第49話 問題はなくならない

――もしかして俺、自分で思ってる以上に疲れてた……?


 ふとそんな考えが過るのだが、どうにも納得できなかった。確かに胃は痛んでいたし、二班の関係性に悩む事も多かった、が、拓実は仕事を嫌ってはいないのだ。それなのに、何故そんなにも疲れていたのか……


 拓実は暫し訝しんだが、やがて「まぁいいか」と思考を止めた。今は考え事をするよりも配送にこそ集中だ。


 何しろ今日から、リモートとは言え狩谷が仕事に復帰している。配送が遅くなればドヤされてしまうだろう。きっと狩谷は、自分が居ない間に部下が弛んではいなかったかと目を光らせているだろうから……と、気を引き締める拓実だが。


 同時に少し、楽しみな気持ちもあった。数日前から退院のバタバタの為か狩谷からの電話が途絶えていた為、まだ現状の業績を報告できていなかったのだ。

 余り部下を褒める事のない狩谷だが、しかし今回は労いの言葉くらいもらえるかも……考えると自然と心が浮き立っていく。もしかしたら、初めて一人前だと言ってもらえたりするのかも……!


 そうして拓実は事務所に戻ると、狩谷へのメッセージを作成した。これ見よがしな伝え方をすれば調子に乗るなと怒られそうなので、配送完了の報告の中に、しれっと業績についての一文を添えて。

 さて、どんな反応があるだろう……拓実は次の業務を進めつつ、今か今かと返信を待った。この一か月程の頑張りはきっと認めてもらえるはずだと――……が、しかし。

 基本的に即レスの狩谷だが、今日はいやに返信が遅かった。ふと時計に目をやれば、メッセージを送ってからもう一時間は過ぎている。


――もしかして忙しいのかな……それか何か、物凄く不機嫌とか……?


 拓実は不穏な予感に顔を顰める。狩谷は何か気に入らない事があると、レスが極端に遅くなるのだ。昔、拓実がテレビ番組を理由に彼の誘いを断った時、拓実に対してのみならず、他の班員に対してもそうなった。お陰で業務が滞り、大変な思いをしたものである。


 もしや今も、狩谷は何か怒っている? 彼の入院中の拓実の仕切りに問題を見付けたとか? いざメッセージが返ってきたら、労いどころか長々とお説教が書かれているかも……良からぬ想像が膨らんで、拓実は冷や汗を掻いてきたが。


 それから三十分後に返って来たメッセージは、予想とは全く違うものだった。

『了解』

 なんと、たったこれだけ。


「え……えぇ?」

 思わず困惑の声が漏れた。だって、全くわけがわからない。一班の業績を追い抜く事は狩谷の悲願だったはず、それにかなり近付いているという報告に対し、『了解』だけ? 何か他に言う事はないのだろうか。

 やはり何か怒っているのか? いやしかしだとすれば、狩谷はそれとわかるようなメッセージを寄越すはずだ。それがないなら機嫌が悪いわけではないだろうに、こんなにも簡潔な返事しかない理由とは……


「妙だなぁ……」

「うん? 何がですか?」


 と、拓実の呟きに反応したのは向かいのテスクの女子社員、三宅みやけだ。二班の中でも最も若く、派手なメイクを施した彼女は、パソコンの向こうからくりっとした目でこちらの顔を窺ってくる。

「あぁごめん、独り言……ただ狩谷さんからのメッセージが、なんかいつもと違うから……もしかして、まだ調子戻ってないのかなぁ」

 拓実は何気なくそう答えたが、途端に三宅の表情が渋くなった。

「あー……もしかしたら狩谷さん、ちょっと病み入ってるかもしれないです」

「病み?」

 とは、落ち込んでいるという事か。だが、顔も合わせていないだろうに、何故そんな事が言えるのだろう……と、三宅は声を顰めて。


「実は私、狩谷さんのSNSアカウント知ってるんです」

「え――えぇっ⁈ それ、狩谷さんとアカウント教え合ってるって事か⁈」


 だとしたら意外過ぎると拓実は目を見開くが、三宅はぶんぶんと手を振った。

「まさかぁ! 偶然見付けちゃっただけですよ、やっぱ狩谷さんっておじさんだからリテラシー低いんですよね、特定できるような事書いちゃってて……で、それ以来ちょこちょこ覗いてるだけです」


 その恐ろしいその言葉に、拓実は思わず鳥肌を立てた。何しろSNSとは、割とプライベートなツールのはず。それを教えてもいない知り合いに「ちょこちょこ覗かれて」いるなんてゾッとする。まるで密かに監視されているようじゃないか。


「あー……と、それってあんまり感心しないぞ。だって狩谷さんは、三宅さんが見てるのを認識してないわけだろう? それじゃ盗み見してるみたいだし……」

「いやいや人聞き悪いですって! 見られたくないなら鍵掛けるじゃないですか、オープンにしてる以上、誰に見られてもいいものって事ですよ」

 三宅は堂々そう言って、それから再び声を低めた。


「まぁそれはいいとして……最近その内容が暗いというか。なんか愚痴っぽいポエムみたいなの量産しちゃってるっていうか……」

「愚痴? 怪我して動けなかったからか?」

「やー、そういうんじゃなくてぇ……なんか裏切られた的な? あとはなんか、孤独~みたいな感じ? 結局一人でやってくしかない~みたいな。いやー彼女にフラれでもしたんですかねぇ」


 三宅はそう言うのだが、しかし拓実は首を捻った。拓実の知る限り、狩谷に恋人はいなかったはずだ。それに“裏切られた”とは穏やかじゃないが……一体狩谷に何が起きているのだろう。真相はわからないが、なんだか不穏な気配がする。


 業績は伸びてきているものの、二班はどうにもうまくいかない。狩谷と後輩達との確執もなんとかしないといけないし、問題は山積みだなと拓実は重たく溜息を吐いた。

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