第52話 悲願達成と、強まる違和感




 さて、それからも日々は忙しなく過ぎていった。


 あらゆるジャンルの曲を聞き込み、それに合った振り付けを何パターンも考える。

 ダンス動画を観漁って、振り付けのアイディアを蓄える。

 できる限り鏡に向き合い、動きの見せ方を研究する。

 ダンスジャンク本番に向け、正に拓実の生活はダンス一色――というわけにはいかず、仕事の方も決して手は抜かなかった。勤め人は私情より会社を優先すべきだと、狩谷に散々教え込まれてきたのだから当然だ。


 毎日の残業ができない分、拓実は業務時間内に嵐のように仕事をこなした。一班の業績に追い付け追い越せと必死になって。狩谷が出社できず、後輩達も業績アップに意欲的でない以上、自分が頑張るより他にないと――……だが、予想外の事が起きた。


 がむしゃらに仕事に打ち込む拓実に感化されたのか、何を指示したわけでもないのに、いつの間にか後輩達も自然と営業活動に力を入れるようになったのだ。相変わらず残業はしないものの、日々の配達のついでにと、得意先に他商品も勧めてくれるようになった。


「俺ら、一班の業績抜くのには興味ないし、狩谷さんのやり方に染まるつもりもないッスけど……でも砂川さんには、狩谷さんとの間に立って、いつも庇ってもらってるし。その砂川さんが一人で頑張ってんのは見てらんないんで、できる範囲で協力しますよ」

「さ、沢田ぁ……!」


 後輩達を代表しての沢田の言葉に、拓実は思わず涙ぐみそうになってしまった。いくら注文数が増えているとは言え、拓実一人の奮闘で一班を追い抜けるかどうかは五分だったのだ。力になってくれるならば、有難い事この上ない。


 そうして二班はかつてない程一丸となり、営業活動を進めていった。新規獲得の為に走り回り、既存客には他の商品を提案して。また、少しでも顧客の注文意思を高めようと、重い荷物を社屋の中まで運んだり、長い世間話にも付き合ったりして――と、その結果、ついに。


「――あ」


 拓実はぽかっと口を開ける。その日、各班の業績が社内一斉メールにて送られて来たのだが、ほんのちょびっとだけ、それでも確かに、二班が一班に勝っていたのだ。

「~~……っ!」

 この快挙によっしゃぁと叫びたいのを、思い切り拳を天に突き上げたいのを、ここは事務所の中だからと拓実は必死に押し殺した。が、それでも喜び自体は殺し切れず、何度もメール画面を見直してはふるふると打ち震える。


 ああ、どうしてこのタイミングで二班は皆不在なのだ。男性社員達は配達中だし、女性社員達は倉庫で在庫確認中……早くこの喜びを分かち合いたいのに!

 昂った感情のやり場を求め、拓実はメッセージソフトを立ち上げた。この結果を狩谷に報告しようと思ったのだ。

 このところずっとテンションの低い狩谷だが、悲願達成と知ればさすがに元気になるだろう。ちゃんと成果が出たと知れば、今度こそ労いの言葉もあるかもしれない。ついに一人前だと認めてもらえるかもしれない……そう考えつつキーボードを叩いていると。


「砂川くん」

 突如背後から声が掛かり、拓実は弾かれたように席を立った。そして即座、直角になるように頭を下げる。

松崎まつざきさん、お疲れ様です!」

 声を掛けて来た人物は、一班の班長、松崎である。

 五十代半ばで恰幅の良い、大ベテランたる彼とは、入社して長い拓実もあまり話した事がない。それ故に、こうして声を掛けられた事にどうにも身体が硬くなる。


――というか、なんだ、なんの用だ? もしかして、業績追い抜かれた事について嫌味でも言いに来たのか……⁉


 思わずそう身構えてしまうのは、この人物への批判を狩谷から散々聞かされてきた為である。たまたま稼げる地域の担当になっただけなのに業績トップだとふんぞり返っているだとか、自分は現場に出ない癖に手柄を我が物顔で語っているだとか……そんな悪印象が先に立ち、拓実が警戒していると。


「今回の業績、もう見たかな? いや、すごい事だね! まさか二班に追い抜かれるなんて思わなかったよ!」

――やっぱりその件かぁ……っ!


 拓実は久方ぶりに胃がギュゥと潰されるような感覚を覚えた。拓実は余り、嫌味に対する耐性が無いのだ。当然相手を煽り返す技術もないので、ここは無難にやり過ごす事にする。

「いえ、今回は運が良かったと言いますか……商業施設オープンのお陰で、まとまった注文も入りましたし」

 あまり波風を立てないように気を付けつつ、拓実はそう謙遜する。何か辛辣な事を言われても、この調子で受け流そう。そうすれば、きっと相手も、二、三の嫌味さえ言ったら満足して帰って行くはず……と、考えたのだが。


 これに続く松崎の言葉は、予想とは違っていた。彼は大きく首を横に振り、嫌味どころか、「いや、これは本当に凄い事だよ」と、なんの含みなく告げたのである。

「ほら、うちの配達範囲はさ、区域によって業績にかなりの差ができるだろう。だからどうしたって一班がトップになるし、それがひっくり返る事はなかったわけだ。それなのに、今回の結果を出せるのは本当にすごい事だよ。狩谷くんも不在の中、砂川くん、よくやったなぁ。感心したよ」

「えっ? あっ」


 この思いがけない称賛に、拓実は反応に困ってしまった。極寒のプールに飛び込むつもりが、実際に浸かってみると温泉だったというくらい、頭の中がてんやわんやだ。だが、とにかく礼は言わないと……拓実はそれだけ理解すると、勢いよく頭を下げた。

「いえっ、勿体ないお言葉です! これからも精進します!」

 なんとかそう絞り出すと、松崎はハハッと笑った。

「うん、これからもお互いに頑張ろうなぁ」


 そう言って軽く手を振り、一班のデスクへ戻って行く。その後ろ姿を暫し見送った拓実だが、再度椅子に座り直してから「……えぇ?」と小さく声を漏らした。

 だって今の松崎は、狩谷から聞いていた人物像とあまりに違い過ぎたような?

 もしや松崎は、拓実を――と言うか二班を下に見ている為、今回の結果も痛くも痒くもないと思っているのだろうか。次の業績発表ではまた一班が返り咲くに決まっているから、余裕な態度を崩さない、と?……うん、そういう側面もあるのかもしれないが。


――でも……


 拓実はじっと考え込む。今の松崎の称賛は、本心からのもののように感じられたのだ。彼は単純に、二班の頑張りと結果を認め、労ってくれたのではなかろうかと。

 そう考えると、ますます拓実は混乱した。あの松崎について、狩谷は何故いつも文句を言っていたのだろう。そこまで悪い人物には思えなかったが……


 と、更に訳がわからないのは、悲願の業績トップを達成したにも関わらず、その狩谷の反応が相変わらず芳しくなかった事である。拓実がメッセージを送信しても、『そうだな』という一言が返ってきたのみなのだ。


 拓実の知る狩谷であれば、ここで気を抜いて成績を落とすな、だとか、一班の奴らが悔しがる顔を直接この目で見たかった、だとか……とにかくこの結果に対し、もっと饒舌に語りそうなものなのに。


――もしかして、結構具合が悪いのかな……


 既に退院したとは言え、完治まではまだ掛かる。痛みもきっとあるだろうし、生活だって不便だろう。それに気に掛かるのは、SNSに書かれていたという謎の愚痴。なんらか精神的負荷が掛かってもいるようじゃないか。それらのストレスから調子を崩している事だって考えられる……が、それにしたって、ここまで反応が薄いというのは妙じゃないか?


 拓実は一層の違和感を覚えたが、しかしそれについて深く考えるだけの時間がなかった。とにかく今は忙しい。注文が増えたという事は配送量も事務作業も増えたという事であり、それをこなしながらダンスの精度も高めなければならないのだから。


 うん、全てはダンスジャンクが終わってからだ。それが終われば余裕ができる。それまでは、狩谷の事は一旦脇に置いておこう。

 そうして仕事とダンスの両方に力を注ぐ慌ただしい日々を掛け抜けて――

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