれから、狩谷との関係を語って聞かせた。膝の怪我でダンサーになるという道を断たれ、就活もうまくいかず絶望していた時、救ってくれたのが狩谷なのだと。そして彼からは仕事の流儀も教わってきた。狩谷がいなかったら、今の自分はいないのだ。だからそのやり方についていくのは当然であり、好き勝手するわけにはいかない、と。

「だから、ごめんな」

「…………」

 再度告げると、春親は落胆と悲哀の入り混じるような顔をした。これに拓実の胸も締め付けられる。こうまで強く望んでくれているのに、応える事ができないなんて。


 だが、仕方のない事だ。もう自分は大人であり、それなりに責任の伴う立場である。ともなれば、やりたいようには生きられない。狩谷がそうしてきたように、会社の為の歯車の一つに徹しなければ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る