第48話 社畜、明るさを取り戻す

 ◆◇◆


 配送車から荷物を下ろし、それを客先の受付まで運んで行くという作業は、かなりの体力を消耗する。拓実の会社で扱うものはほとんどが消耗品なのだが、それだけに複数個をまとめて注文する顧客が多く、一つ一つの段ボールが重たいのだ。更に拓実は体力作りという課題を設けて以降、ちょっとした移動も全て駆け足にしているから尚更だ。


 故に配送に出ると大量に汗をかくのだが、その量が数日前から尋常じゃなくなった。少し動くだけでシャツの中を滝のように流れていく。

 ふと気付けば空も青さを増しているし、肌を刺す陽射しは痛い程。公園の脇を通り掛ればミンミンとセミの声もけたたましい。要するに、夏がやってきたのである。


――って事は、ダンジャンまでもう少しって事なんだよな。


 信号待ちをする車内、カーナビを見やれば表示された日付はもう七月。これが拓実の中、二つの感情を芽生えさせる。


 その一つとは、言わずもがな緊張だ。


 ダンスジャンクの会場となるのは、渋谷の大きなクラブである。そこには大きなステージがあり、時には著名なアーティストがライブをしたりもするのだが、そうなれば当然キャパシティが大きい。拓実がかつて出場していたダンスバトルとは、全てにおいて規模が違う。広い会場で、大勢のオーディエンスの前で踊るのだと思うと、どうしても内臓が縮こまるような気分になる。

 それに審査員席にはアワジもいる。海外でも活躍した、現在の日本のダンスシーンを牽引する偉大なダンサー。そんな人物に自分のダンスをジャッジされるのだ、緊張しないわけがない。絶対王者だった頃の自分だって、きっとこれには大いに怖気付いたはずだ。


 だが、そんな緊張と同時、拓実の中ではもう一つの感情――わくわく感も膨らんでいた。先日の猿渡との一戦で、バトルの楽しさというものが一気に蘇ったのである。


 一騎打ちで生まれる高揚。一瞬の閃きによって溢れ出すアドレナリン。その場を掌握する万能感――そして何より、自らのダンスによって人々が一つになるのが堪らない。あんなにも楽しい事は他にはないと、拓実は強く確信している。


――それにしても、あのバトルは本当に良かったな……


 何度も何度も反芻する。誰もが歓声を上げて手を叩き、笑顔になって。バチバチの空気を醸していた猿渡すらも巻き込んで。

 また同じような、いや、それ以上の経験が、ダンスジャンクではきっとできる。だってこの上なく最高の環境で、実力者たる仲間達と、これまた実力者だろうダンサーを相手に戦えるのだ。絶対に特別な経験になるに決まってる。それにわくわくしないわけがなく――と、そんな気分がどうにも漏れ出していたようで。


「砂川さん……なんだか最近変わったわねぇ」

「え?」


 とあるお得意先の企業にて、事務のおばさんからの言葉に拓実は目を丸くした。

「えぇと、変わったっていうのは……あ、もしかして体形ですか?」

 筋トレの成果を指摘されているのかと考えた拓実だったが、おばさんは「まぁ、それもそうだけど」と笑った。

「それ以上に、雰囲気が明るくなった気がするわ。もしかして、彼女でもできた?」

「えっ、カノ――滅相も無いっ!」

 拓実はぶんぶんと頭を振り、その勢いで持っていた荷物を危うく取り落としそうになった。それを慌てて持ち直してから、改めて訂正する。


「いやあの、そうではないんですが、でも最近ちょっと楽しい事があって……」

「あらそうなの? なんにせよ、それはいいわね」

「はい、お陰様で……っ」


 そう答えつつ、拓実は若干戸惑っていた。おばさんとはすっかり顔馴染みになってはいるが、こんな風に雑談を振られるのは初めてに近かったのだ。いつもは会話するにしても、精々天気の話程度だったのに。


 そんな拓実の戸惑いを読み取ったのか、おばさんは苦笑して。

「あぁごめんなさいね、踏み込んだ事聞いちゃって。でも、なんだか言わずには居られなくって。ほら、砂川さんって礼儀正しいしいつもきっちりしてるけど、いつも疲れてる感じなのが勿体ないなって思ってたから」

「えっ、僕そんなに疲れてました?」

「うーん、ちょっとね」


 そう言われて、拓実はなかなかの衝撃を受けた。客先では努めて明るくしていたつもりだったのに、空元気を見抜かれていたなんて。

「それはなんというか、申し訳なかったです……お客様に疲れた顔を見せるなんて」

「ああ、いえいえ! 私がお節介だから気になったっていうだけよ。余計な事言うようだけど、砂川さんいつもしんどそうな顔してたから、余程お仕事が大変なのかしらって思ってたんだけど……」


 おばさんは改めて拓実の顔を見ると、朗らかに微笑んだ。


「でも最近は、凄く生き生きして見える。それってとってもいい事よね。元気のいい人が配達に来てくれると気分がいいし、ちょっと話してみようかなって気持ちになるでしょ。そうやって話せば思い入れができて、また注文しようって思えるもの」

 おばさんはそう言ってから、「あらやだ、話し過ぎちゃった。それじゃまたお願いね」と社内へと引き上げていき、拓実も車に戻ったのだが。


――元気のいい人が配達に来れば気分がいいし、また注文しようという気になる――……


 その言葉を脳内になぞり、ああそうかと納得した。実は拓実は少し前から、めきめきと営業の成果を上げているのだ。

 お得意先への配達ついでに新商品を進めてみたり、いよいよ開店した商業施設の店舗へとチラシを持って行ってみたり。そんな地道な営業活動を行っているのだが、そうして顔を合わせた時、少し前よりも対峙した人の反応が良い。前までなら忙しいからとあしらわれ、話も聞いてもらえないのが普通だったが、最近は注文まで取れる事が多いのだ。


 それについて、拓実自身不思議に思っていたのだが、おばさんの言っていた事こそが答えなのかもと考える。全ては拓実の変化こそが齎した事なのかも……


 言われてみれば自分は今、明るい顔をしている時間が多い気がした。ダンスを再開して以降、胃が痛む事もない。好きな事を思い切りできている為、拓実のメンタルは健やかに保たれているようだ。

 だがそれが、まさか営業結果にも繋がってくるなんて。思わぬ成果に拓実は驚き、そして喜んでいたのだが――一つ、引っ掛かる事もあった。


――俺ってこれまで、そんなにしんどそうな顔してたのか……


 その指摘は正直言ってショックだった。客先での振る舞いには最も気を付けていたはずなのに、あんな指摘を受けるなんて。

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