第39話 もう一人の信者

 丁度コンビニから出て来た清史が声を上げた。彼は瞬時に状況を判断すると即座に駆け寄り、春親の頭に思いきりチョップを落とす。見ている拓実も思わず顔を顰める程の強烈な一撃だ。

 これに春親は白眼を剥いて意識を飛ばした。それを清史が肩に担ぎ、解放された猿渡はその場にへなへなへたり込む――うん、かなり強引だが、一切の無駄のない事態収束方法である。


「で? こりゃどういう状況だよ?」

 清史は改めて面々を見回しながら、呆れたように問い掛ける。

「なんでサルが此処にいて、なんで春親がキレてんだ。つかコイツがキレるとやべぇんだよ、一切手加減ができねぇんだから……」

「えっ、そうなの⁉」

 拓実は思わず面食らう。


 実のところ、拓実は春親を〝弟分〟のように思っていた。自分に素直でマイペースで、少し手が掛かるけれど、真っ直ぐに気持ちを伝えてくれるところが可愛いと……だが、その認識は間違っていたのだろうか。そこで思い出したのだが、そう言えば前にも一度――確か狩谷の話をした時にも、彼はゾクリとするような怒りの片鱗を見せていたっけ……


「あの……もしかして春親くんって、結構武闘派だったりする……?」

 恐る恐る聞いてみると、清史は難しい顔をした。

「いや……大前提、コイツがキレんのは滅多にねぇのよ。やっかまれて絡まれても、やり合う事もほとんどねぇ……けど、一度火が点いたら止めんのマジで大変なんだわ。感情が昂ると抑えが効かねぇ」

 清史の表情は非常に渋いものだった。きっと彼は春親との長い付き合いの中で、何度もそんな春親を苦労して止めたのに違いない。彼がぶつぶつと「高校のガラスが……」とか「警察に追われたのも……」と呻くのを聞いていると、その肩で伸びている美青年が少し恐ろしくなってくる。


「で? マジで今回は何があった? どうせサルが原因だろうが、春親の逆鱗に触れる程の何したんだよ」

「あ、えぇと……」

 拓実は事の顛末を説明した。猿渡と出会ったのは全くの偶然である事。拓実が春親のチームメイトだと知るや馬鹿にされてしまった事。それに春親が怒った事……

「あー成程……まぁそうだよな。コイツが自分の事でここまでキレんのは有り得ねぇ。大方タックが理由だろうとは思ったわ」

「う、面目ない……俺がもう少し迫力のある見た目だったら良かったんだけど」

 余りにも自分が二人に釣り合わない為、猿渡を刺激してしまった。年齢や顔立ち、体格についてはどうしようもないが、それでももう少し、髪型や服装に気を使っておけば良かったかと今更ながらに考える。


 だが、ともかくこの場は収まった。一時はどうなる事かと思ったが、もういざこざは終わりだろう。拓実はそう判断し、未だへたり込んだままの猿渡に歩み寄る。

「えぇと、猿渡くん? 悪かったなぁ、こんな事になっちゃって……怪我とかしてない?」

 そう声を掛け手を差し出す。が、その手は猿渡の目には全く入らないようだった。どうやら彼は強烈にショックを受けているようで、「待ってくれ……え、わかんねぇ。全然理解できねぇんだけど」と呟いている。


 もしや春親の豹変ぶりが余程衝撃だったのか……まぁ無理もない。何しろ先程の春親は、傍から見ていただけの拓実からしても怖かった。その怒りを真正面から浴びてしまった猿渡はさぞ堪えたに違いない……と、拓実は同情したが。

「こんなオッサンが鳥羽春親の神様? は? 何それどゆこと?」

「え、そっち?」

 思わず間抜けな声が出た。と、そこでようやく放心状態から抜け出した猿渡は、拓実に向かって捲し立てる。


「や、だって有り得ねぇだろ! なんであんたみてぇな奴が春親の神様なんだよ⁉ 冴えねぇしダセェし……俺は春親をライバルだと思ってきた、それがあんたみてぇなのを崇めてるって、なんかすげぇモヤんだけど! だぁぁすげぇヤな感じだ!」

「え、えぇと……そう言われても……」


 拓実は差し出していた手を引っ込め、首を摩った。要するに猿渡は、ライバル視している春親が拓実なんぞを神呼ばわりする事に憤っているのだ。その気持ちが拓実にはなんだかわかる。自分の好きな芸能人が怪しい占いにハマっていたりするのを見ると、なんだか堪らない気持ちになるのときっと同じだ。


 だがこういう場合、なんとフォローしたものか。「これでも俺、昔はダンスバトルの絶対王者って呼ばれてたんだぜ」とでも言えばいいのか? ……いや、無理だ。現役当時ならいざ知らず、今の拓実には胸を張ってその肩書を掲げられるだけの自信がない。


「えーと……どうしよう、清史くん」

 拓実は助け舟を求めて清史を振り返った。未だ「意味わかんねぇ!」と喚き続けている猿渡をどうすべきか、昔馴染みの清史ならば対処法も心得ているだろうと思ったのだ。

「あー……そうだなぁ」

 春親を肩に担いだままの清史は、神妙な面持ちで思案する。拓実は彼の言葉をじっと待った。冷静で視野の広い彼ならば、きっと良い答えをくれるに違いないと――だが。


「まぁこういう場合、実力見せるしかねぇんじゃねぇの?」

「ん? 実力?」

「ああ。それに実戦の勘を戻すいい機会だ……って事で、バトルしろよタック」

「えっ! えぇぇっ⁉」


 この提案に、拓実は此処が往来だという事も忘れて大声を上げてしまった。いや、だって、そんないきなりバトルなんて。


「待って待って待って、それはちょっと話がぶっ飛び過ぎてるって!」

「んな事ねぇよ。おいサル、お前もこの人の実力知りてぇだろ? ならバトルすんのが一番手っ取り早いよな?」

「お?……お、おお!」

 話を振られた猿渡も一瞬戸惑ったようだったが、すぐに頷いて立ち上が――ろうとし、背中の荷物の重量に尻餅をつく。が、すぐによろけながらも立ち上がって息巻いた。

「このままじゃどうにも納得いかねぇしな! 春親が神扱いする程オッサンに実力があんのか、それとも春親の頭がおかしいのか、確かめねぇと収まらねぇ!」

「いっ、いやいやいや!」

 この流れに拓実は必死に抵抗する。


「いくらなんでも急だって! 俺、まだまだ練習足りてないし……」

「いーや、いける。練習見てりゃわかるわ、あんたもう全然余裕で動けてるって。そんでも自信が持てねぇのは、単に実戦がねぇからだよ。一度かませば自分でもわかるはずだ、今ならバトルできるって」

「……っ」


 清史の言葉はどっしりとして、確かな説得力があった。彼ができると言うならば、できるような気がしてくる。体の底から、じわじわと活力が湧いてくる……が。

「いや、でもやっぱり心の準備が……」

 尚も逃げ腰を続けると、まどろっこしくなったのか清史が「つぅかよ」と遮った。そして彼はギラリとした、獣のような瞳を見せて。

「タックの事ボロクソ言われりゃ、俺も正直業腹なんだわ。何がなんでもあの世間知らずのサル野郎にあんたの凄さ見せ付けてやんなきゃ気が済まねぇ……って事でタック、全開でやれよ。くれぐれも膝には気を付けてな」

「……っ!」


 その時拓実は眩暈と共に思い出した。いつも春親の影に隠れているから忘れていたが、この清史もまた、かなりのタック信者なのだと。そんな彼がこの状況をスルーなんて、できるはずがなかったのだ。

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